九尾の終わりと、蟒蛇の嘘
二つに割れた狐の仮面が闇の中に落ちていく。
仮面の下にあった顔は、やはり火那森先輩だった。
炎の刀が鎮火し、尻尾が消失する。
服装も狩衣から見慣れた服装に変わり、先輩が帰ってきた。
「火那森さん!」
急いで近くへ飛び、先輩を抱き止める。
気付けば月が随分近く感じる場所まで来た。
落ちれば命はない。
「──八重原、くん」
「火那森さん、大丈夫ですか」
目を覚ました先輩の目は、かすかに潤んでいた。
「ああ、良かった」
「あれはやっぱり、夢だった」
「でも、その姿は……?」
俺の姿を見て、不思議そうな声を出す。
海月のことを、どう伝えれば良いのか。
『──これは、夢』
『──だから、私の姿もちょっと違う』
海月が紫蜘蛛の口調を真似て話しだす。
突然のことに面食らい、思わず被っている笠に目をやる。
「──夢の中で夢を見るなんて、おかしいわね」
ホッとした顔で先輩が笑う。
まだ、少し眠そうだ。
「……そう。これも夢です。だからゆっくり休んでください、火那森さん」
神社のあった境内に降り立ち、先輩を横に寝かせる。
先輩の身体は、少しずつ透けていっている。
『人間に戻ったから、ここにいられなくなったのね』
『外に戻れば、ここでの出来事も夢としてその内忘れるわ。このまま寝かせてあげましょう』
海月の話を聞いて、先輩が目を閉じる。
「じゃあ、遠慮なく寝させてもらうわ──」
「ありがとう。八重原くん、紫蜘蛛ちゃん」
「夢でも、助けてくれて──」
「はい。おやすみなさい、火那森さん」
先輩の身体が完全に消失したのを確認して、海月が俺から分離する。
直後、海月が大きくフラつき、片膝をついた。
「っ!?海月!」
肩で息をして、小刻みに震えている。
身体のあちこちが少しずつ崩れ始めていた。
『はぁっ──はぁっ──』
『ちょっと、無理しすぎたわ──』
今にも消え入りそうな、掠れ声。
俺と混ざり合い、九尾と神話じみた激闘を繰り広げた。
消耗具合も、おそらく海月自身も経験したことがないレベルだろう。
「海月、どうしたらいい!」
「お前がいなくなったら困る!」
必死に海月に呼びかける。
海月は地面に倒れ込み、辛うじて仰向けになるのが精一杯だった。
『──もう一度、言って』
「──え?」
海月が俺を見て小さく呟く。
『──もう一度、言って』
『“お前が必要だ”って』
「──海月。俺には、お前が必要だ」
俺の言葉を聞いて、海月が微笑んだ。
今まで見た中で一番、良い笑顔だった。
『──じゃあ、あなたの血を、ちょうだい』
『それが一番、効率よく回復できるから』
──海月もか。
紫蜘蛛もそうだったが、怪異には人間の血を欲しがる何かがあるのか。
「──分かった。死なない程度にな」
シャツの襟ぐりを少しズラし、首筋を晒す。
紫蜘蛛に求められた時の癖が、出てしまった。
『……ふぅん?』
『──あの子は、そこなのね』
海月の不満そうな声と顔。
しまった、と思った時には、遅かった。
『ン──』
「んん──!?」
顔を抱き寄せられ、下唇をカプリと噛まれる。
溢れた血を、海月が舌に乗せて喉に流していく。
コク、コク、と彼女の唾液と共に飲み下す音が聞こえる。
気がつけば、俺も目を瞑っていた。
海月の崩れかけていた身体が、ゆっくりと輪郭を取り戻していく。
『──はぁっ』
『ふふ。ごちそうさま』
『やっぱり、あなたの血は極上だわ』
海月の口が離れ、間に血と唾液のまざった橋がかかる。
「……その触手じゃダメだったのか?」
口元を拭いながら海月に問う。
初めて会った時は触手を刺されて、そこから血を吸われた。
そっちの方が効率的に回復できると思うのだが。
海月は満足そうな笑みを浮かべている。
口元の血を指で艶かしく拭き取り、ゆっくりと
舐めとる。
『こういうのは雰囲気も大事なのよ』
『本当は舌を入れるくらいはしたかったのだけど、ね』
クスクスと笑いながら、俺を見る。
敢えてやらなかったのは、彼女なりの紫蜘蛛への配慮か、それとも別の理由か。
「……満足したなら行くぞ」
そそくさと立ち上がり、海月の手を取る。
海月はずっと楽しそうに笑っている。
崩れかけていた身体は元に戻り、俺の手を握る力も強くなった。
『大丈夫?顔真っ赤よ?』
「……誰のせいだよ」
海月を立ち上がらせ、崩れた神社の裏手に回り込む。
両端に青い炎の灯った、石造の長い階段がそこにはあった。
「ここを登れば、地上に戻るんだな」
『ええ。次は──蛟の姉妹かしら』
──蛟?
「ちょっと待て。それは墨香たちのことか?」
階段を登ろうとした足を止めて、海月の方を見る。
海月の方はなんともなさそうな顔だ。
『あら。知らなかったの?』
『あの子たち、自分のことなんと言ってたのかしら』
口に指を当てて、軽く首を傾げる。
「あの二人は自分のこと蟒蛇だって言ってたぞ」
大酒飲みの大蛇の怪異。
それがあの二人の正体。
の、はずだが。
海月が呆れたようにため息をつく。
『……嘘が下手ね、あの子たち』
『まあ、本人に聞くのが一番早いわ』
階段を登りながら蛇の姉妹──墨香と白來、そしていぶきさんのことを考える。
餓鬼大将との戦いで見せた、あの圧倒的な強さ。
もはや怪異というより、神様とも思える姿。
言われてみれば、蟒蛇らしくはないかもしれない。
水神と云われることもある蛟であれば、納得感はある。
──アレを相手にするのは、正直嫌だ。
いくら海月が強くても、俺も彼女も命の保障がない。
『大丈夫よ。あなたは死なない』
隣の海月が、俺の思考を読んだように手を握って口を開く。
ひんやりとした感触の中に、暖かさを感じる。
「……お前はどうなんだ」
『……どうかしら。死ぬ気はないけれど』
手を繋いだまま、階段を登る。
初めは不本意で、仕方なしに結んだこの関係だが。
気付けば、海月との別れが惜しくなっていた。
もう二度と会えなくなる結末だけはごめんだった。
「──生き残ろうな、お互い」
呟くように口を突いた言葉に、海月は黙って頷くだけだった。




