路地裏の餓鬼
──また、繁華街の裏路地。
今度はレストランや居酒屋の裏手。
油の臭いや店内の熱気が、換気扇を通じて外で混ざる。
思わず顔をしかめてしまう。
そんな暗がりの路地に。
不審な影が一つ。
骨のような手足に風船のような腹。
両手に煤けた残飯を抱えている。
食べたと思えばまたゴミ袋を漁る。
──手に取った先から黒く煤けていく。
食べ物だったものが、瞬く間に炭になる。
「まあ、まあまあ。あんなもの食べてしまってはお腹を壊してしまいます」
『おいオッさん!いくら腹減ってるからってそんなばっちいもん食うなよ!ビョーキになるぞ!』
『……白來、言葉遣い』
いぶきさんと白來が黒い影に声をかける。
墨香は額に指を当て、首を振っていた。
黒い影がこちらを向く。
落ち窪んだ赤い目が俺たちを捉える。
口からはダラダラと涎が垂れていた。
「いや、どう見ても怪異だろあれ!」
「……餓鬼ね、あれ」
──ガキ。
だが、どう見ても子供って感じではない。
白來の言う通り、どう若く見積もっても中年だ。
『餓鬼。欲に堕ちた人間、その魂の成れの果て』
『あれは暴食鬼。食欲に堕ちた餓鬼です』
墨香が眉一つ動かさず分析する。
「あら。ではその食欲、私たちで鎮めてあげましょう」
いぶきさんが両手を広げる。
墨香が水を纏い、黒い剣となって右手に移る。
刀身に六本の枝刃が伸びた、不思議な剣。
──白來は、何もしなかった。
「あら?白來、どうしたの?」
白來を見て、首を傾げる。
『……あーしは、行かない』
『アンタ達、まだ戦えないんでしょ。戦えるようになるまではあーしが見ててやる』
白來が、先輩を見る。
『アンタにもう一度見せてあげる。あーし達がどういう存在か』
白來の左手に白い槍が現れる。
口を開けた蛇のような、二又の槍。
「ふふ。それじゃあそっちは任せたわ、白來」
いぶきさんがくるりと餓鬼の方に向き直る。
『タリナイ……タリナイ……』
餓鬼が呻く。
全身を震わせ、今にも飛びかかりそうだ。
「まあ。そんな立派なお腹をしていて、まだ足りないだなんて欲張りさんね」
『あれは贅肉ではなく淀みの類ですよ、いぶき様』
いぶきさんと墨香はどこか漫才のようなやり取りをしている。
怪異を前にしてなおあの調子を崩さないのは、肝が据わっているのか天然なのか。
『オマエノニク……ヨコセェッ!』
餓鬼が舌を鞭のように伸ばす。
いぶきさんの腹部に吸い込まれるように飛んでいく。
このままでは、貫かれる。
「お行儀が悪いですよ」
剣を軽く上に振る。
──突然現れた水の壁が、舌を切った。
『ガガッ!?』
餓鬼が怯む。
こちらに飛んできた舌先を白來が槍で弾く。
「まずはちゃんと手を使わないと」
また剣を振ると、今度は餓鬼の両腕が水に包まれた。
剣をかき回すと腕の水が攪拌される。
水が刃となり、餓鬼の腕を切り裂いていく。
『ギギッギャァッ──!』
あっという間に腕を包む水の玉が赤く染まる。
《それと、うがいもお忘れなく》
墨香の声が響く。
餓鬼の口から水が溢れる。
瞬く間に溺れていき──
大量の血と水を吐き出し、倒れた。
《──少々、やりすぎでしょうか?》
「いいえ。身体の内から綺麗になれば、より美味しく頂けるというもの。お腹も見事に引っ込みましたわ」
善いことをしたと言わんばかりに、口調が弾んでいる。
──やっぱり、この人はどこか人間離れしている。
あの倒し方は、正直夢に出そうだった。
『ちょっと墨香、後ろの二人ドン引いてるんですけど』
白來が槍に身体を預け、呆れるように声を出す。
「あらいけない。せっかくのお披露目会で怖がらせてしまったわ」
《……やはり、やりすぎでしたか》
二人から、やってしまったといった具合の返事が飛んでくる。
白來が大きなため息をつく。
この子は、意外と常識人なのかもしれない。
「ひとまず、ここの怪異は倒しましたし今日は解散と──」
先輩が口を開いた瞬間。
白來の槍が、先輩の横目を掠った。
『何言ってんの。まだ終わってねーし』
後ろを振り返る。
さっきの餓鬼とはまた違う餓鬼が、先輩に喰らいつこうとしていた。
「──!」
顔面を貫かれた餓鬼は、そのまま塵となって消えた。
「あ、ありがとう。白來ちゃん」
『まだ礼を言うには早いっしょ』
白來が穂先を上に向ける。
それを目で追う。
壁が、蠢いた。
ざわっと、光に反応した蛾のように。
──壁面に、夥しい数の目が浮かぶ。
「うわっ──!」
思わず声が出る。
咄嗟にスカーフを握るが、すぐ紫蜘蛛には頼れないことを思い出す。
──こんなにも、頼りきりだったのか、俺。
〈オンナダ〉
〈オトコヨ〉
〈イイカラダシテル〉
〈コロストコロ、ドウガニスレババズルゾ〉
餓鬼達が口々に言葉を発する。
どれもこれも穏やかではない。
「白來、こちらへ。流石にあの量は墨香だけでは洗いきれないわ」
いぶきさんが手招きする。
声には静かな圧を感じる。
『でもまだコイツらにあーしの事見返せてない!』
《それはいつでも出来るでしょう。死んでしまえば一生叶わなくなるのよ》
言い合いをしている間にも、餓鬼達がにじり寄ってくる。
一匹が飛び出してきた。
『──邪魔すんなし』
一瞥もせず、槍で切り払う。
そのまま槍を構え、餓鬼の壁を睨む。
『さあ来いガキども!あーしの目が黄色いうちは、この二人には指一本触れさせない!』
派手に啖呵を切る。
同時に餓鬼達が襲いかかる。
『そおおりゃああああ!!』
槍を振り回すと、本物の蛇のようにしなり、伸びる。
穂先が餓鬼を喰らうように貫き、柄がまとめて薙ぎ払う。
「すげえ、本物の蛇みたいだ」
「……強い」
先輩と二人で白來の戦いぶりに見惚れる。
『どーよ!ビビったっしょ!?』
槍を振る手を一瞬止め、白來がこちらに視線を向ける。
だが。
その一瞬を見逃さなかった餓鬼がいた。
「──っ!白來ちゃん!後ろ!」
『──えっ?』
一際凶悪な牙を湛えた餓鬼が、白來に噛みつこうとしていた。
あれに噛まれれば、間違いなく肩を丸ごと食いちぎられる。
「まずい──!」
咄嗟に身体が前に出る。
紫蜘蛛が眠っていることも分かっている。
それでも、庇うように足が動いた。
──左腕が、引っ張られる。
糸で絡め取られるような。
何度も俺たちを助けてくれた、あの感覚。
指が銃の形に曲がっていく。
指先から、糸弾が放たれ──
餓鬼の顔面に直撃した。
《──おはよう。暁人》
ずっと聞きたかった、彼女の声が響いた。




