俺以外を無視する紫蜘蛛と、すべてを委ねた俺たち
「どういうつもりだ、紫蜘蛛」
視界を奪われたまま、紫蜘蛛を問いただす。
見えなければ、動けない。
《──聞いて、暁人》
言葉と同時に、通知音が消える。
耳も塞がれた。
《──あいつの羽音と声に、耳を傾けないで》
「そうは言っても、どうやって─」
そこで、気づく。
鈍痛が消えている。
「……もしかして」
《──そう。意識しては、だめ》
《──怒りも、苛立ちも、全部》
顔を覆う糸が、ほのかに温かい。
紫蜘蛛の声に合わせて、心が凪いでいく。
思考が澄む。
──あいつは、”認識させる”ことで干渉してくる。
音は感情を逆撫でし、文字は怒りをぶつけてくる。
なら──無視すればいい。
だが。
「どうやって無視する?音も文字も、無理やり入り込んでくる」
《──だから、私があなたの目と耳になる》
「……なんだって?」
返事の代わりに、視界が戻る。
だが、違う。
窓ガラス越しに世界を見るような、薄い隔たり。
《──私の目を、映す》
遅れて、音も戻る。
耳栓越しに、遠く、鈍い。
《──あと、耳も》
〈なんで?〉
〈見えてるのに〉
〈聞こえてるだろ〉
文字も音も認識できる。
それでも──痛みはない。
「なんで、お前は平気なんだ?」
《──私は、あなた以外に……興味ない、から》
わずかに混じる、照れ。
〈ギギイイィィィィィィッッ!!!〉
既読虫が、焦れたように咆哮を上げる。
不快感はない。
むしろ、静かすぎるくらいだ。
《──言い忘れてたけど。あなたの感情も、私が抑えてる》
…さらっととんでもないことを明かされた気がしたが、今はいい。
虫が飛びかかる。
──遅い。
姿勢を低くして躱す。
すれ違いざま、腹に拳を叩き込む。
〈ギッ!?〉
手応えが違う。
明らかに、さっきよりも効いている。
〈おい〉
〈無視すんな〉
〈殺すぞ〉
語気が強まる。
だが──届かない。
「よく無視できるな」
《──言ったでしょう。あなた以外に、興味ないの》
淡々とした返事。
頼もしいが、少し怖い。
だが──だからこそ、攻撃に集中できる。
踏み込む。
拳が入る。
躱す。
蹴りが入る。
受け止める。
頭突きを受け止め、押し返す。
距離が開く。
──違和感。
虫の動きが鈍い。
《──関節を、縛っておいた》
「……いつの間に」
視線を落とす。
両手首から伸びた糸が、虫の関節に絡みついていた。
俺の攻撃に合わせて、”仕込み”をしていたらしい。
《──これで、終わり》
「──これで終わりだ」
二つの声が、重なる。
糸が引かれる。
──いや。引いたのは、俺か。
虫の身体が、強引に締め上げられる。
──もう、声も音も届かない。
握った糸に力が籠もる。
その瞬間。
流れ込んでくる。
──恐怖。
膨張する。
止まらない。
押し潰すように、増えていく。
糸が震える。
膨張に合わせて大きくなっていく。
そして。
〈───ギッ〉
短い断末魔。
既読虫は──動かなくなった。
「……なにしたんだ?」
紫蜘蛛に合わせてはいたが、なにをしたのかは分からない。
ただ最後、虫から異様な恐怖だけが伝わってきた。
『──怒りを抑えて、恐怖を増した』
「……俺の怒りを抑えたようにか?」
装束がほどけ、紫蜘蛛が姿を現す。
《──そう。抱えきれないほどに恐怖を増して──自滅させた》
わずかに頬を緩ませて、種明かしする。
「……お前が味方で、良かったよ」
──やはり、紫蜘蛛は怖い。
だが。
彼女の嬉しそうな顔を見ると、その恐怖も薄れていった。




