第七節 嵐の前
翌日。レラさんの言った通りに帆船が到着した。出迎える満永さんと祥子さんと私。なんか歓迎係になってるな私たち。
しかし。その甲板に現れたモノを見て、私の体は思わず恐怖と畏怖で逃げそうになってしまう。それほどの巨体。初めて見たそのネコ科動物はトラ。あんなのも猫なのか。あんなデカい顎、タマなんて一口でご馳走様じゃないか。
その脇に立つ男性も長身で上半身の筋肉がすごい。そのコンビは圧倒的な威圧感を周囲に放っていた。
船を降りてこちらに向かって来る一人と一頭。たぶん何百キロも体重ありそうなのに、足音が全くしない。これ生来の暗殺者だ。こんなのが襲って来たら...逃げられる生き物はいないだろう、と思わせられる。因子なんて無くてもキャストをボコボコにできるんじゃ?
そして甲板からもう一組の契約者が降りてきた。女性みたいだが若いようにも年配のようにも見える。フードを被っていて良くわからない。
そしてこっちの猫も大きい。長さ1メートル以上あるだろう体はヒョウ柄。黄色にも銀色にも見える不思議な色。そしてその体と同じくらいの長さの尻尾。大きい鼻と大きい口。トラほどではないけれど圧がすごい。たぶん私より体重重い。
満永さんもおっかなびっくり英語で応対する。でも顔に笑みを貼り付ける事は忘れていない。さすがだな。私と祥子さんの顔なんて引きつりっぱなしだ。
「敦賀原子力発電所にようこそ、私はここで契約者のまとめ役をさせてもらってる満永、と申します」
「Name's Kumar. I'm from India. This is Lao-Fu, a Bengal tiger. We're here on assignment from the Continental Contractors' Union. Nice to meet you.(インドから来た、クマールだ。こっちはラオフー。ベンガルトラだ。大陸の契約者連合から派遣された。宜しくたのむ。)」
へー。契約者連合なんてあるんだ。
そしてもう一方の女性。うつむいてボソっと。
「Isha. This is Shen — a snow leopard,twelve. Pleasure.(イーシャ。こっちはユキヒョウのシェン12才。宜しく。)」
イーシャさん、か。なんだかぶっきらぼう?
「Don't mind her. Isha's just not very sociable. She's from Tajikistan.(すまん、イーシャは無愛想でな。タジキスタン人だ。)」
クマールさんが弁解してくれてる。あれ、なんか良い人だね?
「And, She's the one who cracked the Forge language.(そしてフォージの言語を解読したのは彼女だ。)」
なんと。
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二人から色々話を聞いた。ベンガルトラ・ラオフーの因子は「圧壊」。衝撃波を束ねて全てを押しつぶす。もう見た目そのままだ。300kgを超える巨体はスピードも早いらしい。これほど頼りになる前衛もいないだろう。
ユキヒョウ・シェンの因子は「空間」。よく分からないけど、なんか空間を自由に歪ませる事ができるらしい。それの応用で契約者同期の障壁とは異なる障壁を張れる、それも広範囲に。あと空間の歪みで帆船とかを早く走らせる事もできるとか。そうだよね、インドとかから普通に帆船で来ようと思ったら何ヶ月かかるか分からんよね。他にも小技が色々とあるみたいだけど私には理解できなかった。学が無くてすみません。
クマールさんは当然のように前衛、イーシャさんは建屋内での最終防衛線、という事になった。私とタマ、祥子さんもイーシャさんと一緒。イーシャさんが傍受したフォージの通信でタマが作戦を立案、伝達、という目論見。その分敷地内のイエネコ部隊を手厚くする。
イーシャさんによると、フォージの敦賀上陸は明日の早朝。泣いても笑ってもこれが決戦だ。たぶん次は無い。
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夕方。準備を済ませた皆が各々の待機地点でフォージを待つ。イーシャさんの見積もりを信じない訳では無いが、万が一早く到着してしまったら目も当てられない。前哨部隊の奇襲だってあり得る。なので全員待機地点にテントを張って見張りがてら休息をとっている。私は建屋内なので布団使ってるが。なんか申し訳ない。
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荒木さんは自分が作った地形陣地の最終確認をしている。地面に手を当て、地脈の状態を読んでいる。「……いい土だ」と呟く。対馬とは異なる若狭の土。だが、守るべき地形であることに変わりはない。
「チビよ。勝って対馬に帰ろうな。やっぱ対馬の穴子食わないと力出ねえわ」
チビがごろごろ喉を鳴らして同意する。土いじりの後は魚。そこがこの発電所には足りない。
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詩織さんは桟橋に座り暗くなって行く海を見ている。夏の夕方の風が気持ちいい。マリンが珍しく詩織さんの膝に乗っている。
「帰ったら、あの珊瑚のとこ行こうね」
と小声で言いながら、猫の背を優しく撫でる。
「そして、ノコギリガザミをプシュプシュして獲って食べようね」
なんだか物騒な事を言う詩織さんだった。ウォータージェットの使い方としてどうなんだそれは、と問う人間はそこにはいなかった。
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レラさんは陣地でヌプリと並んで西風に向かっている。ヤマネコの敏感な鼻には風の匂いに不穏なものが混ざっているのが分かる。
ヌプリは明日の気象を読み、それを元にレラさんは戦場の風をどう動かすかを計算している。明日は効率的に処理しないと力が途中で尽きる。それだけは避けなければ。
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発電所外縁の、荒木さんとチビが作った陣地。クマールさんはラオフーの巨大な体に背を預けて座っている。同期はほとんどしていない。ただ互いの体温を感じている。クマールさんは大陸で多くの仲間を失ってきた。隣にいた契約者が翌日にはいない、ということを何度も経験している。だから彼は戦いの前夜に同期せず純粋に人間として過ごす。猫の感覚ではなく、自分の目と耳で最後の夜を感じる。ラオフーが低く唸っている。他の猫の喉鳴りとは異なる、地鳴りのような振動。クマールさんはその振動に合わせて目を閉じる。眠るためではない。明日、全力を出すために、今は力を溜めている。
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誰もいない会議室。イーシャさんはシェンと向かい合って座っている。同期の第三段階──融合──に近い深度で、シェンの知覚と自分の知覚を重ねている。イーシャさんの目が銀色に光っている。彼女は「見ている」。フォージの代行者が海の向こうから接近してくる気配を、ユキヒョウの空間位相を通じて感じ取っていた。代行者の存在が空間を歪ませる「重さ」の輪郭を読み、敵の規模を測っている。代行者の構造もおおよそ把握した。情報はシェン経由でタマと共有する。タマなら代行者を崩せるかもしれない。ただしその前に膨大なキャストを排除できれば、だが。
やがてイーシャさんは同期を解き、静かに立ち上がった。シェンの首筋に額を押し当て、何か小声で言葉を呟く。それがどの国の言葉か、何を言ったのかは、誰にもわからない。
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源三さんは計器室で一人、炉の音を聴いている。30年間聴いてきた変わらない音。明日この音が止まるかもしれない。とんでもない。止めるものか。嵐山は計器盤を手の甲で軽く叩く。30年間、毎晩やってきた癖。「おやすみ」の代わりに。
今日は西暦2110年7月5日。明日、この炉は戦場になる。絶対に守ってみせる。
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そして発電所の屋上。
なかなか眠りに付けない私はタマを膝に乗せて北の空を見ていた。
...気づかないふりをしていたが、もう否定できなかった。タマの体が以前より軽くなっていることに。因子の消耗。タマの体に残された戦闘回数は、もう多くはない。私はそれを口にできなかった。タマの喉が静かに鳴っている。耳の後ろをゆっくり撫でる。
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夜明け前。北の海面が光った。海面の下に、巨大な何かが沢山の子分を引き連れて移動している。
キャストの大群が海から姿を現し始める。その後方、空そのものが歪んでいるように見える領域がある。フォージの代行者。
タマの全身の毛が逆立ち耳が後ろを向く。体がこれまでにない強さで発光する。
私はタマを抱き上げた。「行こう」、タマに告げて走り出す。




