街を染め上げる墨の獣
《怪異が街に大量発生しています。私たちだけでは対処しきれません。すぐにこちらに来てください》
切迫したいぶきさんの声が部屋に響く。
火那森先輩と顔を見合わせ、横目に水島さんを見る。
「どっちが残るとか、言ってられなさそうだったわね」
「はい、でも水島さんが……」
どうする。
水島さんを連れて街に行っても良いが、状況次第では守りきれない。
かと言って、ここに残すのも心配だ。
もしも街の騒ぎが陽動で、本命がこっちだとしたら──
どっちを選んでも、水島さんに危険が及ぶ。
どうすれば、水島さんと街のみんなも守れる?
答えは、出ない。
「行ってください。僕たちは平気ですから」
水島さんが俺たちを見て、静かに口を開く。
背後にはエマが立っていた。
「でも、万が一筆鬼が来たら──!」
「その時はどうにか逃げますから。早くお友達を助けに行ってあげてください」
水島さんの意思は、固かった。
『──暁人。行きましょう』
紫蜘蛛に手を引かれる。
紫蜘蛛の手を握り返し、最後にもう一度水島さんの目を見る。
「水島さん。何かあったら連絡してください。すぐに駆けつけますから」
「うん。君たちも気をつけて」
紫蜘蛛を纏い、大きく跳ぶ。
屋根から屋根へ飛び移り、時には建物に糸で振り子のように宙を渡る。
一気に街へ向けて駆け抜けた。
少し遅れて、俺たちのさらに上を先輩が光の尾を引いて飛んでいくのが見えた。
その頃、駅前では。
《──あーもう!数多すぎるし!》
白來がうんざりしたように声を荒げる。
街の見回りのつもりだった。
まさか、ここまでの騒ぎになっていたなんて。
駅前の繁華街に大量の怪異が湧いていた。
墨で描かれた、ウサギやカエル。
後ろ脚で立ち上がり、人々を追いかけまわしている。
『やあっ──!』
「は──っ!」
墨香と息を合わせて得物を振るう。
墨香の放った水がカエルを両断し、私はその水を槍で受け止める。
穂先から鉄砲のように水を撃ち出し、ウサギを仕留めた。
ウサギとカエルは、墨汁のように溶けて消えた。
『これも、筆鬼の能力でしょうか……!』
《どう見ても墨で描かれてるし、そいつの能力っしょ!》
「本体は、どこにいるのでしょう……」
筆鬼は今のところ、姿を見せていない。
にもかかわらず、墨で描かれた獣人たち──“墨獣”は湧き続ける。
個々の強さはそれほどでもないが、ここまで既に数十は倒した。
八重原様たちにも応援を頼んだが、早く来てくれないと数の暴力に圧し潰される。
『いぶき様!白來!後ろ!』
「──っ!?」
油断した。
背後から一際大きなカエルが大口を開けて飛び込んできていた。
──食われる。
《やっば──!》
咄嗟に槍を縦に構え、カエルに噛ませようとする。
だが、カエルはさらに大きく口を開けて、こちらの槍を躱すように身体を捻った。
「な──!」
『いぶき様──!』
墨香が刀に水を纏わせ、こちらに駆ける。
逆袈裟に振り上げて水を飛ばすが、おそらく間に合わない。
ここまでか、と目を閉じかけた瞬間だった。
「──いぶきさん!!」
八重原様が、カエルの横腹に強烈な蹴りを見舞う。
くの字に歪んだ巨体が吹き飛び、ビルの壁に叩きつけられる。
カエルは水風船のように破裂し、壁一面を墨で染めた。
《アキっちおっそーい!危うく食べられるところだったじゃん!》
「悪い!急いてたんだが!」
「にしても、なんなんだこいつら……!」
八重原様が襲い来る墨獣たちに対応する。
少し遅れて、火那森様も到着した。
地面に向けて炎の斬撃を飛ばし、弾けるような熱波で怪異を一掃する。
「遅れました!状況は!?」
《なんだいこいつら?鳥獣戯画か何か?》
刀を構えて周囲を囲む墨獣たちを一瞥する。
こうしている間にも、墨獣はどんどん増えている。
《──どこかに、発生源があるはず》
《──いくらなんでも、多すぎる》
紫蜘蛛様の声。
八重原様も声に従うように周囲を見渡す。
「もう一度上に跳んで探してみるか?」
『……そういう訳にも、いかなさそうです!』
墨香が空を見上げ、一歩下がる。
つられて私も、火那森様たちも空を見る。
空に、黒い稲妻を纏った巨鳥が羽ばたいていた。
雷鳴にも似た羽音が響く。
雷雲のような漆黒の身体。
稲妻のように白く輝く瞳だけが、私たちを捉えて離さない。
《キョエェ──ッ!!》
咆哮と共に、雷が落ちる。
空を照らすはずの稲光は、逆に世界を闇に包む。
あまりに不可思議な現象に反応が遅れるが、白來が身体を操ったおかげで雷から離れることができた。
《あっぶな……!今度は鳥!?》
《ありゃ雷鳥か?あんなもんまで生み出せるのか》
「さっきのカエルとは、比べ物にならなさそうだな!」
雷を躱し、空を支配する雷鳥に再び目を向ける。
ここは、私たちが前に出るべきか。
「墨香。こちらに」
「嵐が相手であれば、私たちが適任でしょう」
『はい。いぶき様』
墨香が水に変わり、私を覆う。
空いた片手に墨香の刀を握り、白來の槍と共に構える。
「あの雷鳥は私たちが引き受けます。お二人は怪異の発生源を探ってください」
降り注ぐ雷に向けて槍を投げ放ち、軌道を逸らす。
手から水の糸を放ち、手元に戻す。
「なるべく早く見つけます!」
「あまり無理はしないでください!」
八重原様と火那森様が散開する。
頼もしい後輩たちに、笑みが溢れる。
「──ただの避雷針に徹するわけにもいきません。分かるわね?二人とも」
《当然!あんなのとっとと倒すに限るし!》
《はい。いずれにしろ、放置すれば甚大な被害は免れませんから!》
呼吸が重なる。
鼓動が重なる。
心が──一つに重なる。
彼女らから貰った両目が光を宿し、身体に蛇龍の鱗と角が現れる。
『さあ──この嵐を、鎮めましょう』




