③そうそう、それ
飲み会のあとの空気って、なんか嘘くさい。
笑い声を聞いた分だけ、静かになるから。
たぶん、みんな同じことを考えてる。
駅に向かう途中。
「ねえ」
短く声をかけられて、俺は振り返る。
そこにいたのは、さっき同じテーブルで飲んでいた女。
最初の自己紹介で名前を聞いたけど、思い出せない。
「帰るの?」
彼女が近づいてくる。
「まあな」
「そっか」
短いやり取りの後で、少しだけ間が空く。
夜の空気が少し冷たいが、酔いがちょうどいいくらいに回っているから、それが心地いい。
「二次会、行かない?」
彼女は軽い調子で言う。
断ってもいいし、乗ってもいいみたいな言い方だから、少しだけ考える。
今から家に帰っても、何かをするわけじゃない。
たぶん意味もなくスマートフォンを見て、適当に時間を潰して、寝るだけ。
「行くか?」
だから、こっちから聞き返して、ふふっと笑われる。
「いいよ」
それで、決まる。
彼女が選んだのは、さっきまでいた居酒屋より静かな店。
足元だけを照らす間接照明の、薄暗い店内。
バーカウンターに並んで座る。
「何飲む?」
「なんでもいい」
そう答えると、彼女がバーテンダーに適当に注文する。
カウンターの中で、バーテンダーがシェイカーを振る。
それを見ながら、おしぼりで手を拭く。
「よく来るのか?」
なんとなく聞く。
彼女は、揺れるシェーカーを見ながら、答えた。
「うん、たまにね」
俺たちの前のコースターにグラスが置かれて、軽く乾杯してから、ひと口飲む。
「甘いな」
「そうだね」
小さく笑う。
「彼氏とかいるのか?」
「いきなりそれを聞くの? そっちはどうなのよ」
「……いない」
「なに、その間、あやしいわよ」
彼女がニヤニヤした。
「本当はいる。だけど、まあ」
「そっか。さっきさ」
彼女は視線を落としながら言う。
「楽しそうじゃなかったもんね」
「そっちもだろ?」
「バレた?」
俺を見て、ちょっと舌を出す。
「数合わせで呼ばれたから」
「そうなのか?」
「うん、本当はあの子たちとも仲良いわけじゃないの。ノリも違うし」
「ああ」
苦笑いを浮かべる。
「彼女たちは積極的だったもんな」
「そうなんだよね。彼氏、命って感じが、ちょっとね。それに……」
言葉を探すみたいに、少し止まる。
「合コンで見つけても、無理じゃない?」
「それは、長続きしないってことか?」
「そこまでは言わないけどさ。あなたの友達も」
「まあ、そうだな」
彼女から視線を外すためだけに、お通しのナッツが入った小鉢を見た。
「じゃあ、なんで俺を誘ったんだ」
「興味があったのよ。彼女がいるくせに合コンに参加するやつの気持ちってのがさ」
「気づいてたのか?」
俺が聞くと、彼女が呆れ顔になる。
「わかってないと思ったの?」
「……いや」
「あからさまに楽しそうじゃなかったし、あなた、連絡先も交換しなかったじゃない」
「ああ」
俺は短く返す。
「もしかして、忘れてた?」
「いや、あんまり合コンなんて行かないからな」
「じゃあ、今日は、なんで来たの?」
「……なんとなく」
自分でもわかるくらい自信のない答えだから、頬がひきつった。
彼女が目を細める。
「彼女とうまくいってないんだ」
「まあな」
「どうして?」
「いや……」
俺は言葉を濁した。
原因はわかってる。
だけど。
それを口にしたくない。
他の客のためにシェイカーを振っているバーテンダーを見ているふりをして、時間をおく。
「まあ、言いたくないなら、聞かないけどさ」
「そっちはどうなんだ?」
「あはは、バレたか」
彼女はグラスを見つめた。俺から視線を外すみたいに。
「まあ、いいか。彼はさ、優しいんだけどね。人の気持ちがわからない人なのよ」
「わからない?」
「うん」
小さくうなずく。
「そんなのみんな、そうだろ?」
「そうなんだけどさ。例えば、今日のこと、彼女に話す?」
「えっ?」
俺はまた彼女から目を逸らした。
ナッツをつまんで口に入れる。
カリッと噛むと、アーモンドの香りが鼻に抜けて、口の中に皮が残る。
「いや、話さないだろうな」
「そうでしょ。でもね、私の彼なら話すのよ。嘘は良くないってね」
「はぁ?」
俺は思わず目を見開いて、彼女を見た。
「そいつはバカなのか?」
「うん」
「だったら、最初から参加しなけりゃいいだろ?」
「友達に頼まれると、断れない人なのよ」
彼女の言葉に、呆れ顔になる。
「なんだよ、それ」
「それで、どうせ数合わせだからって」
「頭が痛くなってきた。まるで意味がわかんねぇ」
「酔ったの?」
「ちげぇだろ?」
彼女はクスクス笑う。
「それで参加してみたのか、彼の気持ちを知るために」
「うん」
「お前もアホだな」
「そうだね」
彼女は、ナッツが入った小鉢を持って、それを揺らす。
ピスタチオの殻がカラカラ鳴る。
「難しいね。恋愛って」
「そうかもな」
「なにそれ」
「だってきっと、もっと単純にやってるやつらもいるだろ?」
「ああ、あなたは複雑なんだ」
「お前もだろ。そんな男、やめとけ。お前が傷つくだけじゃねぇか」
俺が言うと、彼女は小さく「そうだね」とつぶやく。
「好きなのか?」
「わかんない」
「わかんねぇのに、付き合ってんのかよ」
「あなたはどうなの?」
「わかんねぇ」
俺たちは二人で笑い合う。
誰かとこうするのは、久しぶりな気がした。
「話してみたら。彼女と私には接点なんてないんだし、聞いてあげるわよ」
「他の男と比べられるのが、面白くねぇ」
「ああ、いるよね。そういう子」
彼女がほほえむ。
淡い照明に照らされた彼女の顔に、ほんの一瞬、目を奪われる。
すぐに視線をグラスに移して、少しだけ口をつける。
「人それぞれなんだから、誰かと比べても仕方ないのにね」
「ほんと、それだよな。俺は、俺だっての」
「うん、うん」
彼女は、軽くうなずく。
それだけで、十分だった。
会話は軽い。
そのあとも仕事の話とか、どうでもいい話とかをする。でも、どちらも踏み込まない。
「もうそろそろ、帰ろっか」
「だな、終電なくなるし」
「うん」
会計を済ませて店を出ると、さっきよりも夜が深くなっていて、パラパラと歩く人も少ない。
俺たちは会話と同じように、近すぎず、遠すぎず、一定の距離を保ったままで、並んで歩く。
「あのさ」
「ん?」
俺が彼女を見ると、彼女は口を開きかけて、閉じて、軽く首を振る。
「なんでもない」
「……そうか」
俺がうなずくと、彼女はクスクスと笑う。
「連絡先、交換しようよ」
「だな。また悩んだら話ぐらいは聞いてやるよ」
「なによ、それ」
彼女が頬を膨らまして、前を見る。
「まあ、いいわ。私も聞いてあげる。同類だし」
「類友ってことか?」
「そうそう、それ」
彼女がほほえむ横顔を見る。
「ありがとうな」
「何が?」
「なんか楽になった。あのまま帰ったらたぶん、嫌な気持ちのままだったと思う」
「そう。じゃあ、感謝してね」
彼女が俺を見るから、俺は「わかった」と笑う。
すぐに駅に着いて、改札口を通り過ぎると、彼女が止まる。
「私、こっちだから」
「そうか、じゃあな」
「またね、でしょ」
「おう、またな」
俺が軽く手をあげると、彼女も手をあげた。
「気をつけて帰れよ」
「そっちもね」
「俺の心配はいらねぇだろ?」
「あら、別れ際になって、やっと女の子扱いしてくれるの?」
彼女がニヤニヤする。
「そういうの、いいから。本当に気をつけろよ」
「わかったわ。お父さん」
「なんだよ。それ」
また俺たちは笑い合う。
そして、それぞれのホームに向かって歩き出して、少ししてから俺は振り返る。
人の波の中に、彼女がいる。
「こう見ると、ちいせぇな」
そうつぶやいて、また歩く。
ポケットの中のスマートフォンに触れて、取り出そうとして、やめた。
「……類友か、悪くないな」
少し他のやつらのことが浮かんだが、首を軽く振って、バーの中でほほえんでいた彼女の顔を思い浮かべた。
少し頬をゆるめながら、自分のホームに向かう階段を登る。




