鬼火
思い通りに身体が動く。
暁人の身体なのに、まるで自分自身のようだ。
彼との境界が曖昧になるこの感覚は、癖になる。
『──っ!』
糸で宙を駆け、大百足の頭へ飛び込み、脚に紫焔を纏わせて顔面を蹴り抜く。
大百足は軽く怯んだが、すぐに触覚を器用に用いて紫焔を消した。
大百足がその巨体を震わせ、カサカサと不快な音を立てる。
反射的に身体が硬直してしまったところを逃さず、頭と尻尾が上下から同時に襲いかかる。
咄嗟に大百足の胴に向けて糸を放って挟撃を回避したが、頭と尻尾は互いにぶつかることなく、私を追ってきた。
『──さすがに、効き目は薄いわね』
『──なら──!』
大きく弧を描きながら、大百足の身体に糸を巻きつけていく。地面へ降下しながら、まず尻尾側を絡めとる。
私を追い回す頭と尻尾が絡まってくれないかと期待を込めて飛び回っていたが、向こうも下手に追い回すとどうなるかくらいは理解していたようだ。
『──これで──!』
再び空に舞い上がり、糸を引き絞る。
糸は刃へと変わり、大百足の下半身を破壊する。
白い塔の周辺は、一面墨の池と化した。
『──次は、頭──!』
ギシギシとやかましい音を鳴らしながら天を仰ぐ大百足の頭部に向けて糸を放ち、上半身へ巻きつけながら頭上へと移動する。
塔を超え、大百足の額を飛び越えた先で糸を引こうとして──
大百足の口から、真っ黒な墨が吐き出された。
『──っ!?』
羽織を剥ぎ取って墨に投げつけ、身を翻して軌道から逃れる。
墨を被った羽織は一瞬で白煙を上げながら溶け落ちた。
『──毒、吐けるのね』
再び羽織を纏い、地面を見る。
墨の池が小さくなっている。視線を巡らせると、切断された身体が墨の中に突っ込まれていた。
大百足の身体が、切断面から墨を吸い上げて再生していく。あちこちからボコボコと泡が生まれては弾け、小さな飛沫が飛び散る。
目に意識を集中させて、飛沫の先を観察する。
墨が落ちた葉も、羽織と同じく溶けた。
『──全身が毒になってる』
『──この短時間で、進化した……?』
視線が合った大百足の口元から泡が漏れる。
わずかに身体が膨らんだ直後、再び毒液が勢いよく噴射された。
未だ溶けることなく無事な塔へ移動しようと糸を放つ。
だが、飛び散る飛沫が糸を溶かして身体が支えを失い姿勢を崩す。
『──っ!』
墜落する。
落ちる先は墨の池。このままでは、死ぬ。
『──はあっ──!』
墨に両手を向けて、紫焔を放つ。
黒々とした液体が一瞬で蒸発し、灰色のコンクリートが顔を出す。
『──ふっ!』
わずかに残った地面に手を置き、バネのように飛び跳ねる。
毒の墨に侵されていない森の中へ逃げ込み、息を潜めて観察する。
『──暁人、どう思う?』
この身体の主に、意見を求める。
大百足が見えず、戦っていない今なら話せる。
《間違いなく、アイツに直接触れるのはマズイ》
《でも、溶かせないものもあるらしい》
《さっき毒を飛ばした場所、元は木の板があったんだ》
大百足が足場とする塔。木の板の下の土台──コンクリート。
『──つまり』
《無機物は溶かせない》
《まずはアイツの墨を蒸発させて弱らせながら、足場を確保しよう》
『──その後は?』
《……ありったけの力を使って、紫焔で焼き尽くす》
暁人の声音が、変わった。
彼の言葉が意味するところは至極単純。
命を燃やして、大百足を討つ。
『──ダメよ、暁人。やるなら私の──』
《いや、紫蜘蛛に負担はかけさせられない》
《何度も助けられてるんだ。たまには──》
胸元のスカーフを強く握り、言葉ではなく行動で意思を示す。
“あなただけに、背負わせない”
“今までも、これからも”
暁人が小さくため息をついた。
《……分かった。じゃあこうしよう》
《“俺たち二人の力”で、アイツを焼こう》
『──ええ』
スカーフから手を離し、立ち上がる。
脚に力を込めて、森の外へ飛び出す。
『──紫焔!』
四肢と背中の蜘蛛脚に紫色の炎を纏う。
空から落ちる飛沫は蜘蛛脚で焼き払い、地面の墨は手足で少しずつ焼きながら進む。
大百足の身体が触れている場所を中心に“掃除”を進めていくが、墨が無くなると残った墨溜まりへ身体を移していく。
《キリがないな……!》
『──これなら、どうかしら──!』
蜘蛛脚と両手を地面につき、紫焔を纏った蜘蛛の巣を作り出す。
巣を張った先から墨は消え、どんどん範囲が広がっていく。
これなら、効率よく弱らせられる。
《紫蜘蛛!上だ!》
暁人の声にハッとし、空を見る。
大百足の顔面が、不快な音と共に迫ってくる。
口元には泡立った墨。
直接喰らいついて殺すつもりだ。
『──させない!』
脚を振り上げ、炎を巻き上げる。
大百足が怯んで動きを止めた隙に、距離を取る。
再び墨溜まりに炎の巣を張り、焼き払っていく。周囲を見回すと、墨の大半が消えてコンクリートが見えていた。
《そろそろいいかもな》
『──ええ。終わりにしましょう』
地面に巣を張り、アンカー代わりに身体を固定する。
大百足と向き合い、睨み合う。
背を逸らし、大きく息を吸う。
少し息を止めて、肺の奥で紫焔を練り上げる。
仕掛けたのは、ほぼ同時だった。
『──鬼火ッ!!』
口からとてつもない量の紫焔を吹き出す。
大百足も墨の毒を吐き出した。
黒と紫の波が激突し、瞬く間に黒い波が押し返される。
大百足の顔が、身体が炎に包まれる。
ギシギシと不快な音を上げて火を消そうともがく大百足を見ながら、木の上に降り立つ。
『──いきましょうか。暁人』
《ああ。ありがとな、紫蜘蛛》
暁人と意識を交代し、筆鬼の向かった方向に跳ぶ。
背後では大百足を呑み込んだ紫色の焔だけが、いつまでも燃え続けていた。




