第二節 残響の地図
春になった。
明石の春といえばいかなごのくぎ煮。いかなごは春の瀬戸内海で採れる小さな魚で、くぎ煮はこの小魚を醤油と砂糖で甘く固く煮たものだ。その煮炊きの熱で立つ甘い匂いが村中に漂っている。タマは嫌いだったみたいだけど。
私はくぎ煮好きだ。ただ日持ちはするんだけどすぐに本当の釘みたいに固くなっちゃうから、割と急いで食べないといけない。なので大量に作ってしまうと毎晩くぎ煮地獄が現出してしまう。でもつい沢山作っちゃうんだよね困った事に。にんげんだもの。
そんな香ばしい空気が漂う今日は春の日差しが心地よくてついついふらふら出歩いてしまう。風が気持ちいい。私はくぎ煮の香りの中、堤防を散歩していた。いつだったか最初にタマと契約してキャストと戦った場所だ。古いベンチを見つけて座る。あの時のタマは格好良かったなあ。
ぼー、っと波が打ち寄せる海岸を見ていると、突然目の前の波にパターンが見えた。いや正確には見えたのではなく神経の奥で何かが反応したような感じ。波の打ち寄せる振動の中に複数の規則性を感じる...因子のゆらぎに似た感覚。
私は驚いて立ち上がった。同期はあり得ない、猫いないし。だがタマが私の神経系に残した残骸、いやゴン太に言わせれば「残響」か。夢の中でたびたび出てきた因子の記憶。タマのイレギュラーな因子の刻印。それが目が覚めている時にも出てきた? 何故? どういう事?
理由は良く分からないが、周辺に微小な因子の痕跡が漂っているのが「見える」。これはゴン太のチーズの因子だ。こっちはムギの。ほんの少しだけどムギの子供のものもある。猫の残した因子の欠片が見えている。他の猫のものも、どれがどれかは分からないが漂っているのがわかる。
そして別のものを感じて恐怖が蘇る。そこにはキャストの匂いがあった。キャストも因子で動いていたんだ。そう言えばキャストは地球の動物を使って作られていたんだっけ。でも明確に異なる猫とキャストの因子。それは私の神経系に刻み込まれたタマの残響が紐解くフォージの言語と猫の方言の違い。言語の匂いの地図。
...タマ。なんてものを残してくれたんだ。




