第一節 帰路
「私、明石に帰ります」
決戦から3日がたった。戻る意思を最初に祥子さんに伝えた。なんだかんだで一番そばにいてくれた契約者。
タマは宿舎の布団に寝かせてある。朝と晩の2回だけ食事する時とトイレ、水飲み以外はずっと寝ていた。幸い苦しそうな雰囲気はない。足腰も力強さこそ無いもののしっかり歩けている。ただもう鳴く事はない。まるで何も無かったかのように静かに過ごしている。ただの飼い猫だ。
タマは明石に帰すべきだ。きっとじいちゃんのそばに戻りたいだろう。同期していた時になんとなく神経系にじいちゃんの痕跡があるのは感じていた。タマはいつまでもどこまでもじいちゃんの猫なのだ。少し寂しい気もするが、でもそれが私の好きなタマだ。
祥子さんは、優しいような悲しいような眼差しで私に無理に微笑む。
「...そう。それがいいわね。少し遠回りになるけど、琵琶湖経由じゃなくて丹波経由で帰りなさい。京都と大阪は治安が悪いらしいからね」
「そうらしいですね。人口多いとどうしてもそうなるんでしょうか」
「そうみたい。んで私も一緒に帰るわ。丹波に着いたら巌さんやったっけ?を連れて警護してもらうついでに二人で明石に向かいなさい。もう丹波にも契約者は必要無さそうだからね」
「祥子さんも戻るんですか?」
「うん、一旦ね。事の次第を報告しなきゃだし。電気を丹波まで引く相談もしなきゃいけないわ。プリンのためには何でもするわよ」
いつもの祥子さんだった。
「いつごろ出発するつもり?」
私は少し考えて言った。
「なるべく早めに。特に準備はないので、祥子さんのタイミングでいいですよ」
「そう...私も大して片付けたい事もないから、明日の朝一番で出発しましょうか」
「はい」
猫と人間の食料と水以外に必要なものなんて無い。旅の準備はすぐに終わった。背負子のタマの寝床を丁寧に整える。できるだけ揺らさないように、息苦しくないように、でも風を受けないように。声を出したら聞こえるように。夜でも暖かいように。
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その日は発電所のみんなに帰る挨拶をして回った。最初はキャストを埋め続けている荒木さんとチビの所。
「荒木さん、チビちゃん、私明石に戻ります。お世話になりました」
荒木さんは穴を掘る手? を止めて振り返る。暑いのか頭にタオルを巻いている。なんだか日焼けした肌に妙に似合う。
「そうか。そうだな、やっぱ故郷に帰るのが一番だな」
荒木さんは西の方を見つめて、
「俺等もこれが一段落したら、対馬に戻るつもりだよ。もう穴子が食えない生活には耐えられそうにない」
意外な答えが返ってきたもんだ。
「穴子ですか。明石も穴子は有名なんですよ。蒸したらおいしいですよねあれ」
「そういや明石も名物みたいだな。でもなこれだけは断言する、対馬の穴子の方が絶対旨い。一回食べに来な」
「えー。明石のほうがおいしいですよう。有名なのは広島みたいですが、鳴門の渦潮で揉まれた明石のほうが絶対に身が締まってます」
「いいや、対馬海峡だって荒海なんだぜ。身の締まりは負けないぞ」
不毛な言い合いだ。御当地自慢は決着が付かないものだろうなあ。
「まあ互いに相手のを食べた事ないんだから勝負は付かないよな。よし、世の中が落ち着いたら絶対対馬に来いよ。歓迎するぜ」
そこで「タマもな」と付け加えそうになって慌てて口を閉じる。私はそれに気づかないふりをして「はい、是非」と言い残して会釈してそこを離れた。
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次に荒木さんから100mほど後方で作業していたレラさんの所へ。レラさんは低体温症で倒れたが、一日寝てただけでもうヌプリともどもすっかり元気になっている。元々小樽の山奥育ちだから体力はあるのだろう。
彼女は停止したキャストに雪を降らせて冷やしていた。荒木さんがキャストの死体を埋め続けているが、何せ1,000体を大きく超える数だ。2~3日ではとても終わるものじゃない。そして7月の気温ではあっと言う間に腐って発電所は耐えられない臭気に包まれる事になる。
そこでヌプリの出番、という訳だ。電動ブルドーザーでキャストをとりあえず一箇所に集め、そこにヌプリが雪を降らせる。完全に腐敗を防げる訳ではないけど、埋めるまでの時間かせぎにはなってるようだった。
「レラさん、おはようございます。大変そうですね」
「あれ、ユキちゃんおはよう。まあ大変なのはヌプリだけで私は見てるだけなんだけどね」
「ニギャー」ヌプリは不満そうにひと鳴きする。
「あっはは、抗議されてますよ」
レラさんは苦笑する。
「まあ私も猫も臭くなるのはご勘弁だから、しばらく頑張るしかないってね。それで、どうしたのわざわざ」
「私とタマで明石に戻るのでご挨拶を、と」
レラさんは眉を上げる。
「あら。そうなんだ。うん、そうだね、帰りたいよね」
「はい。タマは故郷で過ごしたいと思ってるはずなんです」
「そっかー。私も一旦帰ろっかな。ヌプリの父ちゃん母ちゃんとも会いたいし。でもここでフォージの研究もしたいんだよね。悩むなあ」
へえ、研究とな。
「なんかね、大陸にいる沢山のオオヤマネコの知識が少しずつ入ってくるんだよ。で、だんだんフォージの使ってたコードが読めるようになってきてね。これが結構面白いんだ。互いに排他制御の存在しないマルチスレッドなんだけど、それが何故か競合を起こさないように自律的に相手の状態を読んで...」
「うわー、レラさんストップ。私を誰だと思ってるんですか、無学の極みのユキですよ。分かるわけありませんって」
「あははごめんごめん。ついつい。でもユキは頭悪くないと思うけどな。学校なんて行ってないんでしょ。それなのにちゃんとブラックアウト前から生きてる大人と会話できてる。普通の15才には無理だと思うよ?」
そんな気はしていた。でもそれはタマと同期してたおかげ。レラさんじゃないけど、色んな知識を急速に吸収してたと思う。
「私も一度小樽に帰るかもしれないけど、たぶんまた敦賀に来る。その時はユキとも会えるといいね」
「...はい」
とは答えたものの、正直敦賀に戻ってくる気はなかった。タマと同期できない私には、ここでやれる事なんてない。
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次は救護棟のナディムさんとクマールさん。二人とも足を骨折しておりまだまだ安静だ。特にナディムさんは両足を複雑骨折していて、治癒には長い期間がかかる見込みらしい。内臓とかの損傷であれば市内の病院に送る所だが、単なる骨折なので発電所で治療している。そもそも市内にトラやらベンガルヤマネコやらデカいのが現れたら、それこそパニック必至だ。
発電所の救護棟には個室なんて高級なものはない。二人は6人部屋に並んで横たわっていた。他のベッドも負傷した契約者や職員で埋まっている。
ライムはナディムさんのベッドの下にいた。普通の病院なら絶対に衛生面で許されないだろうけど、ここは発電所だ。功労者の猫を追い出そうなんて職員は誰もいない。
ただライムはともかくラオフーは、もう物理的に病室に入るのが無理だった。ストレッチャーが入る幅くらいでは扉を通る事ができない。当然ベッドの下に寝るのも無理。仕方なくラオフーは救護棟のクマールさんが寝るベッドの横の窓の下に居座っていた。恐れ多くて誰も近寄れない。
そんなラオフーは朝夕だけ無音でいなくなる。誰もエサやりとかしていないから何か狩りをしてる事は間違いないが、誰もその現場を見た事がない。いったい何を獲って食べているのか。皆が疑問を抱いているが、しかしあえて知ろうとするものもいない。怖すぎる。山の神様には近づいちゃいけないんだと誰もが思っていた。
でも私は、同期してる時にラオフーの心に触れていた。実は温厚で主人思いの良い奴なんだよこの猫は。たぶんクマールさん以外でラオフーを怖がっていないのは私と詩織さんだけだろう。まあ詩織さんはキャストすら怖がらなかったからなあ。あの人は例外。
ラオフーに手を振って脇を通り過ぎ、病棟に入る。
ナディムさんもクマールさんも起きて本を読んでいた。私に気づく二人。ライムがベッドの下から顔だけニュっと出したが、すぐに引っ込んでしまう。「なんだお前か」みたいな感じだろうか。
二人とも、短期間でそこそこ日本語を話せるようになっていた。同期の良いところで、相手と念話する際に言葉とイメージが同時に来るから理解が早いんだそうだ。
おかしいなあ。じゃあなんで私は英語を話せるようになっていないんだ。え、頭の出来の問題? タマに任せ過ぎてた? そうかもしれない。悔しい。
ナディムさんが明るく声をかけてくる。
「やあユキ。キョウはドウシタ?」
「ナディムさん、クマールさん、おはようございます。具合はいかがですか?」
「ああ、ベツにモンダイない。ただの骨折ダカラネ。時間がかかるダケ。クマールもソウ」
隣の窓際にいるクマールさんもこちらを向いて頷く。元々彼は饒舌な方ではないしこんなものだろうか。
「それは良かったです。早く治してくださいね。ラオフーが退屈そうにしてますよ」
「ソウダナ。ワタシもタイクツだ」クマールさんが声に出す。大きな筋肉質の体から出る声は低くて太い。日本人には滅多にいないタイプだろうな。
「それで、今日はご挨拶に来ました」
「ゴアイサツ?」
「はい、祥子さんと一緒にここを離れようと思います。明日出発します」
「ハナレル?ドウシテ?」
「タマを故郷に帰してやりたいんですよ」
「フルサト?」クマールさんが問う。
「Hometownデスヨ」ナディムさんが答える。
「Oh、Hometownか。ソレはイイ。モドレルならソレがイイ」
「はい、ありがとうございます。お二人は足治ったらどうするんですか?」
ナディムさんは笑顔で
「ワタシはちょっとマヨッてます。バングラデシュに帰って国のフッコウもしたいデスが、フォージの調査もキになるんですヨネ」
「ワタシはインドにカエる」
クマールさん、表情は変わらないが力強く言葉にする。
「ベンガルトラはやはりインドにいるベキだ。ツルガの森は狭すぎル。ツガイもマダだしな」
なるほど。ラオフーの巨体にとってはそうかもしれない。
「じゃあ、お二人ともお世話になりました。お二人がいなければ私たちは皆死んでました。ありがとうございました」
深く腰を折って礼をする。
「キにしないデ。こっちもタマのオカゲで生き延びたんだカラ」
「ありがとうございます。タマも喜びます。では失礼しますね」
病室を後にする。こんな立派な人達と一緒に戦えた事は私の誇りだ。彼らも彼らの猫たちも一生忘れないだろう。
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そして隣の病室。そこに点滴チューブを付けて寝ているイーシャさんは、まだ目覚めていなかった。
ユキヒョウのシェンはベッドの足元で丸くなっていた。最後の空間跳躍で因子を失ってしまって体の光を失ったシェンだが、肉体自体は無事で特にケガなどはない。契約者同士では無くなった二人だが、そんな事は関係ないと言うようにイーシャさんに寄り添っていた。
イーシャさんの眠りは単なる昏睡などではなく、深すぎる同期による神経系統の破損だ。ただレラさんが調べたところ神経そのものに焼損とかはなく、あくまで因子レベルでの障害らしい。同期相手がいなくなったにも関わらず同期が続いてる状態だとか何とか。たぶんそのうち勝手に目覚めるんじゃないか、とはレラさんの言。
「イーシャさん、シェン、タマと私を最後まで守ってくれてありがとう。なんとかフォージを退治できました。みんなのおかげだけど、特に二人のおかげ。早く目を覚まして元気なふたりに戻ってください。私は故郷に帰ります。さようなら」
聞いている人もいない挨拶。でも言葉に出したかった。ありがとう、イーシャさん、シェン。
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救護棟を出る。少し歩くと消防用水の水槽の前に詩織さんとマリンがいた。決戦前に荒木さんが掘った堀から、水を水槽に注いでいる。
「詩織さん、こんにちわー」
「ユキちゃん。こんち」
「にゃ」これはマリン。
「私たち明日、明石に帰ります。祥子さんもいっしょです。なのでご挨拶をしようと」
詩織さんの表情は何も変わらない。というか表情が変化するのを見た事がない。最初の頃に比べればだいぶお話してくれるようにはなったけど、どうなってるんだろうこの人の脳みそ。西表島ってこういう人ばっかりだったら怖いなあ。...違うよね? 詩織さんだけだよね?
「そか。ユキタマのお陰で生き延びた。ありがとう」
「そんな。みんなで頑張ったからですよ。特に詩織さんがいなかったら建屋のパイプ壊されてましたよ」
「えっへん」
無表情でそんなこと言われても。本当にこの人わからん。
「ところで気になってたんですけど」
「?」
「その堀って海水ですよね。防火水槽に入れちゃって大丈夫なんですか?」
詩織さんの口の端が僅かに持ち上がった!これは彼女なりのドヤ顔か!初めて見た。
「ふっふっふ。良い所に気づいたねユキ君」
ユキ君。
「マリンは水に色んなものを混ぜたり、逆に抜いたりできるんだよ。すごいだろー。塩は抜いて美味しく頂きましたのさ」
「ええー、混ぜるのはともかく塩を抜く?そんなんどうやって?」
「秘密だよ。ヒント。マリンの事は今後、悪魔のマックスウェル君と呼んでくれたまへ。はっはっは」
「さっぱりワカリマセン」
やっぱり契約者最強は詩織さんだ。攻撃・防御・サバイバル・精神力・スルー力。全てが高水準過ぎる。フォージ並に宇宙人かもしれない。
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最後に制御室に向かった。
源三さんはいつもの制御卓の前に座っていた。横の壁には14人の技術者の名前。
「源三さん」
「ん? ああ嬢ちゃんか。どうした、一人か」
「はい。タマは寝てます。明日、明石に帰るのでご挨拶に来ました」
源三さんは椅子を回してこちらに振り返る。
「そうか。明石か。一回だけブラックアウト前に瀬戸内海を旅行したことがあるんだが、明石は良いところだったな。お好み焼きと卵焼きが美味かった。あれ、敦賀に帰ってきてから作ろうとしたんだが、どうやっても再現できなかったんだよな。やっぱり食い物はその土地あってのものだな」
「あれれ。源三さん意外と食いしん坊さんだったんですね?」
「そうかもしれん。まあ祥子嬢ちゃんのプリンに対する情熱には負けるがな」
「あっはは、あれは情熱って言うより執念ですね。今回祥子さんも一緒に途中の丹波まで帰るんですが、しっかりレシピ持ってましたよ」
「そうか」
上を向いて腕を組む。しばし沈黙。そして改めてこちらを向く。
「ここはお前達が守った原子炉だ。フォージの技術解析も進み始めてる。面白い事になりそうだから、またいつでも遊びに来い。待ってるぞ」
「はい、お世話になりました。またいつか」
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次の朝、私と祥子さんが発電所から出発しようと宿舎から出たら、そこには満永さんを始めとするイエネコ部隊の皆と、助っ人契約者が揃って待っていた。外国組は全員入院中なのでいない。源三さんもいない。炉から離れるつもりは無いんだろう。
「祥子さん、ユキさん、クロちゃん、そしてタマちゃん。お疲れ様。せめて皆で見送りをしようって話になってね」
と満永さん。持っていた小さな手提げ袋を2つ、祥子さんと私に手渡してくれる。
「はいこれ、みんなの寄せ書きと道中のおやつ。日持ちするものとしないもの両方入ってるから早めに食べてね。あと秘蔵の角砂糖とかも入ってるから行動食がわりに食べて」
なんだかビックリだ。まさかこんなに良くして貰えるなんて。少し涙が滲みかける。
祥子さんも照れ隠しなのか、ちょっと斜めを向いて答えた。
「うん、ありがとう。死にそうな戦いやったけど、終わってみれば結構楽しかったわ。あ、亡くなってる方もいるのに不謹慎ね、ごめんなさい。でも皆また会えるといいわね」
私は感極まった感じで言葉が出てこない。満永さんが後を受けて続ける。
「君たちは間違いなく英雄で、地球の救世主だ。ここの全員を代表してお礼を言わせてもらうよ、ありがとう。地元に帰っても元気でね」
二人で一礼すると、南へ振り返って歩き出した。10メートルくらい歩いたところでようやく振り返って手を振る事ができた。
「皆さん、ありがとうございました! お元気で!」
集まった皆が口々に別れの挨拶をする。歓声と大きな手の振り。ああ、良い人たちに恵まれてたんだな。
「タマ、みんなタマに感謝してるよ。頑張って良かったね」
寝床の中のタマに話かける。ちょっと目を開けただけで、またすぐに眠ってしまう。うん、分かっていればいいな。
祥子さんと本格的に歩き出す。今日も暑くなりそうだ。小鳥の囀りと木々が風に揺れる音が騒がしい。だが同期している世界に比べると音なんて無いも同然に思えた。匂いもしない。壁の裏側も見えない。世界はとても静かで狭かった。




