38 視察
トラメンダ:疫病プルラの特効薬
モンテグラシス(=八花草):トラメンダの原料となる薬草
アンティフラ:プルラの治療薬
ルート:かつて山で暮らしていた『ヤマビト』
エルヴィア:ルートの母、トモロ村出身
エド:ルートの父、『ヤマビト』
クラレオ・ロッカ:ロッカ侯爵家嫡男
エウリコ・ロッカ:ロッカ家次男
シスモンド・ロッカ:侯爵、ロッカ家当主
バウワー:ロッカ家お抱えの医師
レイ:トモロ村出身の少年
ヤソン・グラウ:研究所所長、植物学者
シフラ:研究所の副所長、薬師
タチアナ:ハーフェン帝国皇女、皇帝の妹
その日レイは、ルートとともに『温室』と呼ばれる建物の中にいた。それは煉瓦造りの小ぶりな建物で、南側には大きな窓がふたつ設けられていた。
温室の中には煉瓦で囲われた畑が一列あり、その中はいくつかに仕切られ、それぞれにモンテグラシスという薬草が植えられていた。
モンテグラシスについては、ルートのおかげでいくつかのことがわかっている。
土の温かいところに生えること。
受粉すると、周囲の土に毒を吐くこと。
それゆえ、受粉直前に収穫する必要があること。
この温室は、土の温かさを再現するため、ヤソンによって設計された。一度ヤソンの説明を聞いたが、放っておくと話が止まらないため、ルートがきりのいいところで話を切り上げて助けてくれた。
「レイ、これ見て」
ルートが、畑の中の一つを指さす。
「色が薄いですね」
「うん、そうなんだ。ちょっと白っぽいだろ」
「はい」
「この子たちは、生えている間も毒がないの」
ルートはすらりとした指で、葉の先をちょんちょんと触った。大胆な行動に、レイは内心どきりとする。
モンテグラシスの香りは毒の香りである。ただ、微量であれば人間の命を奪うことはないし、獣よけにもなる。虫や鳥、小さな動物などは、近くに寄ると毒で倒れてしまうらしく、モンテグラシスは、それらの死骸を養分にして育つ。
「去年、いくつか掘り返して持って帰ったんだよね。で、この隣が、所長がいっぱい実験したやつ」
「枯れたり……、変な色になったり……していますね」
「先生はすごく頭がいいから、いろんな肥料とか、土の成分とかためしているみたい」
「毒がないのなら、育てても無駄では?」
「うーん、そうみたいなんだけどね」
モンテグラシスの毒は、酒で煮出すと弱まり、薬として使えるようになる。つまり、毒がなければ薬としても使えないのだ。
「ヤソン先生は、『ほどほどの毒』のある八花草が作れたら、とおっしゃってたね」
ルートは無邪気な微笑みをレイに向けた。
ルートだけが、モンテグラシスを『八花草』と呼ぶ。おそらく、山にいたときからそう呼んでいたのだろう。村の者たちは、『毒の草』などと呼んでいたのに。
――この人がそう呼ぶのなら、この草の名前は『八花草』なのだ。
だから、レイもルートといるときは、モンテグラシスを八花草と呼んでいる。
「おーい、お前ら」
入り口のほうから声が聞こえた。見ると、ヤソン所長とシフラ副所長が揃って歩いてきていた。シフラは機嫌のよさそうな様子だが、ヤソンは難しい顔をしている。
ルートは、首を傾げて言った。
「どうしたんですか」
「すげえ知らせがあるぞ」
シフラは、「いやあ、すごいすごい」ともったいぶっている。ヤソンは苦虫を噛み潰したような顔をして、「楽しんでいる場合か」とシフラをにらむ。
「何の知らせですか?」
シフラはルートの顔を見ると、にやりと笑った。
「皇女様が、ここに視察に来るんだとよ」
◆
――やっぱり、会ってみたいわ。
タチアナは、馬車に揺られながら考えていた。
エウリコから話を聞いた直後は、気分もふさいだし、食事を取る気にもなれなかった。シスモンドにはずいぶんと心配され、医者もよこされた。年配の、気のよさそうな医者は、「悪いところはなさそうですが……」と首をひねっていた。
しかし、二、三日も経つと、落ち込んでいる自分にだんだんと腹が立ってきた。
――こんなところまで来て、泣いてるだけでいいの?
タチアナの頭の中に、本が擦り切れるほど読んだ、聖女の物語が蘇った。
そうだ、聖女様は逃げたりはしなかった。殺されそうになっても、傷を負ってでも、目の前の苦難に立ち向かったではないか。
タチアナは思いきって、クラレオの部屋を訪ねた。クラレオは突然の訪問に驚きはしたが、「体調はもうよろしいのですか」と、快くタチアナを受け入れてくれた。
「私、『ヤマビト』に会ってみたいのです」
タチアナがずばりと言うと、クラレオの表情に、わずかな緊張が走った。
「……どこで、そのお話を?」
「私の立場では、いろいろと教えてくれる人もいるのですわ」
「そうですか……」
クラレオは、それ以上は尋ねなかった。ただ、タチアナの目をじっと見て言った。
「殿下はその者に、どうして会いたいと思われたのですか」
「……『ヤマビト』が、モンテグラシスの採集に関わっているのでしょう。貴重な薬草を採ってくる、尊い仕事をされているのです。ぜひ、どんな人なのか見てみたいのですわ」
すべてではないが、これもまた、本当のことであった。クラレオは逡巡を見せたが、やがて答えた。
「……殿下。殿下のおっしゃる者は、確かにこの家が保護しております。しかし……」
クラレオには珍しく、歯切れの悪い言い方だった。
「あの者は、この城に呼び寄せることができないのです」
タチアナは、息を呑んだ。
「なぜですか」
思わず語気が強くなり、顔がかっと熱くなる。
――嘘をつくつもりか。その人を、自分の目から隠すつもりか。
タチアナは恨めしげな目を向けたが、そこに映るクラレオは、眉を寄せ、本当に困ったといった様子を見せていた。
クラレオは目を伏せ、「……お恥ずかしい話なのですが……」と話し出した。
「殿下は、かつて当家の家令が、侵入した悪漢に殺された話はご存じでしょうか?」
「ああ……、そういうこともありましたわね」
ロッカ家での事件は、皇都にも届いていた。皇帝がプルラに倒れたとき、トラメンダをじゅうぶんに用意できなかったことに加え、同時期に自領の城で家令を殺害されたことは、名家と評されていたロッカ家の名を落とした。これらは、当時の皇太子の不興を買い、ロッカ家はしばらく不遇な時期を過ごすこととなった。
それが、タチアナとの婚約が延びた原因にもなったのだった。
「そのことと『ヤマビト』に、何か関係がありますの?」
「……当時の家令はバルダンという名で、よく当家に仕えてくれました」
クラレオは組んだ手に、白くなるほど力を入れた。
「その日、殿下のおっしゃる者は、バルダンとともにいたのです」
「では……」
「そうです。バルダンが殺されたとき、その者もならず者に襲われたのです」
タチアナは「まあ……」と声を出すのが精一杯だった。クラレオは沈鬱な表情で続けた。
「その者は、ひどい傷を負いました。身体の傷はふさがっても、治らぬものもありました」
「……」
「ある日、この城を飛び出して……それからは、もうここに来ることは、できなくなりました。来ようとすると、身体がすくみ、動けなくなってしまうのです」
「……よほど、恐ろしい目に遭ったのですね」
クラレオは黙って頷いた。当時のことを思い出しているのか、眉を寄せ、苦しげな表情をしている。
「その者は今、信頼できる者に預けております。ただ、そういうわけで、ここに呼ぶことはできないのです」
「……わかりましたわ」
タチアナは頷いた。クラレオが少し肩の力をゆるめ、小さく息を吐いた。タチアナが納得したことで、安心したのだろう。
クラレオの話を疑ってはいない。話をしているときの様子からは、嘘や作り話をしているようにはみえなかった。ただし、タチアナはここであきらめるつもりはなかった。
タチアナは皇女らしく微笑み、言った。
「でも、私はお会いしたいのです。ここに来られないのなら、私がその方のところへまいればよいのでしょう」
「殿下」
クラレオが顔を上げ、眉をひそめた。
「どうしてそこまで……」
「理由は、さきほど申し上げましたわ」
クラレオはさらに眉を寄せ、たしなめるような口調になった。
「いいですか、殿下。場所はここから馬で半日はかかるのです」
「皇都からの道のりに比べれば、たいしたことはありませんわ」
「それに、そもそもモンテグラシスに関わることは危険なのですよ。さきほどお話ししたばかりでしょう。そこに殿下をお連れするなど」
タチアナは少し驚いた。いつも他人行儀とすら思えるほど品のよい態度を崩さないクラレオが、今は子どもに説教するように喋っている。幼い頃の教育係が、こんなふうに彼を叱っていたのかもしれない。初めて、本当のクラレオと話をしている感じがした。
そして、ますます『ヤマビト』と呼ばれる者に興味が湧いた。
「いいのです。私にも、そのくらいの覚悟はありますわ」
そんな問答を繰り返し、タチアナが引かないのがわかると、クラレオはとうとう折れた。
「ただ、当家の重要事項でございますので」
そうしてつけられた条件は、皇家から連れてきた兵は城に置いていくこと、侍女は口の硬い者一名のみを連れていくことであった。
そうして、タチアナは今、『ヤマビト』のいる場所へと向かう馬車に揺られているのだった。
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