怨嗟の図書室と、火を灯す私
東棟。
ここは図書室と資料室が並んでいる平屋建ての校舎。
静かな場所で、受験生に人気の場所。
だが、今はその静けさが耳に痛い。
無人の校舎。
当然、灯りはない。
夏だというのに妙に寒い。
汗すら引いていくような冷たさ。
『いやーここで暴れるのは遠慮したいね、僕。せっかくの本が燃えちゃうし』
狐火の軽口が、図書室に響く。
本来は私語厳禁の場所だが、今はその声がありがたい。
「一応、入ってはみたけれど……」
暗いだけで、目立った異変はない。
校門を超えた時に感じた"視線"も、ここにはない。
「狐火、灯り頼める?」
『あいよ、仰せのままに』
ポッ、と。
狐火が手のひらから火の玉を浮かべる。
『それで、何から調べる?』
「そうね。まずは──」
照らされた範囲を見渡す。
その時──本棚に違和感を覚えた。
暗い。
いや、違う。
"黒すぎる"。
本が並んでいるはずなのに、そこだけが光を吸い込んでいるように沈んでいる。
「あの本を見てみましょう」
狐火の半歩後ろを歩く。
こういう時、彼は常に前を行くから頼もしい。
『へぇ──こりゃすごい。まるで墨に漬け込んだみたいだ』
狐火が一冊、手に取る。
背表紙、表紙、裏表紙。
くるくると回して確認する。
私も一冊、分厚い上製本を手に取る。
──軽い。
大きさの割に、紙一枚にも満たないくらいの重さ。
中の紙も真っ黒だ。
「こんな本、なかったはず」
視線を表紙に戻す。
──文字が、浮き出ていた。
【アイツを殺す方法】
「っ……!?」
黒地に、滲むような赤。
血で書いたような、嫌な色。
図書室にはないはずの、異質な本。
──開くべきではない。
頭では分かっていても、指が止まらない。
表紙をめくろうとして──
『待った主。それは僕がやる』
狐火に本を取り上げられる。
『この手のものは、大抵碌でもない仕掛けがある。僕が童の頃にも流行ってたよ、呪詛を書き殴った書物を嫌いな相手に送りつける、とか』
狐火が、目を細めながらページをめくる。
瞬間。
本が燃えた。
「っ、火が」
『ほらね、思った通りだ。僕が"見た"途端に燃えた。少なくともマトモな中身じゃなかったってこと』
火を払いながら淡々と話す。
「じゃあ、ここにある本は──」
『ああ。おそらく全部、"そういう類"だ』
──既に侵食されている。
図書室の広さを考えると、全ての本を一夜ですり替えるのは難しい。
「一体誰が、なんのために……」
思考が巡りかけたその時。
『──主、考え事は後にしたほうが良さそうだ』
狐火の声にハッとする。
気付けば抱き寄せられている。
彼の右手には刀。
『原因が、お出ましだ』
狐火の視線の先に。
灯りを喰うような、黒い影。
〈────ユルサナイ────〉
重く、低い声。
空間が軋む。
〈────ドウシテ───〉
本棚が、微かに鳴る。
〈────オマエモ────
クルシメ────!〉
影が、迫る。
『主!』
狐火の感覚と混ざる。
そのまま瞬時に刀を握り、振り抜いた。
斬撃。
影が、両断される。
〈───イタイ───〉
呻きが響く。
〈──オマエモ──オナジカ──!!〉
空間が大きく揺れる。
本が雪崩のように棚から落ちてくる。
《主!ここを出るぞ!》
「ええ!」
行手を阻む本を斬り払いながら、出口に向かう。
すぐ辿り着き、扉に手をかけるが──
「っ!?開かない!?」
扉が動かない。
壁にでもなったかのようだ。
本が落ちる音が止み、揺れがおさまる。
床に散らばった本から。
──影達が、立ち上がる。
〈イタイ〉
〈カエシテ〉
〈ダシテ〉
〈カネナンテ、モッテナイ〉
「なに…これ…」
《主、聞くな》
「ええ…でも」
分かってはいる。
でも、耳を塞げない。
〈──殺す〉
〈刺す〉
〈潰す〉
〈突き落とす〉
──急に、言葉が"整う"。
〈両親を殺す〉
〈兄弟を殺す〉
〈辱めて殺す〉
〈幸せを壊す〉
〈許せない〉
〈アイツだけが笑ってる〉
〈俺をこんなに壊したのに〉
そして。
〈──俺は死んだのに、なぜお前たちは生きている?〉
「──っ!」
胸が痛む。
吐き気がする。
彼らの声が、身体の内側に入り込んでくる。
そして。
──自分で、自分の首を絞める。
《言わんこっちゃない!》
《主!少し我慢してくれ!》
──身体の内側が焼かれていく。
「くっ…うっ…!」
熱い。
でも、その火が声を焼いていく。
指の力が、緩む。
詰まっていた息が一気に溢れ、激しく咳き込む。
「──やってくれたわね」
左手に炎を収束させる。
巨大な火球。
それを、放つ。
火が、影を飲み込む。
紙片を巻き上げ壁を穿つ。
〈アアァァ──!〉
〈アツイ──アツイィ──!〉
『ごめんなさい──でも、すぐ終わるから』
崩れた壁から外へ出る。
「ハァッ──!」
翻り、刀に炎を纏わせる。
横薙ぎに──振り抜く。
炎の斬撃が鳥の如く放たれ、図書室を断つ。
影が、消えていく。
──全てが、燃えた。
一冊の、黒い本を残して。




