既読をつけると死ぬ怪異と、無視できない俺
「───八重原くん」
「─八重原くん!」
火那森先輩の声で、意識が戻る。
ぼやけた視界で周囲を見渡す。
どうやら、夢から帰ってきたようだ。
「急に二人して倒れ込むから、どうしたのかと…心配したんだから」
目に少し涙を溜めて、先輩が手を握る。
出会ってまだ数時間。
それなのにこんなに気遣えるなんて──なんて優しい人なんだ。
そう思った次の瞬間だった。
背筋に鋭い違和感が襲う。
──紫蜘蛛。
分かる。
今、確実にこちらを"見られている"。
いや、──睨まれている。
俺の手と、それを握る先輩の手を。
「……火那森さん。見ての通り、俺は無事ですから」
やんわりと、なるべく自然に先輩の手を外す。
途端に背筋の感覚が戻る。
……なるほど。
これが、嫉妬心か。
「それじゃ、彼も起きた事だし、本題に入ろうか」
パン、と手を叩いて、加古川さんが場を仕切る。
「まずは八重原くん。無事で良かった」
「はい、おかげさまで」
加古川さんの頬がふっと緩む。
それに応えるように、俺も笑みを返す。
「で、だ。首元を見てごらん」
促されるままに視線を落とすと─いつの間にか、スカーフが巻かれていた。
壺菫色──紫蜘蛛の目隠しと同じ色。
「それは怪異に認められた証─"双縁"さ。火那森くんと狐火くんにも同じものがある」
「ええ、私達の場合はこれね」
先輩が髪を掻き上げて右耳を見せる。
そこには太陽を模したアクセサリーが揺れていた。
「ちなみに僕は左耳ね」
チリンと音を鳴らして狐火もアピールする。
「君たちの場合は"スカーフ"という形で揃ったわけだ」
紫蜘蛛も自分のスカーフを撫でてご満悦そうだ。
「それと、今後についてだが──」
『──怪異との戦いに、ついて』
不意に、紫蜘蛛が口を開いた。
場の視線が一斉に彼女に集まる。
そうか、皆は彼女の声を聞くのは初めてか。
『─どうしたの?』
「いや、なんでもないよ。そう、怪異についてだ」
軽く咳払いをして、加古川さんが話を戻す。
「実は、新しい怪異の情報が入ってきている。火那森くんと八重原くん─二人にこれの対処をお願いしたい」
怪異の対処。
それはつまり──俺を殺したあの黒いモヤみたいな存在と"戦う"、ということ。
あの瞬間がフラッシュバックする。
呼吸が浅くなる。
身体が硬直する。
『──大丈夫』
いつの間にか、紫蜘蛛が傍にいた。
『─今度は──死なせない、から』
─その言葉を聞いて、張り詰めていたものが解けていく。
「次の怪異はどんな奴ですか?」
火那森先輩が口を開く。
僅かだが語気が強い。
きっと、同じようにあの日のことを思い出している。
そうだ、早くしないと犠牲者が増える。
心の中で、兜の緒を締める。
「次の怪異は精神に作用するようなタイプでね──まあとりあえず、"既読虫"とでも名付けようか」
「き、既読無視…?」
思わず腰が砕けそうになる。
もっとこう、赤鬼だとか天狗とか。
そういう"分かりやすい"怪異を想像してたんだが。
「まあまあ。報告書を見る限り、なかなか厄介そうだよコイツは」
バサリと紙の束が鳴る。
──そして、怪異の説明が始まった。
〜〜〜〜〜〜
夜の小道。
あの日と違い、6月らしい湿気がまとわりつく。
俺と先輩は並んで歩いていた。
……断じて、デートなどではない。
ピロン、とスマホの通知音が鳴る。
「…今の、先輩のですか?」
「いえ、違うわ」
短く確認。
互いのスマホじゃない。
なら。
前を向いて歩く。
ピロン。
無視。
ピロン。
感覚が狭まる。
無視。
ピロン、ピロン。
さらに狭まる。
無視。
ピロン、ピロン、ピロン。
〈見てるだろ〉
〈返事してよ〉
〈ねえ、なんで?〉
視界の端に走る。
──無視。
〈見ろ〉
「っ!?」
目の前に赤文字。
反射的に跳ねた瞬間、右肩に痛み。
殴られたような感触。
〈見たな〉
〈無視した〉
目で追う度、鈍痛が襲う。
「つっ…」
「八重原くん!」
「ダメだ火那森さん!」
静止よりも早く──
〈無視するな〉
「なっ…!」
同時に、痛み。
ビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビ───
「がっ──!」
爆音。
四方から通知が鳴り響く。
頭が内側から割れそうな強烈な不快感。
思わず耳を塞ぐ。
「そろそろ、出てきますかね!!?」
「そう思いたいわね!!これ以上は本当におかしくなる!!」
声が掻き消される。
《──暁人、壁》
紫蜘蛛の声だけは、届く。
反射的に壁を見る。
そこに──"通知"。
カウントが一瞬で"999+"に跳ね上がる。
ひとつ、またひとつ。
音に呼応して、壁が埋まる。
そして──収束する。
「来る…!」
歪みがやがて形を取る。
白い外殻。
びっしりと並んだ真っ赤な複眼。
──鈴虫。
それも、異常に大きい。
「紫蜘蛛!!」
《──!》
スカーフを握る。
糸が走る。
足元から全身へ。
黒い生地に金の忍装束。
先輩も耳飾りに触れ、刀を構える。
炎を纏い、狐火に似た姿へ。
「行くわよ!」
「はい!」
同時に踏み込む。
俺は左、先輩は右に。
吹き出しが矢のように飛ぶ。
先輩がそれを斬り払う。
俺は糸で盾を作り、突っ込む。
一閃。
前脚が飛ぶ。
〈ギィィィッ!〉
虫が耳障りな叫びを上げる。
踏み込み、盾を拳に変えて叩き込む─
が、跳ばれた。
「外した!」
「次よ!」
突進。
後方に飛び退く。
着地と同時に、アスファルトが割れる。
土煙で視界が塞がる。
(次…!)
盾に戻して構え直す。
─ピロン。
背後。
反射で、振り向いてしまう。
〈見た〉
鈍痛。
ピロン、ピロン。
音の方を睨む。
うるさい。
無意識に両手を拳に変える。
ピロン、ピロン。
「──っ!」
駆け出す。
「待って!そっちは─」
先輩の声。
だが止まらない。
苛立ちのまま拳を振るう。
だが、空振り。
「ちっ─」
瞬間。
足元から脚。
速い。
「しまっ─」
ぐいっと、引かれる。
間一髪で、回避。
〈──落ち着いて〉
紫蜘蛛の声。
助かった。が─
違和感。
虫の位置が違う。
剣戟が聞こえる。
──まさか。
振り向きざま、先輩が弾かれてくる。
「ニ体目─」
互いの目の前に、いる。
ビビビビビビビビビビ──
また爆音。
視界の端で文字が跳ねる。
「う…るせぇ…っ!」
虫が崩れ、増える。
吹き出しが壁のように立ち上がる。
「まずい─っ」
「火那森さん─っ!」
遮断。
声も姿も消える。
分断された。
「くっそ─!」
虫を振り払い、走る。
静寂の後──
再び、眼前に巨体。
〈草〉
〈笑笑〉
「──っ!」
腹の奥の何かが、煮える。
傷。
孤立。
一対一。
──最悪だ。
〈見てる〉
─鈍痛。
《──分かった》
「……なにが」
視線が落ちる。
スカーフへ。
《──考えが、ある》
「まて、なにを─」
言い切る前に。
──視界が、落ちた。




