目を喪った少女と、目となった怪異
扉を潜って、息を吐く。
見られている感覚が消えた。
やっと、落ち着ける。
通路はごく普通のコンクリートの打ちっぱなし。
かなり下層なのか、肌寒い。
先に進んでいた墨香が立ち止まる。
『……少し、休憩にしましょう』
言うや否や、その場に座り込んでしまった。
「だ、大丈夫か?どこか怪我したのか?」
《──必要なら、応急処置はできるけど》
そばに駆け寄り、声をかける。
顔色が良くない。
『いえ、少し無理が祟っただけです。休めば、また動けるようになりますから』
壁にもたれかけて、答える。
声の感じは、かなり消耗しているようだった。
『いぶき様は、無事ですか?』
「……まだ、起きないな。息はある」
いぶきさんは、目を奪われてからずっと意識を失ったままだ。
墨香の傍に寝かせ、俺も座る。
「にしても、とんでもねえ野郎だな。人をゲームのキャラクターみたいに見やがって」
今までの仕打ちを思い出し、悪態をつく。
たとえ見られていたとしても、もう構わない。
『そうですね。それに、餓鬼らしく強欲です』
いぶきさんを見ながら、墨香が続ける。
『他人から金品を巻き上げ、欲しいと思ったものを奪い取る。元が人の子だったことが、信じられません』
声に怒りを滲ませる。
主の大切な身体の一部を奪われたとなれば、腹も立つだろう。
《──そういえば、あなたの眼について、なんだけど》
紫蜘蛛が思い出したように声を出す。
《──あなたたちの目と、彼女の目。同じじゃない。何をしたの?》
墨香がいぶきさんの顔を少しだけ見て、考え込む。
『……あなた達になら、話してもいいでしょう』
『本当は、いぶき様がお話するつもりだったのでしょうが』
意を決したように、口を開く。
『いぶき様は幼い頃、病にかかりました。ご家族の尽力も虚しく、視力を失ってしまったのです』
『いぶき様が視力を失う直前、祖父母が私のいた湖の社に参拝に来ました』
『その切実な願いが気になり、彼らに憑いて病院に行ったのです』
墨香の声が少しだけ震える。
何かを思い出したのか、目尻に涙を浮かべている。
『……そこにいたいぶき様は、笑っていました』
『病院のベッドで、祖父母を、家族を悲しませまいと』
『もう、見えていないはずなのに、それでも必死に家族を見ようとして笑っていたのです』
『ご家族が部屋を後にしてから、いぶき様は一人で泣いていました』
『家族の顔も。ご友人の顔も。好きだった本も。何も見えなくなってしまったと』
目尻から一条、涙が落ちる。
『私に出来ることは少なかった。それでも、いぶき様に憑き、仕えることを決めました』
『この優しさに寄り添う存在は、少しでも多い方が良いと』
『そして、私はいぶき様に憑き、私の目を移しました』
少しだけ前髪をかきあげ、右目の辺りを見せる。
右目は、閉じたままだった。
『しかし、片目だけではまだ生活に不便が残りました』
『かと言って、両目を渡せば私が支えになれなくなる』
『そこで私は、魂を分けてもう一人の私を生み出しました。それが白來です』
《──あれも、あなたなの?》
紫蜘蛛が驚きを見せる。
確かに、墨香と白來は外見は似ていても中身は真逆もいいところだ。
『魂を分けたといっても、別れてしまえばそれはもう別人といってもいいですから。白來と私は、姉妹のようなものです』
『生まれた白來も、迷わず左目をいぶき様に移し、仕えると宣言しました。そこは、私と同じでしたね』
ようやく、笑顔を見せる。
とても優しい顔だった。
「てことは、先輩が言ってた目を隠していないっていうのは」
『はい。私たちの“眼”が、いぶき様との“双縁”です』
『抜け道、というわけではありませんが、こうして”繋がり“が形として在るから、私たちは目を隠さずにいられるのです』
クイッと、静かにメガネの位置を直す。
「……待てよ、てことはアイツ──!」
カゲロウの仕草と言葉、そして墨香と白來と、いぶきさんの双縁。
点と点が繋がる。
《──ただ、目を奪っただけじゃない》
「ああ、墨香と白來との繋がりも奪いやがったのか!」
本当に悪辣な野郎だ。
しかも、あくまで目が欲しかっただけで二人との繋がりは簡単に捨てた。
人の心がない。
「……ご心配なさらず。今もこうして、墨香は側にいてくれますから」
死角から、声がした。
『!いぶき様、お目覚めですか!』
墨香が即座に姿勢を変え、いぶきさんの上半身を抱える。
「墨香、怪我はない?」
『はい。健在です』
目を閉じたまま、墨香の方を向く。
その後、俺たちの方に顔を向ける。
まるで、本当に見えているかのように。
「それと、八重原様に、紫蜘蛛様も」
「はい。一緒にあのホスト野郎に落とされました。」
《──あなたも含め、全員無傷》
「──そう。皆さま、ありがとうございます」
いぶきさんが安堵の声を漏らす。
「……助けてもらってばかりで恐縮なのですが、一つお願いがあるのです」
顔の前で、ゆっくりと手を合わせる。
指先が、少し外れていた。
「私の──私たちの“眼”を、取り戻してくださる?」
意志の篭った、強い声。
「──はい、必ず!」
こちらもつい、声に力が入る。
『では、そろそろ行きましょうか。いぶき様、手を』
墨香が立ち上がり、いぶきさんの手を握る。
「ありがとう墨香。でも、もしもの時は──」
『離しませんよ、決して』
いぶきさんの言葉を、墨香が遮る。
「俺たちが先行します」
《──何かあれば、すぐ知らせる》
一歩前に出る。
無機質な白色灯。
冷たい灰色のコンクリート。
寒々しい廊下の先を見据える。
遠くに、小さく階段が見えた。
「あれだな」
いぶきさんに合わせるように、ゆっくり歩く。
「……ありがとう、墨香、八重原様」
ポツリと、いぶきさんが呟いた。
「……どうしたんですか、急に」
振り返り、いぶきさんの方を見る。
「……私の秘密は、自分から伝えるには勇気が必要でしたから。きっと、ずっと伝えられなかったかもしれません」
「だから、伝えてくれてありがとう、墨香。私の秘密を静かに聞いて、否定しないでくれてありがとう、八重原様」
空いた手を口元に寄せ、ニコリと笑う。
「機会があれば、もう一つの秘密もお教えします。きっと、遠からず貴方にも関係してくることですから」
意味深な言葉を残して、墨香の手を僅かに振って合図を出す。
三人でまた歩き出し、階段を上る。
《──》
首元のスカーフが。
少しだけ、何か言いたげに揺れた。




