④−6 余波(2)
「雄二は一把で足りる?」
箱に入ったそうめんの束をつかんで、隆夫がたずねた。これから晩ごはん。
「もうちょっとほしいかな。ニ把までいかないけど」
「じゃあ二人で三把にしよう」
ぐつぐつのお鍋に、ばらした乾麺を入れる隆夫。それからめんつゆの用意をする。
切ったしいたけとか、短冊の玉子焼き、油揚げなどはテーブルにあった。ご自由にお取り下さい方式。
ぼくは椅子に座って、調理台で作業してる隆夫を見ている。
「受験生なのに、ごはん作ってもらって悪いね」
「買い物は雄二が行ってきてくれるだろ。それに受験生だから、勉強以外の時間は必要なんだ。楽しいと思えることが」
口元に笑み。ぼくはいい旦那様を持ったなって、つくづく感じる。
「聞いていいことか分からないけど。隆夫は模擬試験の結果、大丈夫なの?」
お母さんに聞いた話、お兄ちゃんは合格と合格圏内を行ったり来たりしてて、ちょっと不安定らしい。
「オレは特別優秀ってわけじゃない。欧立学園大ぐらい簡単に受かる、と言えるほどの成績じゃないよ、正直」
「……」
なら机にかじりついて勉強しなきゃ。お料理なんかしてる場合じゃない。
なんてことは思ってても口に出さない。隆夫はぼくより大人だし、ちゃんと自分で考えてるはずだから。
「受からなかったらごめん。でも雄二のそばにいたいから、がんばるよ」
ゆであがった麺は、氷水に浸した大きなざるの中。ぼくらは好きなだけ取って、つゆにつけて食べる。具も一緒に。
「おいしいね、初そうめん」
「今年初だな」
「ぼくにとっては、ここへ来て初だよ。隆夫と食べる夏らしいもの、すっごくうれしい」
隆夫は咀嚼中だから返事はできなかったけど、目で応えてくれた。
「そうめんに冷やし中華、冷やしうどん」
「夏野菜のカレーも!」
「今度作る」と、隆夫。
ぼくは幸せなんだ、この人といられて。
この先どんなことがあったとしても、ぼくは彼のそばにいる。
欧立クラスの教室の中は、山口くんの件があった後でも、そう大して変わらない。
別に誰も「皆ヶ崎のことハブろうぜ」なんて言ってないらしい。勉強を習いに来る子たちは、今まで通り普通に聞いてくる。
雑多に詰め込まれてる学校と違い、塾は受験に合格したい子だけが通ってくる。利用価値があると感じているなら、こんなぼくにも躊躇せず近付いてくるんだ。
「皆ヶ崎くんて女の子なの?」
理科を教えてあげていた、藤宮梨湖ちゃん。おかっぱ頭で、ちょっと空気読まない子だ。嫌いじゃない。
「ぼくが女子トイレ使ってること? ある意味で女の子だし、男でもあるよ」
「心が中性ってこと? それとも性同一性障害? 体は男性だけど心は女性っていう」
ここが六階の飲食スペースで、周囲に誰もいないならいいけど。実際は教室で、周りの子は黙ってるけど聞き耳立ててるかもしれない。
「本当のことは言えないんだ、ごめん。でも今言ったことを含めて、何も否定する気はない。好きに想像してくれていい」
「皆ヶ崎くんの性格を考えると、女子トイレに興味があるエッチな男子とは思えないのよね。何か事情があってそうしてるだけでしよ」
ぼくは苦笑いを浮かべる。
変態と思われてないならいいか。
職員室に行った。ダメ元で聞いてみたんだ、欧立クラスからいなくなった子のこと。加納さんは青葉をやめたって。
「ぼくのせいですね……」
「きみは気にしなくていい。こちらの対応も悪かった」
机で事務仕事をしていた大井先生は、何か書きながら答えた。
ぼくのことをうまく隠しながら説明するのは、骨が折れただろう。それで彼女や保護者を納得させられるわけでもない。
「一応、他の塾を紹介した。行くかは分からんが」
生徒を一人失う。三年間で得られるはずだった収入は、決して少なくはない。
「先生、山口くんは」
「自主退塾だ。詳しいことは話せない」
大井先生はわざと視線を動かした。その先には、隣のクラスの担任。
「勝つか負けるか、進むか退くか。この世界に身を置く以上、覚悟は必要なんだ。勝たなきゃいけない、きみは」




