目を奪う怪物と、見世物にされた俺たち
マンションの一階は、見たところ普通だった。
ただ、異様な熱気と甘い香水の香りが満ちている。
「ずっとここにいると、具合が悪くなりそうだ……」
匂いで頭がクラクラする。
熱気は肌にまとわりつき、妙に気分を高揚させてくる。
──この空気そのものが、人を狂わせる。
『──暁人。ここの空気、良くない』
紫蜘蛛が俺の中に入り、守るように装束となる。
今回は口元にマスクを付けてくれた。
匂いも熱気も、かなりマシになった。
《餓者髑髏の時を考えたら、ここもすでに異界化してるかもねえ》
狐火がいつの間にか先輩に入っていた。
先輩は俺と同様、口を覆っている。
「酒街さんは大丈夫なんですか?あまりこの空気を吸うのは、良くないと思いますが」
先輩がいぶきさんを見る。
当のいぶきさんはケロッとしていた。
「ええ。体質的なものでしょうか、このくらいの毒気であれば余裕ですわ」
「私よりも、加古川様が心配です。本当についてきてよろしかったので?」
「僕は平気だよ。これでも怪異の研究家だからね」
加古川さんが首元の印を見せる。
「瘴気の影響を抑える印さ。簡易的なものだが効果はかなりのものだよ」
『ふーん……でも万が一ってこともあるし、あーしがついてあげるし』
槍をクルリと回して、白來が加古川さんの元へ近づく。
ありがとね、と一言礼をして一歩後ろへ下がる。
「まずはエレベーターを探しましょうか。兎にも角にも、上に行かないといけないのは間違いなさそうだし」
先輩が周りを見回して口を開く。
俺の知るマンションは大体フロントのすぐ近くにあるものだが、このタワマンは違うらしい。
『ここは既に敵地です。警戒を怠るべきではないかと』
剣を取り出し、墨香が構える。
いぶきさんの前に立ち、一歩進む。
その直後。
《──その心配はないよ、お嬢さん》
どこかから声が響く。
「──!」
この場の全員が武器を構える。
《あれ、心配はいらないと言ったのにこれかい?悲しいな、信頼されてないのか》
『顔も見せない奴から何言われても信じる方がムズイし。てか誰なんアンタ、口出すならまず名前っしょ』
白來が苛立ちを隠さずに声の主に反論する。
《そうだな。確かに君の言うとおりだ。では顔は見せるとしようか》
指を鳴らす音がする。
すると、タブレットを掲げた餓鬼が湧いてきた。
そこに映るのは、赤い髪の男のイラストだった。
イラストのはずだが、妙にリアルだ。
《こんばんは。SUNRISEのNo. 1ホスト兼Vtuberの赤羽カゲロウだよ》
《ほら。要望通り顔は見せたよ?感想はあるかな?》
首を左右に振りながら、カゲロウが楽しげに話す。
本人にその気はないだろうが、少なくとも俺の目には“煽り”に見えた。
《そういうの、屁理屈って言うんだよ。餓鬼大将》
狐火が嫌味を込めて言い放つ。
普段よく軽口を言う彼でも、今のは腹がたったようだ。
《ひどいなぁ。リアルでもバーチャルでも、このファンサは大ウケだったんだけど》
《あ、しみ子さんスパチャありがとう!そうだよねぇ。僕を分かってくれるのは君たちだけだよ》
《──ああ、ごめん。読み上げられた嬉しさで逝っちゃったかな?》
「──は?」
ちょっと待て。
今のは、“死んだ"って意味か?
ていうか今、スパチャって言ったか?
《ああ、言い忘れてたけど今この瞬間も僕の枠で生配信しているよ》
《ご覧?ちょうど今、同接が一万人を超えたところだ》
タブレットの画面が切り替わる。
そこに映し出されたのは、俺たちだった。
右下に小さく映る、赤羽カゲロウを名乗る男。
コメント欄が高速で流れていく。
とてもではないが、読めない。
ただ、俺たちに対する批判的なコメントが寄せられている事は、なんとなく分かった。
《というわけで、これから君たちリスナーに見せるのは、オカルト・リアリティショーだ》
《怪物を従える少年少女とおじさんは、果たして生きてこのマンションを出られるのか》
《誰が生き残るか、赤スパで答えてもらおう。さあ、みんなの意見を聞かせてくれ!》
『はああああああ!?あーしたちに許可も取らずに生配信!?バッカじゃないの肖像権って知ってる!?あーしはともかくご主人を勝手に映すんじゃねーし!』
白來の怒りの抗議が轟く。
タブレットには、怒る彼女の顔が大写しになっていた。
《そう大きな声を出さないでくれ、近所迷惑だ。ああいや、そんな大勢で踏み込んできてる時点で迷惑だが》
落ち着いた声でカゲロウが諌める。
どこまでも余裕な態度が、鼻につく。
「まあ。常識が欠如していらっしゃるのね。迷惑なのはどちらかしら?」
いぶきさんが墨香の後ろから現れる。
《──おや。見たことのある顔だ》
カゲロウの声音が変わる。
《ああ。貴女は酒街酒造のご令嬢か。嬉しいね、僕の配信に顔出ししてくれるなんて》
「心にも思っていなさそうなお世辞、感謝しますわ」
いぶきさんがずっとトゲを含んだ言葉を浴びせている。
怒りとは無縁そうな人だと思っていたが、何か思うところがあったのだろうか。
《まさか。今まで色んな方とコラボをしてきたが、貴女が一番のビッグゲストだ。嬉しいのは本音だよ》
感情が読めない声でカゲロウが返す。
《それにしても──前から気になっていたが、綺麗な目をしている。まるで宝石だ》
目を細めて、呟く。
タブレットの画面が暗転し、また映る。
ノイズの走った画面の中にいるカゲロウは、妙に立体感があった。
奥行きが壊れているような。
3Dモデル、というには嫌にリアルで、不気味だった。
《──その眼は、僕に相応しい》
言葉と同時に、画面の中で手を伸ばす。
掴む動きをした直後。
「──っ!?」
何が起きたのか、分からなかった。
辺りを目だけで見渡し、小さなガラスに映ったいぶきさんを見る。
──いぶきさんの、両目が消えていた。
出血はない。
痛がる様子もない。
だが、目だけがそのままくり抜かれたように消えた。
そのまま膝から崩れ落ちる。
空虚な眼窩が、虚空を眺める。
『いぶき様!!』
『ご主人!!』
墨香と白來がいぶきさんの元に飛ぶ。
画面の中のカゲロウが、何かを握り込んだ拳を顔の前で開き、下ろす。
《──どうかなみんな。似合うかな?》
カゲロウの目が、変わっている。
いぶきさんと全く同じ、宝石のような紅色と黄金色。
──文字通り、目を奪った。
『……っ!あなた!』
『──っざっけんな!!』
墨香と白來が武器を手にタブレットに突っ込む。
カゲロウが、再び画面の中で手をかざす。
『っ!?』
『なっ──!?』
二人の動きが止まった。
タブレットに切先が触れる直前、震えたまま動かない。
『……っ!その眼を、返しなさい……!!』
怒り、焦り。
それらが滲んだ声を絞り出す。
今にも噛み殺しそうな形相で、墨香がタブレットに剣を刺そうとする。
だが、その距離は一向に縮まらない。
《おや。こんなオマケまでついてくるとは》
表情を変えず、カゲロウが驚きの声を上げる。
だが、直後に片方の口角が上がる。
《でも残念だ。僕にはたくさんのリスナーとリアルで愛してくれる姫たちがいる。君たちのような従者は、不要だ》
『──っ!』
『うわっ──!』
追い払うように手を動かすと、墨香と白來が吹き飛んだ。
俺が墨香を、先輩が白來を受け止める。
「墨香!大丈夫か!」
「何をされたの!?」
『──っ平気、です……!』
『あンの、野郎……!』
二人が怒りを露わにする。
白來はともかく、墨香が激情を露わにするところを見たのは初めてだ。
《おお、怖い。そんな顔で見つめないでくれ》
相変わらず、ゲーム実況のような調子でカゲロウが喋る。
《そんな顔をする“元“従者たちには、ご退場願おう》
手を振り下ろす。
瞬間。
俺たちの足元に、穴が空いた。
「なっ─!?」
咄嗟に墨香の手を取り、空いた手で糸を放つが、どこにもかからない。
すぐに視線を変え、少し先に落ちていくいぶきさんに糸を放ち、確保する。
落ちていく中、少しだけ声が聞こえた。
焦る先輩の声。
白來の怒号。
加古川さんの落ち着けという声。
どうやら、向こうも落とされたようだ。
俺と、墨香と、いぶきさん。
三人で、暗闇の中に落ちていく。
底の見えない闇。
二人の手を握ったまま。
遠ざかる光を、見ていることしか出来なかった。




