厄災の双頭龍と、海月と蜘蛛と人の俺
「マジかよ……!」
目の前の怪異に、言葉を失う。
とぐろを巻いた、巨大な青い鱗の蛇体。
背面には爬虫類には似合わない、白い羽毛に覆われた翼。
龍の角のようなものが生えた双頭。
左の頭は赤い瞳を、右の頭は黄金の瞳を宿している。
蟒蛇ではもちろんない。
だが、俺が知っている蛟とも違う姿だった。
《──さしずめ、禍蛟ってところかしら》
海月が目の前の双頭の蛇を見て呟く。
海月の言葉を聞いた禍蛟の口角が、わずかに上がった気がした。
『シャアアアア──!!』
天に向けて禍蛟が吠える。
蛇のような、龍のような雄叫び。
──嵐が、来た。
土砂降りの雨。
吹き荒れる暴風。
鳴り止まない雷。
天候の暴力の前に立っていることすらままならない。
触手と薙刀を地面に突き立てて耐えようとする。
「雨乞いなんて、生やさしいものじゃないぞ……!」
《厄災を呼ぶ大怪異への進化……誇張ではないみたいね》
嵐の中で動けないでいる俺たちに、禍蛟が尻尾を振り抜く。
尻尾の先に近い部分ですら、大木のような太さだった。
回避するには、あまりにもこちらの動きが鈍すぎた。
「──っ!くそっ……!」
薙刀で受け止めるが、そのまま吹き飛ばされる。
嵐に揉まれてあらぬ方向へ飛ばされていく。
もう天地すら分からない。
そのまま地面に叩きつけられ、ようやく自分がどっちを向いていたのか理解する始末だった。
「ぐっ……!」
幸い、右腕から叩きつけられた。
利き腕じゃないし、折れてもいない。
まだ戦える。
《さすがに、この嵐じゃ私もやりづらいわ》
《一瞬でも足が浮いたら何もできない》
海月のもどかしそうな声が響く。
人智を超えた嵐の前には、さすがの海月もお手上げのようだった。
《シュルルルル──!》
風雨の向こうから禍蛟が突撃してくる。
左右から回り込むように、双頭が口を開けて突っ込む。
左の蛇頭を薙刀で受け止め、右の蛇頭を蜘蛛脚を生やして受け止める。
「くっ……!手が出せねえ……!」
双頭と競り合いながら、考える。
この嵐の中、どうやって戦う。
どうやって勝つ。
双頭が少し後ろに引く。
突然拮抗する力が失われて姿勢を崩す。
「──っ!?」
直後、思い切り頭突きされた。
防御が間に合わず、直撃。
骨の軋む感覚を覚えながら、再び吹き飛ぶ。
《ああ、マズい──》
海月が触手を伸ばして地面に突き立てようとする。
それを見越していたかのように、蛇体が間に割り込む。
「がっ──!」
尻尾に巻き取られ、双頭の前に引き戻される。
双頭がニタニタと気味の悪い笑顔を見せると、少しずつ締め上げてきた。
「ぐっあ、がぁ……!」
足から徐々に骨が軋む。
海月が触手を蛇体に刺して毒を流し込もうとするが、鱗に阻まれて刺さらない。
《毒針が、通らない……?》
「このままじゃ、死ぬ……!」
息ができない。
意識が遠のき、頭が回らなくなってくる。
それでも必死に考え続け──
「……八重蜘蛛……!」
口から漏れたのは、その一言だけだった。
直後。
瞳が強い熱を持つ。
全身が黒い霧に覆われ、内側から力が漏れ出てくる。
『──ヴア"ア"アァァ──ッ!!!』
霧を振り払い、蛇体に腕と蜘蛛脚を突き刺す。
そのまま傷口をこじ開けるように暴れ回る。
『シャアアアア──ッ!』
流石に堪えたのか、禍蛟の締め上げる力が緩む。
その隙を逃さず、一気に蛇体を引き剥がして脱出する。
穴が空いた禍蛟の身体から、白緑の煙が上がる。
瞬く間に、傷が塞がった。
『──フゥ──ッ!』
着地と同時に、違和感に気づく。
『──意識が、ある──?』
《──聞き訳の良い子は、好きよ》
海月の声が響くと、蜘蛛脚がピクリと動く。
『海月。お前が抑えてくれてるのか』
《いいえ?私はただ、彼に“協力しなさい”と言っただけよ?》
圧の滲む海月の声だけで、何があったかは大体察した。
何にせよ、ありがたい。
乳白色の海月のローブに、漆黒の甲殻を纏った身体。
背中から伸びた蜘蛛脚も甲殻を纏い、その先端は刃のように鋭くなっている。
頭に被ったフードを引き裂くように払い、頭にも甲殻の鎧を纏う。
蜘蛛の怪物らしい四つ目と角を残した、騎士の兜のような鎧。
霧と雨に阻まれた視界が、クリアになる。
嵐の音も遠くに聞こえる。
立っていられないほどの暴風にも、耐えられる。
翼ある双頭の蛇を見据えて、構える。
薙刀は、手放していた。
『──行くぞ!』
《ええ》
跳ぶように禍蛟に向けて駆け出す。
暴風を切り裂き、まっすぐに。
蛇の口から水のブレスが放たれる。
凄まじい力で圧縮されたそれは、刀のように大地を切り裂く。
『ハァッ──!』
糸を使って軌道を変えつつ駆け抜ける。
叩きつけようと振り上げた尻尾の真下を、一気にすり抜ける。
蜘蛛脚を使って仰向けのまま跳ねる。
姿勢を変え、糸と触手を禍蛟の翼に絡ませてしがみつく。
《鱗がない場所なら、どうかしら?》
触手を刺して、毒を流す。
白い翼がみるみる黒く染まり、崩れていく。
『よし!効いてる!』
《このまま毒で弱らせて──》
『──シュルルルァァァッ!』
禍蛟が吠える。
鱗が鋭く尖っていき、崩れて消えた翼の根本から再び鱗に覆われた翼が、肉を突き破るように生える。
鱗に糸と触手が切断され、振り落とされる。
『なにっ──!?』
《まだ進化するの──!?》
海月の声に焦りが混ざる。
地面に叩きつけられる寸前に、蜘蛛脚で衝撃を和らげる。
蜘蛛脚で跳ねてから何度かバク転して距離を取る。
『こいつは──』
《もう、蛇竜というより龍ね──》
全身の鋭く尖った鱗は、隙間なく噛み合った甲殻に変わった。
まだ蛇らしさのあった双頭は、伝承に語られる龍そのものになった。
羽毛に包まれた翼は、鱗に覆われた竜翼に生え変わった。
胴体からは手足が生え、鋭い爪で大地を掴む。
──そこにいたのは、異形の神龍ともいうべき存在だった。




