④−10 最後に戻ってきてくれるなら
いつもじゃないけど、ときどき一緒に寝てる。
お布団の中で、隆夫はぼくをぎゅうっと抱きしめてくれる。
安心するんだ、その日どんなことがあったとしても。
「さっきの話だけど」
暗闇の中、隆夫の声。
「雄二がどこへも行かないようにって」
「……、うん」
見張ってて、とぼくは言ったんだ。
「最終的に戻ってきてくれればいい――と、オレは思ってる」
それってどういう……。聞こうとして、直前でやめた。
隆夫はぼくが言った意味を分かっているのかな。
「まだ子どもなんだ、雄二は。十歳、これからいろいろなことを経験するだろう。たとえばオレより大切な何かと出会ったり」
「何か」
誰かじゃなくて。
「没頭したいと思うこと。オレなら駅伝。せっかく一緒に暮らし始めたのに、オレは優美さんより走ることを優先した」
「それは……優美だって隆夫に尽くしたかったし、がんばってる隆夫を応援するの、こっちだって楽しみだった。大事にされてないなんて感じたことないよ」
「そう?」
見えないけど、隆夫が微笑んでるのは声で分かる。
「うん」
「だから雄二も、夢中になれるものができたときは、オレに遠慮なんかしなくていい。それが、ひとであっても」
ぼくは起き上がった。サイドにある電気スタンドをつける。
「言ってる意味分かってる?」
頭の中が、ちょっと優美になってる気がした。
「ぼくが、他の誰かを好きになってもいいと思ってる?」
興奮して、息が荒くなった。
隆夫も体を起こす。
「オレは、子どもの頃礼央が好きだった。それから雄二と出会った。雄二は、まだまだ子ども時代が続く。その間にオレ以外と恋をすることもありえる。そうなったとしても、最後にオレのところに戻ってきてくれるなら、オレは大丈夫だ」
「どうしてそんなこと言うの」
顔を見ることができなかった。悲しいせいか、罪悪感からか。
「かっこつけたいんだ。雄二の前で大人でいたい、何があっても動じない大人」
「……」
涙がぽろぽろ出てきちゃう。傷つけてるのはぼくなのに。
「雄二」
隆夫はぼくを抱きしめた。ぼくは隆夫のパジャマを濡らした。
「成長を見守りたいと思ってる。世界を知って、大きくなれ」
対面式キッチンで洗い物をしてるときに、目の前の部屋のドアが開いた。
起きたばかりの隆夫さんが出てくる。
「おは……今日は優美さんか。久しぶりだな」
「おはよう。何となくね」
隆夫さんはテーブルに並んだ朝ごはんを眺める。雄二のときはパンとコーヒーだけど、わたしのときはごはんとおみそ汁。他にだし巻き玉子、銀鮭の塩焼き。飲み物はお茶。
黄色い大根のお漬け物を一切れ、手で取って食べる隆夫さん。
わたしは玉子焼き用のフライパンを、壁に吊るした。
「昨夜オレが言ったことで、傷つけたならごめん」
「……」
雄二は傷ついてないわよ、とは言えなかった。
「時間がかかるの、受け止めるのに。少し待ってくれる?」
「分かった」
青いミュールをはいて、らせん階段を上がる。
今日わたしは、夏らしい水色のワンピースを着て青葉に来た。頭にはカチューシャ。ほんのりお化粧もして。
三階の廊下で話している男の子たちに、「こんにちは」と声をかけた。
「こん……!」
三人の驚いた表情。わたしが誰か分かったかしら。
構わず、教室に向かう。
「おい、誰だよあの美少女。あんな子いたか?」
「うちのクラスじゃないよな。それとも新入生?」
「あんな美人と机を並べて勉強したら、成績上がるだろうなぁ」
「分かる。絶対やる気出るからな」
丸い窓のついたドアを開けて中に入ると、一瞬視線を感じたけど、誰も話しかけてこなかった。学期途中の入塾は珍しくない。見覚えのない生徒がそこにいても、みんなにとっては慣れた風景。
わたしは廊下に近い、前から三番目の机に着く。
バッグからテキストなどを取り出し、授業を受ける準備をした。ペンケースはピンクの花柄、わたしの趣味。
「あなた、そこは他の人の席よ。座席表をもう一度見てきたら?」
おでこが広い女の子。親切さんだ。
「いいえ、ここはわたしの席で間違いないわ」
「でも皆ヶ崎くんの」
終わりまで言う前に、園田くんの「皆ヶ崎さん!」という声が響いた。
園田くんは入口から真っ直ぐ、わたしのところに向かってくる。
「かわいい! 街で見かけたことあるけど、やっぱり似合ってるね、その姿」
「ありがとう」
彼の横で、さっきの女の子がびっくりした顔してる。
「皆ヶ崎さんて」
離れたところからの声。
「うっそ、あれが皆ヶ崎くんなの? 女装なんてレベルじゃない」
「どう見たって別人だろ。同い年の親戚とか」
「でも身長と髪の長さは一緒でしょ。メイクで顔を変えてるけど、面影は確かにある」
あっという間にわたしは囲まれてしまった。
「本当に皆ヶ崎くん?」
疑ってるリコちゃんに証明するために、度なしめがねをかけ、いつものインテリポーズ。
「わ、皆ヶ崎くんだ」
わたしはすぐにめがねを外した。ファンデーションを塗っているときに、跡をつけたくないのよね。
「ね、本当のところ、皆ヶ崎くんてどっちなの?」
涼ちゃんと仲がいい、野木明鈴さん。気を遣ってか、小声で。
「どう受け取ってもらっても」
わたしは微笑んだ。
「声とか完全に女子じゃん。どこに変声器つけてるんだよ」
「顔も使い分けてるよね、男子と女子で。それってすごい演技力」
人格が二つあるの、はさすがに言うわけにいかない。おかしな子だと思われちゃう。
「ぼくは皆ヶ崎くんも皆ヶ崎さんも、どっちも大好きだよ」
つまりぼく/わたし自身を受け入れてくれてるということ。
園田くんはあえて、みんなの前で言ってくれたんだ。
「うれしい」
一時間目の休み時間、廊下に出たクラスメートをわたしは追いかけた。
「さやか」
「優美ちゃん」
立ち止まり、彼女はこちらを向く。
「もう大丈夫なの? 風邪」
「うん。いつまでもサボってられないしね」
「テキストの答え合わせをするなら、いつでも貸してあげる」
「ありがとう、助かる」
さやかは元気そうだった。
「今日、あいつじゃないのって、何か理由ある?」
聞かれて、わたしは微笑んだ。
「この姿をみんなに見せておきたかったの。お手洗いのこともあるしね」
「ふーん」
それでさやかが納得したかは分からない。
「あたしのせいじゃない?」
ここで黙っていたら、肯定の返事だと受け取られるだろう。
「そう思うの?」
この切り返しは想定していなかったのか、さやかは一瞬当惑の表情を見せた。
「うん」
素直に答えるさやか。
「わたしの口からは、雄二のことは言えない。昨日の言葉が真実だと受け取って」
――大切にするよ、友達の範囲で。
そう言ったこと。
「うん……」
さやかは、気がないわたしじゃ満足しないかもしれない。今日会いたかったのはわたしじゃないはず。
「今度クレープ食べに行かない? わたしと」
「いいの?」
さやかは大きく目を開いた。
「わたしが一緒に行きたい」
動揺してる、その瞳が。わたしが彼女の手を握ったから。




