最も残酷な再会
目を覚ますと、見慣れた天井が飛び込んできた。
今昔堂の事務所。
意識を失う前のことを思い出そうとした、その時──
「加古川様、火那森様。八重原様が起きました」
いぶきさんの優しい声が事務所に響く。
気づいた二人が早足で駆け寄ってくる。
「八重原くん!良かった……」
「今回も随分やられたようだね。早速で悪いが、状況を聞かせてくれないかな?」
起きあがろうとするが、狐火の指に額を抑えられて止められる。
『おっと、そのままで良いよ。特に右腕が重傷だ。動かすのも一苦労だと思うよ』
狐火の言葉を受け、右腕へ視線を落とす。
首筋から肩にかけて包帯が巻かれていた。
確かに、腕が上げにくい。
──記憶が蘇ってくる。
「──そうだ、紫蜘蛛は!」
大声を上げると、右肩が痛んだ。
咄嗟に肩を押さえて顔を歪める。
「……彼女は、隔離中だ」
「色々と、まずいことになっているからね」
加古川さんが目を伏せて答える。
火那森さんたちも似たような反応だ。
「……もしかして、目隠しのことですか」
「紫蜘蛛に会わせてください。彼女は俺が──」
「その前に、あの場で何があったのかを聞かせてください、八重原様」
いぶきさんに強い口調で止められる。
今まで感じたことのない威圧感に、思わず口をつぐむ。
「……分かりました。話したら、紫蜘蛛に会わせてください」
俺が見たものを思い出しながら話し出す。
墨獣を生み出す墨だまり、筆鬼の能力。
筆鬼を連れて行った、さらに大きな鬼の存在。
──紫蜘蛛の暴走。
「……すいません。俺が力不足だったせいで」
目を伏せる俺の左肩を、加古川さんが軽く叩く。
「そう気を落とさなくても良い。話を聞く限り、とても一人で手に負える相手じゃない。酒街くんや火那森くんでも結果は同じだったろう」
『それにしても、不忍池に月松か。生まれたばかりにしては、随分と浮世絵に詳しいね』
『例のぬらりひょんと関係があるのかもしれません。誕生の経緯も、付喪神として見ても異質ですから』
みんなが筆鬼たちの考察をしているが、俺の耳には半分も内容が入ってこなかった。
『ねえカコさん。アキっち、ラクちゃんに会わせてあげなよ。上の空って感じだよ』
見かねた白來が俺の頬を軽くつつく。
口調は明るいが、目は微かに泳いでいた。
「……そうだね。彼女の問題を解決できるのは、八重原くんだけだ」
加古川さんが静かに立ち上がり、事務所の床──床下の倉庫の入り口に手を掛ける。
「紫蜘蛛くんはこの先だ。彼女には悪いが、ここ以外では被害が広がりそうだったからね」
床板を持ち上げると、階段が見えた。
先が見えない、かなり深そうだ。
『一応、僕たちもついていくよ。万が一があり得るからね』
『……できれば、私たちが手出ししない形で収めるのが最善なのですが』
狐火、白來、墨香がそれぞれ武器を手に取る。
狐火の言う“万が一”が示す意味を悟るには、充分すぎる光景だった。
「大丈夫だよ。絶対なんとかする」
首元のスカーフを握り、階段に足をかける。
スマホを取り出し、ライトを点けて下っていく。
『にしても、ここホントに不思議だよねー』
『ぱっと見は古本屋で、扉の先は探偵事務所。果ては床下にデッカい空間があるんだから』
重々しい空気の中、白來が伸びをしながら口を開く。
独り言のようで、誰かに会話を振るような口ぶりに、俺もつられて口を開く。
「……まあ、座敷童が憑いてるし、お金の巡りは良いんじゃないか?案外普通にリフォームを重ねてるのかもしれないぞ?」
『だとしても、あんな地下空間だれも請け負わないと思うけどねぇ。水道管とかどうしたんだか』
四人であれこれ話しているうち、階段を下りきる。
狐火が壁のスイッチを押して電灯を点ける。
──洞窟。
一体どうやって、こんな空間を作り上げたのか、確かに気になるほどの広大な空間が広がっていた。
足元には広間の中央へと続く、もう一つの階段。
天井には規則正しく並んだ電球。
空間の中心に、あまりにも不自然な木製の牢のようなものが建てられ、中に真っ白な繭が鎮座していた。
「──あれが、紫蜘蛛か?」
「なんであんなところに閉じ込めてるんだ!早く出してやらないと──」
『あれは、紫蜘蛛様が自分でやったんです』
逸る俺を墨香が抑える。
狐火が一足跳びに階段を降り、刀を地面に突き立てて印を結ぶ。
『彼女は自分自身を縛ってるんだ。誰も傷つけないためにね』
『紫蜘蛛ちゃんは今、自分の本能と戦ってる』
橙色の光の線が地面に走り、正方形の結界を作り出す。
白來と墨香も降り立ち、同じように武器を突き立てて印を結ぶ。
青と緑の線が走り、狐火の結界を覆うようにさらに結界が張られる。
『八重原様、中に入ったら、紫蜘蛛様の繭に触れてください。彼女が目を覚まします』
『間違いなく彼女と戦うことになる。油断して喰われないようにしなよ』
『ラクちゃん泣かせるような事になりそうなら、あーしたちが加勢するから。その時は──』
『アキっちが泣くことになるかもだから、その辺り、覚悟してね』
結界の一部が開かれる。
階段を下り結界の中に入ると、再び封がされた。
急に世界が静かになる。
振り返っても誰もいない。
自分から発せられる呼吸や心音が、嫌に大きく感じる。
まるで俺が死んだ日のような、静寂。
牢の方に目を向け直し、一歩踏み出す。
近づくごとに汗が吹き出し、心臓が逸る。
大きく深呼吸をしながら、歩を進める。
「……紫蜘蛛。起きてるか」
牢の目の前に立ち、繭に話しかける。
繭が、少しだけ動いた気がした。
「待たせてごめんな。今、解いてやるから」
「できれば、俺のことを憶えててくれてると嬉しいんだけど」
ゆっくりと、震える手で繭に触れる。
真っ白な繭が黒く染まり、震えが大きくなる。
『──アア……』
『──ダメ……ダメ──!』
『──アアアァァァァァ──!!』
繭が弾け、中から紫蜘蛛が現れる。
見慣れた着物、見慣れない美しい瞳。
──巨大な蜘蛛の異形と化した、下半身。
「──八重蜘蛛!!」
飛び退くと同時に霧を纏う。
着地する頃には、霧は鎧へと姿を変えていた。
《──ハッ、なんで戻ってきたんだか》
『分かってるだろ。お前は俺なんだから』
呆れる八重蜘蛛に、同じく呆れるように返す。
目の前の異形と化した紫蜘蛛を、赤い瞳で見据える。
紫蜘蛛の瞳からは、涙が溢れていた。
『──アアアァァァァァ──!!』
『──⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎──!!』
二体の蜘蛛が、共鳴するように吼える。
同時に地面を抉り、蜘蛛脚を突き出す。
戦うことなど微塵も考えたことがなかった二人が──激突した。




