夢から覚める夢
天井が崩れ、光が差し込む。
空を見ると、夏のような青空と雲が見えた。
『──ハッ、なんだよ。やりゃあ出来るじゃねえか』
八重蜘蛛が静かに笑う。
悔しさと喜びが混ざったような笑いだった。
『──手ェ貸せって言ったな』
『良いぜ、貸してやるよ』
八重蜘蛛を貫いたままの俺の腕に、何かがまとわりつく感覚がする。
それがどんどん体の中に染み込んでいく。
「何を──っ」
八重蜘蛛を見ると、身体が糸のように解れていっている。
身体にまとわりつく感覚の正体は、彼だった。
『これで、本当の意味で俺はお前になる。お前の中でな』
『だが、気をつけろよ?』
『俺はいつでもお前を視ている』
『あまり俺に頼りきりだと──』
『今度こそ、俺がお前に取って変わるかもなァ?』
怪異らしい、歪んだ笑顔。
そんな顔を自分がしていることに、恐怖と嫌悪感を覚えた。
「──やっぱ、お前の事が分かんねえわ」
『いずれ分かるさ。“俺はお前”なんだからな』
八重蜘蛛の身体が半分ほど消えた辺りから、部屋の壁も崩れ始めた。
『──そろそろ起きる頃合いか』
『──言ったからには、最後までやりきれよ』
「……ああ。やってみせるさ」
俺への激励か、それとも──
いや。激励だということにしておこう。
別の自分とはいえ、ここでお別れだ。
最後くらいいい気分でいたい。
八重蜘蛛も、きっとそうだろう。
そう思った時には、八重蜘蛛の姿はなかった。
八重蜘蛛の身体が全て、俺と一つになる。
身体の感覚を確認する。
外見の変化はなかったが、力が増した実感はあった。
「──行くか」
脚に力を込めて、空に向かうように大地を蹴る。
自分でも驚くほどの勢いで跳んでいく。
あっという間に雲を越え、青い空を越え。
視界が深い青に染まり、意識が溶けた。
「──」
目を開けると、見慣れた天井が広がっていた。
優しい白に近い黄色い照明。
今昔堂の事務所だ。
どうやら寝ている間に、ソファに移されていたようだ。
柔らかな感覚を惜しみつつ、起き上がる。
身体は、驚くほど軽かった。
周りを見渡す。
加古川さんの姿がない。
お菊と蘭丸も。
「──加古川さん?」
視線を下に移す。
──加古川さんたちが、倒れていた。
「……は?」
思考が止まる。
目の前の状況をようやく飲み込み、ソファから飛び出して容体を確認する。
息はある。
外傷はない。
ただ、苦しそうな顔をして眠っている。
「俺が寝てる間に、なにが……」
無意識にスカーフを握る。
指先に伝わるヌルリとした感触に、思わず手を離す。
手を見ると、赤黒い液体が付いていた。
「は……?」
咄嗟にスカーフを外す。
紫蜘蛛との繋がりである紫色のスカーフが、赤黒い血のような色に染まっていた。
「紫、蜘蛛……?」
理解が追いつかない。
俺がやったのか、それとも別の何かか。
俺じゃなかったとして、誰がやったのか。
スマホを取り出し、火那森先輩の番号に電話をかける。
《おかけになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか──》
繋がらない。
いぶきさんにもかけるが、同じだった。
「どうなってんだ……」
不安に駆られて、外に向かう。
事務所を出て、本棚を突っ切り。
入り口の扉を思い切り開く。
「──なん、だ?」
目の前に広がるのは、よく知る街ではなかった。
虹色の雲。
霧に包まれたような白い街。
宙を行き交うジェットコースターのような路。
ゆっくり回るメリーゴーランド。
遠いはずなのに、異様に近くに感じる巨大な観覧車。
まるで、夢のような、朧げで儚い遊園地。
今昔堂から一歩、外に出る。
地面は微妙に柔らかく、歩きづらい。
甘い匂いが鼻をくすぐる。
一歩ずつ、確かめるように歩く。
人の気配はない。
だが、人じゃない何かは、いる。
見えないが、確信できるくらいには感じ取れる。
「夢、か?」
俺はさっき起きたはずだ。
夢の中で夢を見て、起きたらさらに夢だったなんてこと、あってたまるか。
気が狂ってしまう。
「とにかく、人を──」
『人探し?なら無駄よ。ここにはいないわ!』
虚空から声がする。
咄嗟に構えて、周囲を見る。
両手は赤黒い霧に包まれ、爪が伸びていた。
『あら?しばらく見ないうちに、またこっち側に寄ったかしら?』
声の方を見る。
瞬きの間に、見覚えのあるシルエットが現れた。
「お前は──!」
『アハッ!覚えててくれたんだ!嬉しいー!』
餓者髑髏との戦いに現れた、金髪の少女。
名前は──
『アタシの名前は覚えてる?ハミィって言うの!良い名前でしょ?』
「──覚えてるよ」
忘れるわけがない。
先輩のトラウマを弄び、学校の生徒の夢を弄んだ女。
そして、八重蜘蛛が生まれるきっかけになった怪異。
「ここはどこだ。お前がやったのか?」
怒りを滲ませた声を上げる。
ハミィは、愉しそうに傘を回している。
『アハハッ!前も似たようなの見せたし、流石に分かっちゃうか!』
『そう!これはアタシが作った舞台!』
『アンタに最高の体験をしてもらうために用意した“夢幻の国”よ!』
「相変わらずセンスがないな、お前」
辟易とした声が漏れる。
何がドリームランドだ。
どうせ碌でもない仕掛けがある悪夢の国だろう。
『あら?お気に召さなかったかしら?』
『もしかして、もっとキッツい悪夢らしい世界の方が好みだった?』
ギザギザの歯を見せて、意地悪く笑う。
『まあ良いわ。アンタの気に入るアトラクションがきっとあるから、楽しんでちょうだい!じゃーねー!』
「待て──!」
手を伸ばして、糸を放つ。
だが、霧の向こうに消えただけで手応えはなかった。
「クソ……言いたいことだけ言って消えやがった」
ため息混じりに、周りを見渡す。
気付けば今昔堂も無くなって、霧に包まれた遊園地にただ一人残されていた。
「……仕方ない」
先輩やいぶきさんたちも巻き込まれているかもしれない。
いや、アイツのことだ。
巻き込んでるに決まってる。
皆を探すため、俺もまた霧の中に消えていった。




