千の鳥居と、海月の心
『──あそこよ』
のっぺらぼうとの戦いの後、二人でしばらく歩き続けていた。
海月が、正面のシルエットに指を差す。
「……あれは、鳥居か?」
霧の中に静かに佇む、巨大な鳥居。
日本人なら少なからず目にするもの。
「遊園地の中に神社か?」
不思議に思い、首を傾げる。
そういうアトラクションも無くはないだろうが。
『ええ。どんな仕掛けがあるのか、楽しみね』
海月は相変わらず楽しそうに笑う。
まるでデートに来たようだ。
鳥居をくぐり、先に進む。
無意識に鳥居の端の方を歩くと、何かがすぐ脇を通り過ぎた気がした。
「──今、何かいなかったか?」
つい、海月に聞いてしまう。
『私は何も感じなかったわ。でも、夢の中の神社だし、“何か”はいるんじゃないかしら?』
少しだけ、海月の足取りが軽くなっていた。
一歩進むごとに、世界が暗くなっていく。
明かり一つない夜の闇。
霧も相まって足元すら見えなくなる。
だが、右手には海月の触手が絡んでいる。
彼女とはぐれることはないだろう。
『ただ暗いだけね……あんまり楽しくないわ』
海月が不満気に口を開く。
『──そうだわ』
触手を通じて伝わる海月の歩調が止まる。
つられて俺も足を止める。
「どうした?何かあったか?」
暗闇に向けて声を発する。
返事は、言葉ではなく行動で返ってきた。
いつの間にか海月が隣に立っていた。
ギュッと腕に抱きつかれる。
『これなら、少しはドキドキするわ』
「っ……」
言いたいことは色々あったが、言わないことにした。
機嫌を損ねると、どうなるかわからない。
それに、彼女の好意が本物なのは十二分に伝わっている。
それを無碍にするのは、憚られた。
『ねぇ。あなたも、ドキドキする?』
「……多少はな」
紫蜘蛛に見られた時の言い訳を考えると、別の意味で心臓に悪かったが。
本当のデートのようにくっついて歩く。
わずかに下り坂になっていて、少しずつ二人で降りていく。
降りきった先には、光があった。
二本の蝋燭と、狐の石像。
中心には、どこまでも続く小さな鳥居の道。
「これは……」
不気味で、厳かな空気。
なんとなく、狐火の気配を感じる。
『へぇ──なかなか、雰囲気あるわね』
『さ、行きましょう』
くいっと、腕を引かれる。
こっちは雰囲気に呑まれて、少し腰が引けているのに。
「……怖いものなしか」
『私が怖いのは、嫌われることだけよ?』
「俺にか?」
『……それもあるわね』
最後の返事は、少し歯切れが悪かった。
俺以外にも、嫌われたくない相手がいるのか。
それとも、そもそも嫌われること自体が嫌なのか。
無数の鳥居をくぐっていく。
一つくぐると、火が灯る。
背後を照らされるばかりで、目の前は変わらず闇ばかり。
周りを見ても暗闇だけだった。
後ろを振り返ろうとすると、海月の触手で止められた。
『振り返っちゃダメよ』
『私なんかよりもっと怖いのがいるわ』
『黄泉比良坂のお話、知らない?』
言われてハッとし、前を向き直す。
見るなのタブーというやつだ。
以前、加古川さんに教えてもらった。
しばらく無言で歩き続ける。
登り、下り、右折、左折。
どこまでも続く鳥居と暗闇。
「……なあ、海月」
「お前は、いつから俺を見ていたんだ」
沈黙を破ったのは、俺からだった。
ふと、気になった。
なぜ海月がここまで俺に執着するのか。
『いつから──』
海月が口元に指を当てて考え込む。
『──あなたが死んだ日、からかしら』
「──ッ!」
俺が初めて怪異に遭遇した日。
その怪異に殺されて、紫蜘蛛と火那森先輩に救われた日。
あの日、俺を見ていた黒い影。
『たまたま、あの辺りを彷徨っていたのよ』
『あなたが何かに誘われるように、フラフラと鎌鼬に近づいていくのを見たの』
『人間の死体と怪異を前にして、恐れず立ち向かう姿を見て、興味を持った』
『──助けてあげようと、思ったの』
──衝撃だった。
もしかしたら、今まで俺と戦ってくれた怪異が海月だった可能性もあったのか。
『──でも、あの蜘蛛女があなたを助けた』
『私は、見ていることしかできなかった』
楽しげだった海月の顔が、わずかに歪む。
後悔の念が滲んでいた。
『それからずっと、あなたを見ていたわ』
『あの蜘蛛女が消えないかって』
『そしたら、私がそこに入り込めるのにって思いながらね』
『我慢できなくて、ちょっかいを仕掛けたことも一度あったわね』
俺の腕を抱く力が、強くなる。
その力と、手首のシュシュから、想いが伝わる。
『でも、あなたとあの子は仲良くなって』
『どんどん強くなって──』
『──羨ましかったわ。とても』
海月の指が、俺の指に絡みつく。
そのまま、味わうように指の間を擦られる。
『だから今回は、私にとって願ってもない機会』
『ここなら、私の“もしも”を実現できる』
『そういう意味でも、怪異のための遊園地ってことになるかしら?』
「──」
少しだけ、聞かなければ良かったと思った。
こんな顔を見せられて。
こんな話を聞かされて。
今さら、簡単に切り捨てることなんてできなかった。
『私は、この時間を終わらせたくない』
『でも、あなたを助ければこの時間は終わる』
『私たちは──どうするのが、正解かしら?』
海月がこちらを見て微笑む。
意地らしさと、諦観を含んだ、悲しい笑顔だった。
『──少し、話しすぎたかしら』
『もう着くわ』
『すぐそこにいる』
最後の鳥居をくぐり、広い空間に出る。
暗闇が月明かりと蝋燭の火に照らされ、世界を映す。
崩れ落ちそうなほど朽ちた大きな神社。
月明かりを反射して、薄桃色に怪しく輝く桜吹雪。
神社の前に立つ、人。
──狐の面を被り、九本の尻尾を従えた火那森先輩だった。




