④−7 事の顛末(てんまつ)
「皆ヶ崎くん」
教室に戻ろうとしていたぼくを呼び止めたのは、佐藤くんだった。彼もまた職員室から出てきたところだった。
「……」
佐藤くんには、今あまりよい感情を持っていない。できれば口を聞きたくなかった。
「山口のことなら、僕が知ってる」
三階の廊下の端。窓の向こうは隣のビルの壁。
「手短に頼むよ。もうあまり時間がない」
ぼくは佐藤くんに腕時計を見せた。
「まず僕は市外の幼稚園に通っててね」
園児時代にさかのぼって話すの!? あと五分ぐらいしかないのに。
「いわゆるお受験専門のところさ。大学までエスカレーター式の私立を目指していたけど、結果は見ての通り」
佐藤くんは欧立市立あざみの小学校に通っている。
「公立小に入る前、不安でいっぱいだった。がさつな子どもに囲まれて、僕はやっていけるのか。実際入学して最初の一か月、全く友達ができなかった」
“がさつな子ども”の中に、ぼくも含まれているんだろうか。
「そんなとき、警ドロに誘ってくれた子がいたんだ。うれしかった」
「それが山口くん」
つまりきみにとって彼は特別。恩は忘れない、と。
佐藤くんは頷き、話を続けた。
「この塾に入って、やつから相談を受けた。遊べないと」
「そりゃあ、週に三日通わなくちゃならないし、授業がない日は宿題があるしね」
「それで友達と疎遠になったそうだ」
「仕方ない、で済まないんたろうね。毎日学校へ行っている子にとっては」
一緒に遊べない=共通の話題がなくなる。仲間に入れてもらいにくくなる。
「それにもし落ちたら、この三年の塾通いはすべて無駄だ」
「無駄ってことは」
少なくても勉強の基礎はできあがる。その上に中学の内容を積み重ねていくんだ。何もないより習熟度は絶対に高い。
「身内の恥をさらすようだけど、親戚に中受で失敗して、引きこもりになったやつがいる。直接の原因は中学での人間関係だが、落ちたことが影響していないとは言えない」
「……」
それは決して他人事じゃない。
誰だって合格を目指してがんばるけど、結果は合格しかないわけじゃない。
そして残念な結果を自身で受け止めることにもエネルギーがいる。受け止めきれてないまま、本意じゃない環境にいれば、周りとうまくいかなくなることもあるかもしれない。
でも、佐藤くんのように、自分を受け入れてくれる子との出会いがあれば、あるいは立ち上がる強さが本人にあれば、……。
「僕自身は再挑戦のつもりで中学受験をする。今だって先生に特別に宿題を出してもらって、人より多く努力してるよ。でも山口には山口の人生がある。受験せず入れる地元中に行って、それから進路のことを真剣に考えるのでもいい気がするんだ。今はまだ遊びたいなら、遊べばいい」
「山口くんの親は」
今のは佐藤くんの考え。でも彼が山口くんの人生に責任を持つわけじゃない。
「分かってくれなかったらしい」
ぼくは結局、市立中(欧立学園中等教育科)を受験するけど、当初は海峰を目指していた。
名門と呼ばれる学校には、一流の親たちの子息が集まる。そこでのつながりが、大人になって生きてくる。
私立や国立のいい学校に進むことには、将来的なメリットが確かにあるんだ。
「で、相談を受けたきみはどうしたんだよ?」
ここからが本題。
「どうしても塾をやめたいなら、宿題をやっていかなければいい、授業中に当てられても『分かりません』を貫き通せ、と助言した」
「そしたら塾から親に連絡が行くだろうね。お宅のお子さんは勉強に向いていませんとか何とか」
「でもあいつの親は納得しなかった。やればできる子だと信じて」
「だから決定打が必要」
この先はもう聞きたくなかった。
「ぼくを使って……。わざわざよそのクラス
の教室に来て、人が隠してることをみんなにばらして。そんな素行の悪い子どもを、塾側はこれ以上置いておけないよね。もともと“宿題もやってこない、不真面目な子”だし」
そのとき佐藤くんの目が一瞬喜んだように見えた。
「先生からは自主退塾だって聞いた。つまり親を納得させることに成功したんだね。まあ、塾が親に話つけたんだろうけど」
「そうなんだよ」
ぱん、と優美の手が王子様のほっぺたを叩いた。
「だから何もしないでって言ったじゃない! 佐藤くんなんてサイテー、大っ嫌い!」
「……ごめん」
佐藤くんは反省した様子で、赤くなったところを押さえた。
ぼくはめがねのブリッジに中指をあてる。
(佐藤くんはバカだ。人の罪を背負うことないのに)
宿題や授業中のことを助言したのは事実でも、ぼくの秘密をばらせばいいとまで言ったのか、彼の口からは何も聞いていない。
ただ、ぼくが勘違いするような流れを作っていったのは分かる。友達思いなんだ。
「きみにすべての罪をなすりつけようなんて思ってない。欧立クラスから、女の子が一人いなくなった。ぼくのことを受け入れられなかった子だ。気持ち悪いと言っていた」
神妙な顔をする、佐藤くん。
「勝つか負けるか、進むか退くかの戦いで、ぼくは退かなかった。この塾にいたかったから。彼女を犠牲にしたのはぼく。たとえ山口くんの行いがきっかけだったとしても」
「……」
そのとき初めて、心から悔いた表情を見た。読みが足りなかったって感じの。
「きみが仕組んだことであって、山口くんは乗っただけ。彼には何も言うな。でもきみには知っていてほしい、あの件の結果を――ぼくの罪を」




