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二つの瓶  作者: 梨花むす
第二部
35/41

35 皇女タチアナ

トラメンダ:疫病プルラの特効薬

モンテグラシス(=八花草):トラメンダの原料となる薬草

アンティフラ:プルラの治療薬


ルート:かつて山で暮らしていた『ヤマビト』


クラレオ・ロッカ:ロッカ侯爵家嫡男

エウリコ・ロッカ:ロッカ家次男

シスモンド・ロッカ:侯爵、ロッカ家当主

バルダン:ロッカ家前家令

スタルノ:ロッカ家現家令


タチアナ:ハーフェン帝国皇女、皇帝の妹

「タチアナ殿下。遠路はるばるお越しいただき、まことにありがとうございます」


 馬車が城門をくぐり、城の前まで着くと、シスモンド・ロッカ侯爵が迎えに出た。今年に入って病で倒れたと聞いていたが、柔和な微笑みを浮かべ、息子二人を従えて立つその姿は、杖をついているとはいえまだ堂々たるものであった。


「男所帯でむさ苦しいところではありますが、さあ、どうぞ中へ」


 ロッカ家は商家でもあるというのに、その城は石造りの堅牢なもので、どちらかといえば剛健さが感じられた。内装もどちらかというと簡素で、古いものを丁寧に使い続けることをよしとしているようであった。

 通された応接室には、さすがに美しく新しい調度品が並んでいたが、さりとて主張の強いものではなかった。タチアナ自身はもっと繊細な意匠のものを好んだが、豪奢さを見せつけるようなけばけばしさがないことには、素直に好感を覚えた。


 ――シスモンド卿のご趣味かしら。それとも……。


 タチアナは、シスモンドの後ろに控える美しい青年に目をやった。青年はタチアナの視線に気づくと、シスモンドに似た品のよい微笑みを浮かべた。後ろの侍女たちからため息が漏れたが、タチアナはぶしつけに見てしまったことを恥じらい、目を伏せた。

 青年の名は、クラレオ・ロッカ。ロッカ家の嫡男である。シスモンドが倒れたこともあり、もうすぐ家督を継ぐであろうと言われている。

 

「城の中ではご自由にお過ごしください。ただ……」

「……ご事情があることは、存じ上げておりますわ」


 タチアナの言葉に、シスモンドは頷いた。

 ロッカ家の抱える事情、それはモンテグラシスという薬草に関わるものだ。数年おきに帝国内で流行る疫病“プルラ”は、簡単に人の命を奪う。皇帝であったタチアナの父も、プルラによって旅立った。

 プルラには、トラメンダという名の特効薬が存在する。タチアナ自身も、かつてプルラにかかったときに、トラメンダによって命を長らえることができた。そのトラメンダの主な材料が、ロッカ領のみで採取される薬草、モンテグラシスなのである。

 

「ええ。城の中の者でも、皆がすべてを知っているわけではありません。大変申し訳ありませんが、世の混乱をふせぐために、限られた者しか知らぬこともあるのです」


 シスモンドの口調がわずかに強くなり、クラレオの隣に控えている巻き毛の青年が、ぴくりと肩をふるわせた。

 モンテグラシスは、採取される場所や方法についてのすべてが謎に包まれている。皇帝にも知らせぬその秘密主義をよく言わない者もいるが、タチアナは、ロッカ家はある種の“番人”なのだと理解していた。


 シスモンドは、クラレオのほうを振り返った。


「こちらは長男のクラレオ。正式にお目にかかるのは初めてでしたかな。わからないことがあれば、こやつにお聞きください」


 クラレオは、優美に頭を下げた。シスモンドは体を戻し、巻き毛の青年のほうを向こうとしたが、動いたのはわずかだった。病の影響で、半身が自由に動かないようである。


「……隣にいるのが、次男のエウリコです。この間まで皇都にはおったのでございますが、なにぶん修行中の身だったもので、ご挨拶はできていないかと」


 巻き毛の青年が頭を下げた。クラレオに似てはいるが、やや丸顔で眉が太く、意志の強そうな瞳をしている。顔を上げたときの視線が値踏みをするようであったのが、タチアナはやや気になった。


「さて、長旅でお疲れでしょう。お部屋を用意させました。クラレオ、お前がご案内しなさい」

「承知いたしました」


 クラレオが近づき、タチアナの手を取ると、再び侍女たちからため息が漏れた。


 ――この方、なのかしら。


 クラレオの案内には、まったくそつがなかった。部屋へと行く道すがら、タチアナたちの体を気遣いつつ、城の構造についても侍女たちが理解できるよう、わかりやすく伝えていた。

 タチアナの部屋は、城の二階の奥に用意されていた。部屋の中には、これまでとは打って変わって明るい色の調度品が並び、タチアナ好みの繊細な意匠がほどこされていた。


「まあ……」


 タチアナは、思わず声を上げた。これが、ロッカ家の力なのだ。タチアナがロッカ家に来ること知らされてから今日まで、さほどの日にちはなかったであろう。それまでにタチアナの好みを知り、それに合った調度品を整えるのは簡単なことではなかったはずだ。


「お気に召したのならば幸いです。私はふだん東の棟におりますので、何かあればおっしゃってください。後ほど家令のスタルノをよこしますので、細かいことは彼にお言いつけください」

「ええ、ありがとうございます。クラレオ様」


 クラレオは一礼すると、静かに部屋を辞した。扉が閉まると、侍女たちが飛び上がらんばかりの勢いで話し始めた。


「なんて素敵な方なんでしょう。噂以上ですわ」

「お辞儀をされる姿の、なんて美しいこと……。私、思わず見惚れてしまいましたわ」

「殿下と並ばれたときなんて、絵画のようでしたわ」


 小鳥の囀りのような会話を聞きながら、タチアナは先ほどのクラレオの姿を思い浮かべていた。


 ――素敵な方……


 には違いない。礼儀正しく、優しい。失礼なところなどどこにもない。しかし、どこか心ここにあらずといった感じがするのだ。

 その目が、どこか遠くを見つめているような……。

 クラレオは案内の途中で、一度窓に目をやった。そのとき、終始紳士的な彼の瞳が、ほんの一瞬だけ潤んだような熱を帯びたのを、タチアナは見逃さなかった。街を望むその景色の向こうに、いったい何があるというのか。


 タチアナは、クラレオについての噂を思い出した。それは娯楽を求める人々の間に浮かんでは消える、無責任な噂のひとつにすぎない。しかし、あの横顔を見てしまった今では、タチアナはそれを一笑に付すことができなかった。


『クラレオ・ロッカには、隠された愛人がいる』

 

 引く手あまたのはずのクラレオが、いまだ婚姻を結んでいないために、事あるごとにまことしやかに語られる噂だ。クラレオの婚姻が遅れているのには理由があり、それはタチアナも知っている。だが、しかし……。

 タチアナは、まだおしゃべりを続ける侍女たちに声をかけた。

 

「ねえ、あなたたちがクラレオ様に感動したのはよくわかったわ。でも、私少し休もうかと思っているの。だから、あの本を出してちょうだい」


 侍女たちはすぐにおしゃべりをやめ、タチアナに向き直った。

 

「はい、ただいま……。ですが、このようなところまで来て、もう本を読まれるのですか」

「今だからこそよ」


 侍女はタチアナの荷物から本を取り出すと、丁寧にテーブルに置いた。タチアナは、柔らかなビロードの椅子に腰を下ろし、本の頁をめくった。


 ――どんな方なのかしら……。

 

 タチアナは本の物語をなぞりつつ、クラレオの瞳に思いを馳せる。

 あの美しい青年に、あんな瞳をさせる人がいるのか。いるのならば、それはどんな人なのだろう。二人はどこで出会って、どんな会話を交わしたのだろう……。

 タチアナは胸にそっと手を当て、ふうと小さく息を吐く。

 そんなきらきらしい物語は、自分にも用意されているのだろうか。それとも皇女であるタチアナには、色彩の乏しい、義務としての結婚生活しか与えられないのであろうか。


 ――それならば、せめて……。


 タチアナは、物語の続きを追った。隣国の、美しく優しい聖女。そして、そのそばに控え、彼女を守り続ける青年。二人は力を合わせて難局を乗り切ったが、当時彼らを支え、手を貸した人々もいたはずだ。

 タチアナは想像する。もし自分がこの物語の中にいたならば、この二人に何をしてあげられるだろう。


「殿下は本当に、聖女様のお話がお好きですわね」


 侍女が部屋を整えながら、タチアナに話しかける。タチアナは頷き、悪戯っぽく笑った。


「だって、素敵なのですもの。それに、ロッカ家はクリークス家と無関係じゃないわ」

「そうでしたわね」

 

 聖女の姉君は、帝国内のクリークス公爵家に嫁いでいるという。タチアナには、以前から夢見ていることがあった。

 できることなら姉君に一度お会いして、お話をしてみたい。聖女様やその伴侶がどのようなお方か、姉君は彼らの冒険にどう関わったのかを、うかがってみたい。

 ロッカ家は、クリークス家と懇意にしていると聞いている。せめて、手紙のやり取りだけでも取り次いでもらえないだろうか。


 タチアナは本を読み終わると、そっと閉じた。窓の外には、見知らぬ土地の夕暮れが広がっている。しかし、まだらな色に染められたその景色は、宮殿の窓から見ていたどんな夕暮れよりも、ずっと雄大にみえた。

ここまでお読みいただいてありがとうございます。次も楽しんでいただけると嬉しいです。

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