3.31 お姫様スイッチ、入ります
monogatary.com 2026年3月31日のお題『入学準備』について投稿したものです。
タクヤ、三十三歳。
大阪歴十年。いまだに大阪弁は練習中。
ひとり暮らしだが、この静けさも、そろそろ終わりを迎えそうだ。
――ミサキの実家。
昼食後、母親が古いアルバムを持ち出してきた。
「ちょっと待って、ほんまにそれ出すん?」
ミサキの声が、わずかに上ずる。
「ええやん、もう大人なんやし」
母親はにこにこしながら、ためらいなくページを開いた。
ぱらり、と一枚目。
――木の上。
「……高っ」
思わず声が出た。
枝にまたがって、満面の笑みのミサキ。
短パンに泥――完全に“やんちゃな子ども”のそれだ。
「これ、年長さんのときやね」
「年長でこの高さ?」
「登れる木は全部登ってたなあ」
次のページ。
――塀の上。
「これ、飛ぶ気満々やないですか」
「飛んだで」
「飛んだん!?」
写真の端には、慌てて手を伸ばすらしき大人の影が写っている。
「止める間もなかったわ。ほんま、目ぇ離したらすぐどっか行く子で」
「……聞いてた通りやな」
事前に予習していた“ミサキ武勇伝”のおかげで、ここまでは驚きが薄い。
むしろ、答え合わせみたいなもんや。
ぱらり、とさらにページをめくる。
「あれ?」
思わず首をかしげた。
さっきまでの短パン姿が、急に消えている。
代わりに並ぶのは――スカート、スカート、またスカート。
入学式らしき写真。
公園で遊ぶ写真。
ランドセルを背負っている写真。
全部――スカート。
「……急に、方向転換してません?」
ぽつりとつぶやくと、母親がくすっと笑った。
「ああ、それなあ」
ページを指でとんとん叩く。
「幼稚園の卒園記念で、劇やるやろ?」
「はい」
「そのときに、お姫様の役やってん」
「……お姫様」
視線が、写真の中のミサキに戻る。
確かに――言われてみれば、どこか誇らしげな顔をしている気がする。
「それがな、終わった次の日から言い出して」
母親は当時を思い出すように笑う。
「『わたし、これからスカートしかはかへん』って」
「極端やなあ……」
「ほんまやで? 朝からタンスひっくり返してな。ズボン全部拒否や」
「そんなレベルで」
「せやから入学準備が大変やってん。制服以外も全部スカートにせなあかんし、『これは丈が気に入らん』やの『これは広がりが足りん』やの」
「こだわり強っ……」
思わず苦笑する。
横でミサキが、クッションを抱えながらぼそっと言う。
「……子どもやし」
「いや、今もわりとそのままやろ」
「うるさい」
軽く肘で小突かれる。
ぱらり、とさらにページが進む。
運動会の写真。
リレーで走っているミサキ。
――スカートで。
「いや走りにくないですかこれ」
「知らん」
「でも一位やったで」
母親がさらっと言う。
「……」
タクヤは思わず天井を仰いだ。
「強いなあ……」
やると決めたら、やる。
それが木登りだろうと、お姫様だろうと、関係ない。
「……スイッチ、なんですね」
「ん?」
「いや、なんか。途中で変わったんじゃなくて」
アルバムを指でなぞる。
「スイッチの向きが変わっただけというか」
一瞬、ミサキが黙る。
それから、少しだけ視線を逸らした。
「……よう分からんこと言うなあ」
「そうですか?」
「そうや」
けど、耳がほんのり赤い。
母親がくすっと笑う。
「まあでも、入学準備って、そういうもんかもなあ」
「え?」
「ランドセルやら文房具やら揃えるのも大事やけど――」
アルバムをぱたんと閉じる。
「どんな自分で行くか、決めるタイミングやから」
その言葉が、妙に残る。
ふと、隣を見る。
クッションを抱えたままのミサキと、目が合う。
「……なに」
「いや」
少しだけ笑ってしまう。
「入学準備、もう一回してるんかなと思って」
「は?」
「いや、その……これからの」
言い切る前に、クッションが飛んできた。
「いらんこと言うな!」
「痛っ」
母親の笑い声が、部屋に広がる。
静けさは、確かに終わりに向かっている。
けどそれは――
悪いことやないんやろな、と。
床に落ちたクッションを拾いながら、タクヤはそう思った。




