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王子様と赤ずきん  作者: かおる
4章 月と猫
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④−9 ワインとシャンパン

 言いっ放しで逃げ帰るなんてしたくなくて、彼女が泣き止むまでそばにいたんだ。

 ふれたいと思った。抱きしめて唇を重ねたいとも。

 実際は椅子に座って、ただ彼女を眺めていただけなんだけど。

「もう、帰りなさいよ。ごはん作んなきゃいけないんでしょ」

「……うん」

 腫(は)らした目で彼女は笑った。

「あたしは大丈夫だから」


 階段を下りていくと、どこかの部屋からラッキーが現れた。

 その先の玄関でぼくが靴(くつ)を履(は)いている間、八芝(やつしば)は長毛犬を撫(な)でていた。

(慰(なぐさ)めてくれる子がいるのは安心)

 じゃ、とぼくはドアノブに手をかける。

「今まで通りでいいんでしょ、友達でいてっていうのは」

 後ろからの声に振り返った。

「うん。変に避(さ)けたりしないで、普通に接してほしい――さみしいから」

「あたしに避けられたら、あんたさみしいんだ」

 おかしそうに笑う八芝。すっかり元気そう。

「大切にするよ、友達の範囲で」

「……」

 言わない方がよかっただろう。こちらに気があることを、わざわざ示さなくても。

「……うん」

 友達の範囲という言葉に傷ついたのか、八芝は気落ちした表情を見せた。

 ノブを回し、ドアを外に向かって開く。外気の音が入ってくる。

「また塾で会おう、待ってる」



 晩ごはんは中華にした。肉と野菜を切って、フライパンで炒め、味を調(ととの)えたたれをかける。

 青椒肉絲(チンジャオロースー)。隆夫はピーマンが嫌いじゃないから。

 他はふかひれのスープ、デザートに杏仁豆腐(あんにんどうふ)。

 隆夫はおいしいと言ってくれた。


 室外機の音がするベランダ。

 ぼくはお菓子のたばこをくわえながら、考え事をしていた。

 ――自分をコントロールできるようにならないといけない。感情的でいては、いつか身を滅ぼすことになる。

 物心ついたときにお父さんに言われたんだ。

 お母さんについてデパートに行ったとき、おもちゃ売り場でぼくより年上の子どもが、床に寝そべって泣きわめいていた。何かほしいものがあったんだろう。そばではその子の母親が、買いませんと厳しい態度。

 ぼくは、もう一つ積み木セットを買ってもらうことになっていた。理由は、「もっと大きなものを作りたいから」。

 冷静だったから望みが叶ったわけじゃない。うちはちょっと裕福だった、それだけのこと。

 でも、たとえばお父さんがお母さんを裏切って、よその女の人と関係を持ったりしたら、お母さんは悲しむだろう。家庭は崩壊するし、場合によってはお父さんは社会的信用を失い、社長の仕事もやめないといけなくなる。

 だからぼくも、八芝の件では、感情にまかせて行動しちゃいけないんだ。


 ぼくは隆夫を大切にしたい。そして八芝のことも。


 コンコンとノックされて、後ろのガラス戸が開いた。

 器用に片手でグラスを二本持った、隆夫が台所から出てくる。

「一杯どう?」

 紫(むらさき)の液体と、小さな気泡(きほう)が見える飲み物。

「いただく」

 ラムネは隆夫のもの。ぼくはいつも飲んでるぶどうのジュースを受け取った。

 何にか分からないけど、乾杯。

「さっきの青椒肉絲はうまかった。この前の回鍋肉(ホイコーロー)も。また作って」

 ほめられるとチクッとするな。

 使ったのは、綾瀬食品『おうちでお手軽中華シリーズ』。味付けはぼくがしたんじゃない。

 ついでに明かすと、デザートはDONBURIレストランでテイクアウトしたもの。帰りに寄ったんだ。

「……うん」

 ぼくはたばこを噛(か)み砕(くだ)き、ジュースに口をつけた。

「何か悩み事?」

 ぼくの顔を覗(のぞ)きこんでくる隆夫。

「そういうふうに見える?」

 ちょっと目をそらした。気まずくて。

「何となく。夕食のとき、いつもよりテンション高かった気がするから。落ち込んでるの隠してるのかな、と。見当違いならごめん」

 本当のことなんて言うわけにいかない。

 ぼく、今好きな人がいるんだ――なんてこと。

 隠れてこそこそ付き合うのは不誠実。でも〈正直に話すこと=誠実〉じゃない。

 不安にさせたくないんだ、隆夫のこと。

 この気持ちは全部一人で処理しないと。

「塾でぼくは女の子だってバレた。でもぼくは塾をやめる気はないし、出ていけとも言われてないから、これまでどおり通うよ」

「そうか」

 ぼくのこと心配してる目。

「大丈夫か?」

 隆夫は、何も持ってない方の手で、ぼくの頭を撫でる。

「うん」

 もう終わったことだ。結果は不本意なものも含むとしても。

「ね、一つ聞いていい?」

「ん?」

 これを聞くことで、ぼくらの関係は終わってしまうだろうか。

「……」

 ふれない方がいいこともある。

 一度息を吐いてから、思いっきり吸い込んだ。


「隆夫は監視してる? ぼくのこと」


 一瞬、驚いた表情。でもそこに罪悪感はなさそうだった。

「見守り程度には」

「それって朝香先生?」

「調査員が誰かは言えない。雄二の知らない人だよ」

 嫌か? と問われ、ぼくは首を横に振った。

「愛情なんでしょ、ぼくに対する」

 支配欲とか、ぼくへの不信とか。他の解釈もできそうだけど。

「心配で……。何かあったときは守ってやりたい、オレがそばにいなくても」

 ぼくが塾をやめなくていい理由。隆夫の保護下にあるから。

 たぶん努力なんてしなくてよかったんだ。

「一週間にいっぺんくらい、報告を受けているの? それとも毎日?」

「特に決めてないよ。何かあったら連絡してもらう形で」

 今日ぼくが友達の家にお見舞いに行ったことは、いつ頃隆夫の耳に入るんだろうか。

「何かやましいことがある?」

 冗談めいた表情で、隆夫はぼくにたずねた。

「しっかり見張ってて。ぼくがどこにも行かないように」

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