第三十五話 蔵へ逃げ込んだ
「ど、どこに逃げるのよ?」
張りつめた空気に堪えきれなくなったのか、背中の彼女が僕に尋ねてくる。こんなときに不謹慎な話だけど、吐息がこそばゆい。
「一先ず、的当てや模擬戦の試験をした場所にあった蔵だ」
あそこは石造りだったから、木の小屋に比べれば多少は持つだろう。彼女にはそこで休んでいてもらう。
「あんなところまで、本当に行けるの……?」
「行けなかったら、悪いけど一緒にレッドベアの腹の中だな。精々祈っててくれ」
会話を切り上げるために言ったつもりなのだが、彼女は本当に神へ祈りを捧げはじめる。驚いた。本当にするのか。
とは言え、今は文化の違いや彼女の敬虔さに感心している場合ではない。なにせこっちは、人を負ぶることで両手がふさがっているのだ。投石をできない以上、一刻も早く蔵へ辿り着かなければ。
そんなとき、木陰の奥から声が聞こえた。
「だ、誰かいますか……っ!」
「ああ! ここにいるぞ!」
一度引き返して向かうと、そこにいたのはオリヴィアさんだった。僕に気づいて目を丸くしたあと、一目散にこちらへ駆け寄ってくる。
「じょ、ジョージさん……!」
「オリヴィアさんっ、無事だったのかっ」
彼女は、肩を激しく上下させながら僕に答えた。
「は、はい。す、凄い声が聞こえて……、に、逃げる途中で……」
「よかった。実は今、魔物が出てるんだ。他の人たちのこととか、わかる?」
「す、すいません……そこまでは、わからなくて……」
別にオリヴィアさんは悪くない。僕だって、背中の彼女が悲鳴を上げていなかったなら、間違いなく気づくのが遅れていたことだろう。
「仕方ないよ。あとこれから蔵に行って、この人を休ませたいんだ」
「で、でしたら、こちらへ……」
そう言うと、オリヴィアさんは先に進んで行ってしまう。幸い足の速さが違うので置いていかれることはないが、いきなりどうしたんだろう。
「ね、ねえ。本当にこっちなの……?」
背中の彼女の問いかけに、オリヴィアさんは頷いた。
「ぎ、吟遊詩人の魔法で、地形を教えてもらって……こ、こっちが近道みたいです……っ」
疑うわけではないが、本当にそんなことができるのだろうか……いや、今は足を止めている暇はない。
あの慎重な人が、確信でもあるかのように迷わず駆け出したのだ。ここはオリヴィアさんを信じて、走らなくては。
そうして少しすると、急に森が終わり開けたところに出る。目の前には、積まれた木刀や壊れた的、そしてお目当ての蔵があった。
「あ、あそこ! 本当にあったわよ!」
「ああ、早く入ろう」
「は、はい……って、え……あ、あれは……」
オリヴィアさんの声音が、絶望に染まる。僕らがちょうど木々の間から飛び出したところに、レッドベアが出てきたのだ。
「れ、レッドベア……そんな……」
「なによっ、ここまできて……っ」
きっと奴には、僕らが三匹の獲物に見えていることだろう。涎を垂らしながら舌なめずりをし、喜色を浮かべながらこちらへ揚々と向かってきた。今から彼女を地面へ下ろし、レッドベアへ投石して間に合うとはとても思えなかった。
さっき石を三つ投げてから、まだ時間はそれほど経っていないのだ。けれど今からすることで魔力を使い、そのあと彼女を背負い直してオリヴィアさんと蔵へ逃げ込めるかもわからない。
最低限の計画性すらない、完全な出たとこ勝負だ。今の未熟な僕自身を呪うしかないが、仕方ない。死中に活路を見出だす他ないのならーー。
「おい、しっかり掴まってろよ」
「な、何をする気よ……」
「オリヴィアさん、俺に続け!」
叫んで着いてきてくれると信じながら、猛然と迫るレッドベアへこちらから突っ込んでいく。とは言え、もう距離は詰まってきていた。
三歩ギリギリ助走に使える。予測が狂わないよう念じながら、大きく前へ跳ぶよう進み、三歩目で僕は地面を蹴った。
そして背負った彼女ごと、僕は宙へ跳躍する。高さ自体は、なんとか間に合った。そして沸き出す力を感じながら、ちょうど突っ込んできたレッドベアの鼻から右眉間辺りへ、伸ばした両足のその靴の爪
つま
を、思いきり突き立てにいった。
猛スピードで突っ込んできた巨大なレッドベアの、その圧倒的な重さに足から脳天まで打たれたかのような衝撃を受けた。けれど、さほど吹き飛ばされる感覚がないのは、打者に当たってすぐその場に落ちるデッドボールのように、相手のダメージが大きいことの証拠。
なんとか体を捻り、背中の彼女の体重を受けながら前受け身を取る。これで倒せなければ、諦めるしかない。そう思いながら、レッドベアのほうへ首を捻るとーーそこには、顔面が不自然に陥没したレッドベアが、息もせず仰向けに倒れていた。
「じょ、ジョージさんっ、大丈夫ですか……っ」
「止まらないで! オリヴィアさんは先に蔵を開けて!」
近くにいるのが、こいつ一匹とは限らない。ふらつく足取りは、衝撃のダメージだけでなく魔力の大量消費の影響もあるのだろう。
単なる涸渇ならなんとかなっても、回路のほうなら終わりは近いな。そう思いながらレッドベアの死骸を回収し、蔵のほうへと駆けた。
「こ、こっちです!」
「もうすぐよ! 早く!」
「ああ!」
蔵の扉を開けて待つオリヴィアさんと、励ましてくれる背中の彼女へ返しながら、後ろにレッドベアがいないことを祈る。そして中へ飛び込み、倒れながら必死に酸素を取り込んでいるとき、大きな音が聞こえた。
振り向くと、分厚い扉はたしかに閉められ、そしてオリヴィアさんもまた荒い息でその場に座り込む。
一先ず、まだ一先ずではあるが、それでも僕らは助かったようだ。
ちょっと今後の展開に齟齬が生まれそうなので所々書き直す予定。プロット甘くてすまぬ…すまぬ…。
2019年2/6
一緒に逃げる受験者を女の子に変更。ポンコツンデレ。




