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二つの瓶  作者: 梨花むす
第二部
34/41

34 娼館/行路

トラメンダ:疫病プルラの特効薬

モンテグラシス(=八花草):トラメンダの原料となる薬草

アンティフラ:プルラの治療薬


ルート:かつて山で暮らしていた『ヤマビト』


クラレオ・ロッカ:ロッカ侯爵家嫡男

エウリコ・ロッカ:ロッカ家次男

シスモンド・ロッカ:侯爵、ロッカ家当主


タチアナ:ハーフェン帝国皇女、現皇帝の妹

「リコ様、もう昼になってしまいますよ。ほら、いい天気」


 開けられた窓から眩しい光が射し込み、エウリコは目を覚ました。窓にかかる日よけの布をたくし上げた青年は、ローブを無造作に羽織り、腰のあたりでゆるやかに帯を結んでいた。その下には何も身につけておらず、薄い胸はあらわになって、エウリコが昨晩つけたいくつもの痕が、明るい光の中に目立っていた。


 青年は、往来に半裸の姿をさらけ出していることを、少しも気にしていない様子であった。

 ……ふん。

 エウリコは薄目を開けたまま、鼻を鳴らす。苛立ちが湧き上がってくるのをごまかすように、窓に背を向けた。


「リコ様ったら」

 

 青年はエウリコを起こしたいらしく、背を揺すってきた。。

 

 紫煙と酒の匂い、そして乏しい明かりの中では、たいていの行為は許される――都合のいい夢の中に、苦い現実を塗り込めてしまうことさえも。エウリコは、せっかく浸っていた心地よい快楽のなごりが、光にかき消されていくように感じられた。

 エウリコは舌打ちをすると、青年に言った。


「窓を閉めろ」


 青年は不思議そうな表情をしたが、黙って言うとおりにした。それでも下ろされた布の隙間から白い光が射し込み、散らばった服や、皺の寄ったシーツなどの、乱れた部屋の様子を浮き立たせた。

 青年はエウリコの服をかがんで集めると、丁寧にたたんで差し出した。


「お着替えをどうぞ」


 エウリコは服は受け取らず、青年の手首をぐいっとつかんだ。そして、顔を寄せて言った。

  

「代金は払うから、もう一晩いいだろう」


 しかし、青年は首を横に振った。

 

「ごめんなさい、今晩は予約が入ってしまっているんです。でも明日の晩なら……」


 青年が媚びたように笑うのが、余計にエウリコは気にくわなかった。

 

「じゃあ、もういい」


 エウリコは不機嫌そうに言い捨てると、身体を起こし、青年から服を奪い取った。青年も、それ以上は言わなかった。


 黙って着替えを手伝う青年の顔を、エウリコはまじまじと見た。

 皇都からムランの街に戻った日、たまたま見つけた男娼だった。薄いブラウンの髪に、白い肌、細身の体つき。顔立ちだって整っている。遠目から見れば、()()()と間違えるかもしれない。

 しかし、こんな日の光の下では、明らかに違う。何より、明るい光に照らされた青年の瞳は、深緑ではなく青色だった。


 ――くそっ……。

 

 兄は、あいつをどこにやってしまったんだろう。城の中はもちろんのこと、従者に街中まで隈なく探させたが、見つけることはできなかった。

 兄の従者に口を割る者はいない。使用人たちも、五年前にあいつが城を飛び出してからのことは一切知らなかった。

 しかし、どこかにはいるはずだ。最後の日、あれほどまでに怒っていた兄を見るのは初めてだった。絶対に、兄があいつを手放すはずはない。つまり、近くにいるはずなのだ。

 

 着替えをすませると、エウリコは部屋を出た。青年は後ろに付き従って、出入り口までエウリコを見送った。


「……また来る」

「あい」


 にこにこと笑う青年の顔に、またエウリコは小さく舌打ちをした。そして、雑踏の方へと歩き出した。

 外に出てみると、昼というほどには、まだ日は高くなかった。体よく追い出されたのだと分かると、エウリコは砂を蹴った。あの男娼は今ごろ、エウリコが置いていった少なくない金を数え終わり、風呂にでも入りに行っているに違いない。商売をする者にふさわしいしたたかさだ。


 それでも、エウリコには彼が必要だった。五年間の渇望は身体の髄で凝縮し、エウリコを日々苛んだ。満たされない思いを少しでも埋めなくては、身がもたないような気がした。

 それについては、あの男娼は適任だった。薄暗がりの中では、本物の姿をエウリコの目に映し出せるくらいには似ていた。おまけに、エウリコに逆らうという馬鹿なことをしなかった。


「エウリコさまあ」


 エウリコの姿を認め、従者が走ってきた。娼館から出てくるのを待っていたらしい。


「出てこられないかと思いました。さ、早めに城に戻りましょう」

「いやだ、もう少しゆっくりさせろ」


 夢を破られた不快さが、まだ残っていた。エウリコは市が立っている方へと歩き出そうとした。そこなら、酒の一杯も飲めるかもしれない。

 しかし、普段は言いなりの従者が、今日はエウリコの腕を取り、引っ張っていこうとした。エウリコは少しぎょっとした。従者は泣きそうな顔で訴える。

 

「そういうわけにはいきません。シスモンド様にお叱りを受けてしまいます。馬車を用意しておりますから、急いで……」

「なんだ、いやに急がせるな」


 エウリコが言うと、従者は大げさな身振りで、嘆く様子を見せた。もう目には涙がたまっている。

 

「覚えてらっしゃらないのですか。シスモンド様から言いつけがありましたでしょう。あの方がいらっしゃるから、今日は、必ず城に戻るようにと……」

「……ああ」

「お願いです。私、首が飛んでしまいます」


 往来で土下座しそうな従者を見下ろし、エウリコは思い出した。確かにそれは彼の言うとおり、無視できない用事であった。


「明日、皇都からわざわざおいでになるのだったな」

「そうですよう」


 皇都にいたエウリコですら、数えるほどしかお目にかかったことがない人物だ。常は宮殿の奥にいる、黄金色の髪をもつ少女。

 

「タチアナ殿下か……」





 ――陛下は、いつも勝手なのだわ。


 タチアナは揺れる馬車の中で、ぷうと軽く口をふくらませていた。ロッカ領が近づくにつれ、この旅を言いつけた皇帝に対しての文句が、口から出そうになった。


 皇都では、またプルラの患者がちらほらと出てきていた。以前プルラにかかって生死をさまよったタチアナは、宮殿の自室で無聊をかこちながら過ごしていたが、ある日、皇帝に呼び出された。


「ロッカ領に行きなさい」


 とうとう婚約か、とタチアナは思った。なぜなら、ロッカ家の二人の息子たちは、皇女であるタチアナの婚約者候補であるからだった。


 長男のクラレオは今年で二六歳になり、十七歳になったタチアナとはおよそ九歳の差がある。誠実で穏やかな人柄が知られていて、父親である侯爵の片腕として、若い頃から領地の運営に携わっていた。優秀さも折り紙付きであり、容姿も眉目秀麗で、やや年上である以外は申し分のない青年であった。

 

 次男のエウリコは、クラレオとは年が離れており、十九歳になったところであった。クラレオが順当に跡を継いだ場合、将来は聖職者になることが決まっていて、皇都の修道院に修行のためしばらく滞在していた。遊び好きという噂があったが、その分愛想が良く、可愛げのある見た目もあってか、修道女たちの評判は悪くなかったようであった。


 クラレオのもとに嫁ぐもよし、エウリコを婿とし、皇家の直轄地を治めるもよし。どちらにしても、モンテグラシスを抱えるロッカ家とのつながりができる。

 しかし、皇帝はまだ婚約は結ばない、と言う。


「では、どうして……」


 皇帝は、タチアナがプルラから離れるためだ、と言った。ロッカ領なら、モンテグラシスが必ずあるし、トラメンダも手に入れやすい。それに、皇都を離れられない皇帝に代わり、万一のことを考え、タチアナは安全なところに避難しておいてほしいとのことだった。


「でも……」


 言われていることは理解できる。多くの疫病は、一度かかると二度目にはかからないか、軽く済むことが多い。ただしプルラは例外で、同じ者が二度感染し、生命を落とすことも少なくなかった。だから、すでにプルラを経験しているタチアナも油断はできない。

 しかし、ロッカ侯爵夫人は数年前に亡くなっている。婚約もしないうちから男所帯の家へ身を寄せることに、タチアナに抵抗がないわけではなかった。


 急に、タチアナたちの馬車がガタガタと揺れた。石にでも乗り上げたらしい。馬車内の侍女たちが、小さな悲鳴を上げた。


 ――ふう。


 タチアナは、ため息をひとつついた。今、この馬車に乗っているのは、結局皇帝に押し切られてしまったからだ。

 侍女たちはすぐに揺れへの驚きから立ち直り、タチアナの緊張をよそに、ロッカ家の息子たちの話題で盛り上がっていた。

 

「お二人とも、美しい方らしいですわね」

「ええ、楽しみですわ。殿下と並んだら、どんなに素敵でしょう」


 ――もう……、みんな、人のことだと思って……。


 タチアナは、少女のようにはしゃぐ侍女たちをあきれたような目で見ると、窓の外へと目を向けた。遠くに、隣国の国境となっている山々が見えた。


 ――あの向こうには、聖女様がいらっしゃるのね。


 皇都から遠く離れて、心細くないわけではない。侍女や兵士がついてきてはくれているものの、自分がロッカ領で歓迎されるかどうかはわからない。


 タチアナは、膝に乗せていた本の美しい装丁を、そっと指で撫でた。この本は、ここ数年のタチアナの心の支えであった。そこには森の精霊に愛された聖女と、それを支える青年の、冒険と恋の物語が記されていた。


 ――私も……できるなら……。


 皇女であるがゆえに、決められた相手に嫁がなければならないのは分かっている。しかし、どうせなら愛され、愛することを経験してみたい。この本の物語のように。


 タチアナは、もう一度窓の外に目を向けた。先の方で土の道が終わり、石畳の道が始まっていた。


「あら、殿下。そろそろ道が変わるようですよ。もうロッカ領に近いのですね」


 同じように窓を覗いていた侍女の一人が、弾んだ声で言った。整備された道になり、揺れが少なくなることを喜んでいるようだった。


「そうね」


 と、タチアナは微笑んで返した。


 ――大丈夫。

 

 タチアナは本を手に取り、胸にぎゅっと抱いた。中の物語に心を馳せると、力が湧いてくるような気がした。

 タチアナは本を膝に置くと、にっこりと笑い、侍女に話しかけた。


「あなたたち、ロッカ家のことに詳しいみたいね。お城に着く前に、あなたたちが知っていることを、私に教えてくれるかしら?」


 馬車が石畳の上に乗ると、揺れは少なくなった。静かに進んでいく馬車の中から、甘くてきらきらとした菓子のような、女性たちの明るいお喋りの声がこぼれていった。

 

久しぶりの二人が出てまいりました。タチアナは第一部の第5話、第9話、第13話などに出てきますので、どんな少女だったか忘れてしまった方は見てやってください。次も引き続き楽しんでいただけると嬉しいです。

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