生き汚い餓鬼の最期と、怪異と人の“間”の存在
カゲロウの身体が萎んでいく。
黒い煙が立ち上り、彼の身体を包む。
煙が消えると、骨と皮だけになった餓鬼がいた。
『クソッ……クソッ……』
小さな拳で地面を何度も叩く。
力が入らないのか、乾いた音すら響かない。
『まだ、返してもらってないものがあります』
『そーそー。アンタには似合わない、最高のお宝がね』
墨香と白來が並んで腕を差し出す。
カゲロウの両目がほのかに光り、消える。
二人が顔を見合わせて笑い、いぶきさんの方を向いて、また手を伸ばす。
「──!」
何かに気づいたように、いぶきさんが顔を上げる。
目を開くと、紅色と黄金色の瞳が宿っていた。
『これで全て元通りです』
『やっと取り返せた!ご主人、目の具合は?』
「ええ、以前と変わらず、よく見えますわ」
両手を合わせて、ニコリと笑う。
今度は、ちゃんと合わせられていた。
『──これで一件落着か』
首のスカーフを軽く撫でる。
背中の蜘蛛脚がほどけていき、マントとツノが消えていく。
自分の中に紫蜘蛛の存在が戻っていくのを感じた。
《──もう少し、一緒になっていたかったのに》
身体が元に戻ったあと、紫蜘蛛が残念そうに呟く。
宥めるように、またスカーフを撫でる。
脅威は去った。
もう、目の前の餓鬼は死に体だ。
放っておいても勝手に消える。
加古川さんと火那森先輩も武器を下ろす。
全員が、勝利を確信した。
俺は肩の力を抜き、先輩は刀を収め、加古川さんは札を懐にしまう。
全員が帰る準備をしている時。
──ザワリと。
背中が寒気立つ。
カゲロウを見ると、小刻みに震えながら何かを握っていた。
『マダダ……マダ……オワッテナイ……!』
『ボクハ……オレハ……コンナトコロデオワレナイ……!』
か細い声をあげて、拳をさらに握り込む。
パキパキ、と何かが砕ける音がした。
咄嗟に駆け出し、餓鬼の手首を掴み無理やり開く。
手のひらには、砕けた錠剤のようなものがあった。
「何する気だ……!」
『コレガ、ホントウニサイゴダ……』
『オレハココデシヌガ……タダデハオワラナイ』
『──コノマチスベテノ、イノチヲイタダク』
餓鬼が醜く笑った。
「──っ!?」
動揺した隙をついて、痩せ細った腕が蛇の様に抜け出す。
そのまま砕けた錠剤を口に放り込んだ。
《──まずい》
紫蜘蛛の声の直後、身体が後ろに引っ張られるように飛び退く。
餓鬼の身体が、再び膨れだす。
筋肉の膨張ではなく、風船のような空っぽの膨らみ。
土色の肌は赤くなり、落ち窪んだ瞳は、眼孔から飛び出さんばかりに迫り出してくる。
口の端が裂けて大きく開き、皮一枚で上顎と下顎が繋がる。
大きく息を吸い込むと、階下から大量の火の玉が飛んできた。
同時に、意識が頭から抜けていきそうな錯覚を覚える。
《っ!?命をいただくってそういうことか!》
狐火の焦る声が響く。
俺にも察しがついた。
アレは、人魂だ。
目の前の餓鬼は、街を巻き込んだ心中をするつもりだ。
「全員これを持って!それと距離を取るんだ!このままでは僕たちもアイツの心中に巻き込まれるぞ!」
加古川さんから真っ黒な札を投げ渡される。
受け取った瞬間、抜けかけた意識が鮮明になる。
《──早く、こっち!》
紫蜘蛛の声に従い、屋上を飛び出して宙に跳び、糸を駆使して離れたビルの屋上に移る。
先輩と加古川さんも、俺の後についてきた。
「酒街くんは!?」
《いないぞ!まさかまだあそこに残ってるのか!?》
いぶきさんの姿がない。
墨香と白來も。
戻ろうとするが、紫蜘蛛に止められる。
内側から縛られたように、動けない。
《──ダメ。いくら護符があっても、無事じゃすまない》
無理やり脚を動かして、前に進もうとする。
それより強い力で、内側から締められる。
痛いくらいに。
「このまま見殺しにできるか!短時間なら──」
言いかけたところに、空気が震える感覚を覚える。
〈──私たちは大丈夫です〉
いぶきさんの声が、空に響く。
《あとは、私たちに任せてください》
《あーしたちがみんな助けてみせるし!》
墨香と白來の声も同じように響いてくる。
《──何するつもり》
紫蜘蛛が尋ねるように呟く。
理屈は分からない。
だが、いぶきさん達には聞こえたようだ。
〈八重原様、紫蜘蛛様。もしも見えるのでしたら、しっかりと目に焼き付けてください〉
〈これが、“怪異に近づいた人間の在り方”です〉
空気の震えが大きくなる。
雲もないのに、雨が降り始めた。
《──》
紫蜘蛛に無言で引っ張られる。
俺も考えていることは同じだった。
糸を放ち、宙へ跳ぶ。
壁から壁、屋上を跳ねて、なるべくマンションに近いビルに移動する。
いぶきさんの姿が見えた。
左手に槍、右手に刀。
腰の辺りからは、水でできた蛇の尻尾が生えている。
身体のあちこちに蛇の鱗が見え、頭には二本のツノがあった。
銀色の髪の先は、青と翠のグラデーションに揺らめいている。
服も大きく変わっていた。
ドレスから巫女の装束のような和装へ。
首や手足に勾玉の飾り。
まるで古代の女王。
そう錯覚してしまうほどの装いと威厳だった。
刀と槍を軽く振る。
雨が束ねられ、巨大な水の塊となり──
二匹の、巨大な蛇となった。
片方は赤目、もう片方は金目。
『──さあ、手早く終わらせましょう』
『全てを洗い流し、鎮めましょう』
いぶきさんの言葉に、二匹の蛇が頷く。
金目の蛇が餓鬼に向かって這い進み、餓鬼の身体に巻きつく。
思い切り身体を締め上げると、口から黒く澱んだ人魂が飛び出していった。
赤目の蛇が人魂を水の玉で包み、自身の周りに集める。
尻尾を振ると、人魂の澱みが消えて、街の方へと飛んでいく。
餓鬼の口から人魂が出なくなるまで、二匹の蛇が救出と浄化を続けていった。
『そろそろ、かしらね』
いぶきさんが両手を下ろす。
二匹の蛇が天を仰ぐと、一際激しく雨が降ってきた。
『──あなたのことも、救いましょう』
『それがあなたの望む救いかは、分かりませんが』
金目の蛇が、餓鬼の顔がいぶきさんに向くように締め直す。
赤目の蛇が、いぶきさんを頭に乗せて身体を持ち上げる。
両手の武器を掲げて重ね、一本の大きな刀に変える。
刃のない、四角の刀。
水を束ねて、巨大な青い刃を作る。
『──鎮みなさい』
刃を突き出し、激流を放つ。
餓鬼の口に直撃して、水を無理やり飲ませ続ける。
『ガッ……ガッ……ガボボッ……!!』
餓鬼の苦しんでも、構わず激流を叩き込む。
餓鬼が目を剥き、不自然に顔面が膨れ上がる。
やがて身体も膨れていき、金目の蛇の身体を内側から押す。
赤い肌が、白く染まる。
それを見て、金目の蛇が身体を離す。
瞬間、それまで押さえつけられていた膨張が一気に始まる。
伸び切った皮膚が、水圧に耐えきれず裂けていく。
ほぼ透明に近い血が、裂けた皮膚から吹き出す。
全身を覆う無数の亀裂が、やがて限界を告げるように広がった。
激流を止め、餓鬼に背を向ける。
二匹の蛇が、いぶきさんの背後に戻った直後。
餓鬼の身体が、爆散した。




