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二つの瓶  作者: 梨花むす
第二部
33/41

33 再会

トラメンダ:疫病プルラの特効薬

モンテグラシス(=八花草):トラメンダの原料となる薬草

アンティフラ:プルラの治療薬


ルート:かつて山で暮らしていた『ヤマビト』


ソニタ:ルートの母エルヴィアの伯母、ルートの大伯母

トニオ:ソニタの夫、元鍛冶屋


クラレオ・ロッカ:ロッカ侯爵家嫡男


レイ:トモロ村出身の少年


ヤソン・グラウ:研究所所長、植物学者

シフラ:研究所の副所長、薬師

パッソ:研究所の兵士

カンポ:研究所の兵士

ヴァッレ:研究所の兵士

アルジネ:研究所の兵士

 街に出てきた後、鍛冶屋での仕事はきつかったが、レイにとって悪くはなかった。

 

 レイが雇われた工房の職人たちは、気は荒いが、理由もなく罵倒したり、殴ったりしてくることはなかった。与えられた仕事をきっちりとこなせば、彼らはむしろ寛容だった。親に売られたことを、同情もしてくれた。

 レイがなにより運がよかったと思ったのは、焚き付けを集めるために、山に入ることが多かったことだ。

 下働きの先輩たちが、山に入るときの基本を教えてくれた。レイは山に入ることをいとわず、一日中でも喜んで枝や木切れを集めて回ったため、すぐに彼らの知識を追い越し、誰よりもすばやく、迷わずに山の中で動けるようになった。

 レイは山の中で、あの独特な香りを探し続けた。しかし、レイが行ける範囲には見つからなかった。


 ――でも、生きているはずなんだ。


 ムランの街にあの子はいた。なぜ山を下りていたのかはわからない。時間があれば街中を探して回ったが、二度と会うことはできなかった。

 

『大嫌いだ!』

『ごめんなさい』

 

 耳に、『妖精』の声がこだまする。

 ほんとうに生きているのか、と考えるごとに胸が苦しくなる。どうして自分は腐った村の中で、あの子の犠牲のもとにのうのうと暮らしてしまったのか。どうしてあのとき何もかも捨てて、街に消えたあの子を追っていかなかったのか。

 自分はいつも、間違えている。その思いは、レイの胸をいつも締めつけた。たまらなくなると山へ行き、拾った枝で自分の背中を打った。枝が自分の皮膚を裂き、痛みを感じるたび、山に罰せられているような気がした。

 できるなら、あの子がこの枝を持ち、自分を打ってくれればいい。あの日と同じ瞳で睨みつけ、自分だけを罵ってくれればいい。そう考えながら枝を振り下ろすと、煮えたぎる鉄が流れ込むように、身体の芯が熱くなるのだった。


「お前、領主様の元で働いてみないか」


 鍛冶屋で働くようになって五年ほど経ったとき、レイは親方から声をかけられた。


「俺が……? どうしてですか」

「真面目な働き者を探してるんだそうだ。俺のところだったら、お前が一番だからな。それに、お前鍛冶屋になる気はないんだろ」

「いえ……」


 とっさにそう口にしたものの、親方の言う通りではあった。レイにとってなにより大事なのは山に入ることであり、鉄を打つことではなかった。

 親方は、何もかもわかっている、というふうで首を振った。


「それに、できれば山歩きができるやつ、という注文があったからな。お前にぴったりだ。話はつけてあるから、明日の朝、城まで行ってこい」

「わかりました。ありがとうございます」


 そうして、レイはこの研究所まで来ることになったのだ。


 研究所はあまりにもトモロ村に近く、レイはひそかに驚いた。しかし、村の人間は大概出自を隠していたし、レイもまたあえて言うことはなかったから、レイが村の出身であることは知られていないようだった。

 レイにとっては、願ってもない機会だった。『妖精』の山に入れる可能性が出てきたことに、心は浮き立った。あとは、追い出されないように働くだけだ。


 山のふもとに建った研究所は、あの子の香りで満ちていた。鼻をつく独特の香りがレイの脳髄を刺激し、心の臓を激しく揺さぶった。

 研究所の中には驚くほどわずかな人数しかいず、その中に一人だけ、明らかに若い人間がいた。ひとりだけ地の厚い長袖の服を着て、眼鏡と帽子を身につけていた。肌の白さが目を引いたものの、そんな人もいるのかと気にはとめなかった。

 ――声を、聞くまでは。


「はい!」


 耳に稲妻が走ったかと思った。一瞬のうちに、脳裏にあの日の情景が蘇った。なぜこの声が、今、ここで耳に届くのか。

 無数の傷が、レイの背中で疼きだす。思わず叫びそうになるのを、腕に食い込む爪の痛みでこらえた。


「お前さん、あの『試験』に通ったんだな」


 どのくらいの時間が経ったのか。ルートと呼ばれたその人物がクラレオとともに去ってしまうと、シフラという名の副所長が、にやにやしながら話しかけてきた。


「試験、ですか」

「城で、『美人さん』の絵を見ただろう?」

「おい、シフラ」


 所長のヤソンがたしなめるように言った。レイは、ああ、と思いだした。確かに、親方に言われて城に行ったとき、姿絵のある建物に連れて行かれたことがあった。


「相当な『美人さん』だったろ。なんせ、絵姿にまで惚れちまうやつが出てくるくらいだからな。あの絵に反応しないっていうのが、ここで働く条件さ」


 その絵に描かれていたのは、綺麗な子どもの横顔だった。暗い背景を切り取るような、美しい弧を描く鼻、それに続くほんのりと色づいた唇は固く引き結ばれており、長い睫毛に隠された瞳は鑑賞者を拒むかのように、まっすぐに先を見据えていた。

 

 ――あの子に、似ているな……。


 そうは思ったが、記憶の『妖精』の方がより美しく、より深くレイの心に刻まれていた。だから、妙だと思いつつも、レイはその絵のことを今まですっかり忘れていたのだ。

 シフラは、レイの反応がいかにも面白いといった様子で続けた。

 

「いいねえ、その興味ない感じ。見かけによらず、お前は大人の女のほうが好みなんだな」

「……え?」

「俺も大人の女が好きでね。たっぷりした肉があれば、あるほどいい。あいつみたいな細っこいのは、別に好みじゃない」

「シフラ!」


 卑猥な手つきをするシフラを、ヤソンが苦々しい顔で注意した。シフラは意に介せず、にやにや顔のまま背の高いヤソンを見上げて言った。


「そう怒るなよ、所長さん。同類なら心配ないだろ。人生の先輩として、同じ趣味の仲間として、こいつにいい女を世話してやろうと思っただけだ。純粋な親切心だよ」

「嘘つけ。新人を悪い道に引きずり込むな。いいか、私たちはクラレオ様の期待を背負っているんだ。女で身を持ち崩すのは、お前ひとりでいい」

「厳しいですねえ、所長様は」


 シフラは肩をすくめたが、ちっとも反省している様子はない。しかし、あの絵が『試験』だというなら、このお堅そうなヤソンも、何らかの理由で合格したということだろうか。

 レイがちらりとヤソンの方を見ると、シフラが吹き出した。


「ははは! お前も同類だと思われてるぞ」

「笑うな、シフラ。いいか、誤解するな。私はこいつみたいに女好きというわけじゃない。……そうだな、私は研究の方が優先だ。色恋沙汰に割く時間はない」

「まあ、そういうことだ。女のことで相談するなら、俺にするんだな」

「いいかげんにしろ」


 シフラは楽しそうだが、それに比例してヤソンは渋面になった。シフラは笑いながらどこかに行ってしまい、レイは渋面のままのヤソンに、研究所を案内されることとなった。





 研究所を一回りすると、もう夕方になっていた。レイは当面のあいだ兵士たちと一緒に寝泊まりするらしく、彼らの部屋に案内された。

 部屋の窓のむこうに、山が見えた。この部屋ですらあの香りは消えず、今日はとびきり太い枝が必要な気がした。レイは、ふと気になったことを、一番年上の兵士にたずねた。

 

「あの若い方は、どういったお役目を?」


 兵士は少し思案する様子を見せたあと、答えてくれた。

 

「クラレオ様のお気に入りでね。賢い子だから、ここの仕事を手伝ってもらっているのさ」


 訳ありなのだろうな、と思った。眼鏡の子は明らかに兵士たちより待遇が上で、仲の良さを見ると、若殿様の『お気に入り』以上の存在なのかもしれなかった。

 まさか、とは思う。しかし、レイはその考えを振り払った。よく考えれば、五年も経っているのに、声が同じであるのはおかしいのだ。レイの声はこの五年のうちに、一段も二段も低くなってしまったというのに。


 山に行ってもいいか、とたずねると、ひとりで奥に行くなとだけ言われた。風呂はどうせ最後であるし、なんにせよ早く山に入りたかった。

 小さな門を出て少し進むと、細い川が流れていた。適当な枝を探して上流へとたどっていくと、岩場に囲まれた、少し開けた場所に出た。


 ――ここらへんで、いいか。


 ここまでくれば、音は建物まで聞こえないだろう。ある程度見通しもきくので、山の獣がやってきても認識ができる。レイは腕の長さほどもある枝を拾うと、上着を脱いだ。

 鋭い音が、思ったよりもあたりに響いた。しかし、その日は何度背を打っても、なかなか身体の熱さが鎮まらなかった。この山がそうさせるのか、研究所の香りのせいか、それとも、あのひどく似た声を聞いたせいか。

 ――不意に、後ろで物が落ちるような音が聞こえた。振り向くと、岩のそばに布のようなものが見えた。そろそろと近づいて見ると、人が倒れていた。


 息ができないほどの衝撃が、レイの身体を襲った。


 目の前にあるものが、信じられなかった。薄闇に浮かび上がる白い肌、淡い色をした絹糸のような髪。助け起こしてもその人は目を覚まさなかったが、顔立ちをより近くで見て、レイは確信した。レイの脳裏に焼き付いたものから少し成長しているが、間違いない。


 この五年間、焦がれてやまなかった『妖精』が、今ここに現れたのだ。

 


今回はレイ視点でした。ここまでお読みいただいてありがとうございます。次回はまた少し違う場面となります。引き続き楽しんでいただけると嬉しいです。

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