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「アマトさん、ランさん! 収穫はありましたか?」
馬車が肉眼に映るころ、まず一番に出迎えてくれるのはリベルテだった。国の中枢を担う重要人物の彼女が、他国の最前線で気前よく振りきられることに僕は可笑しさと暖かさを感じる。馬車の周囲にはこの国の住人というような、農具を手にした体格の良い老若男女が集っていた。
「遅刻だったかな?」
「ずいぶん遠くまで収穫行っとたのか」
「立派なモンとるねー。良い目利きだ」
麦わら帽を被った年季の入った親父たちが訛った。ビンテージの渋い声が僕ら若年層に良く響くのだがランは料理人として誇らしく思ったのかもしれない。気持ち足取りが弾むようになった。
「気にいった物をいくつか勝手に採っちゃいましたけど、良かったですか?」
「いーいんよ! 自給自足。残った分は他国へと譲渡する。それが我らのルールやからな」
とは言われても、リベルテ達一行はきちんとリターンとなる品々をしかと持ち込んで卓上に並べていた。
「これは我々からの交友の証ですから」
それは大きな円テーブル。人々で囲み、平等な立場で動物が植物や無機物に感謝を募る宴会に似た和平だった。
日が落ちていくのも目で分かるほどに早い。夕焼けがだんだんと薄暗くなっていくと火が焚かれはじめる。パチパチと木片の弾ける音は僕らに安らぎを与えてくれているが、麦わら帽の団体との和平を少し過激を物語っている。
おそらく、一番の長は今までの何にも動じていない白鬚の老父。
表情の全く読めない深い彫りと猫背になった風紀の象徴と不動の心身。彼がついにその口を開くと自然と皆が静かになる。
「そなたらもこの国に来て“十回”となるな。その全てに金品を献上してきたのぅ。その心意気はいつぞやの王か?」
空気の波が一糸も狂わない虚空で存在感の強い翁の声。
「私たちの国に王はいません」
どんな波も恐れること無く向かいあう若き蕾が大成を待つリベルテの意志。貿易の現場を目撃するのは初めてになる。戦力が大きい方の総取り。そういう世界に生きてきたからこそ、リベルテの“戦い”の全てがもの珍しい。
「ではでは、誰の指示で対価を贈るのじゃ? その他意とは何か?」
「一方的な利益とはいずれ崩れ去るモノです。循環こそが国を安定させるのです。それは自給自足とも同じ事ではないですか?」
労力を捧げて植物は育つ。その恩恵として実をいただくというのは、まさに命の循環と生存の縮図となっていると説きたいのだろう。それを歳の差、経験の差を超えて共感させるのだから、リベルテはその小さな身体に見合わない大きな“才”を内に秘めているのだろう。正直なところ、僕にはさっぱりだ。
「ほぉー。つまり君が君主であるわけじゃのう。上手い酒を交わしたいと思っておったが若い者が立派じゃなぁ」
「晩酌のお相手。私でよろしければ、お受けしますよ」
「ほー。ここぞとばかりで見栄も張れるとは。その器量ゆえに――――帝国の北域を破ったのであろうな」
「帝国と敵対していることを知ってなお、我々に国境を越えさせたのですか?」
「“我々”と“帝国”の繋がりはこの国の一級品を毎年一つ贈ることじゃ。それ以上でも以下でもあるまい」
「であれば、私たちと貿易をさせてくれませんか?」
「――というと?」
「我々は人手が多いとは言えません。とはいえ、敵国に一般市民を連れて行くことは出来ない。だから、馬車を出して欲しいのです。我々の国とこの緑の国を繋ぐために」
「それで我々が得る利益はなんじゃ?」
「どの国とも“敵対しない”ということです。帝国が今の地位を維持しても我々のもとに天が転がっても、この国は変わらず“緑”を続けていける。それが利益です」
「相手方の欲する物もしっかりと見えておる。…………ならば、この杯を飲んでみよ。有言実行とでもいうのかな」
それは大の男が呑むような満月を浮かべる盃が一つ。リベルテが持つと身体がふらつくのではないかという一杯だ。
――毒が入ってるのではないか?
――少女にここまでするのか?
そんな野次さえが試されていた。これは二人の話し合いではなかった。僕さえも〈形無き国〉代表として、今、丸テーブルを囲んでいるのだ。僕の目にはリベルテが少し気圧されているのが分かった。喉がグッと落ち込んで息が詰まっている。これを飲み干すことが果たして正しい答えなのか、どうかという問いなんじゃないだろうか?
「お互いの腹を探り合っているね」
僕のすぐ隣ランも真剣なまなざしでその判断を刮目している。我らが国の象徴がどういう答えを出していくのか。それも一つの疑念であろう。
何を信頼するのが正しいのか。それをこの若さで背負うには試練の壁が大きすぎる。
「どうしたのじゃ? やはり呑めないのか」
それが最後の一手だったのだろう。翁の声がピリッと回りを狼狽えさせた。この翁決して、後手に回って国益を通してきた訳では無さそうだ。それは帝国をも、喰ってかかるほどの野心をもった草食動物。
「――もらい物を独占するのは良くないです。リベルテ様」
「れっ…………レイド?」
その目を剥いたのなら、相手をするのはリベルテではない。レイドが杯に向かった顔を突っ込んだ。横着ではあるがそれは野蛮にも敵の懐に突っ込んだのと同じ。
「くぁ…………っ。かはっ………………」
レイドが半分、そのお酒を飲むと天地が逆転したようにカッと熱い吐息を吹き上げながら倒れ込んだ。毒はなくともかなり度数の強いお酒だ。
先にリベルテが酒に溺れていれば商談はそれまで。定期的に長旅に兵士を割けない〈形無き国〉とっては後手を取られる形となる。
「良い飲みっぷりじゃが…………。残りはどうする?」
「リベルテ様。レイドの残り酒は…………兄弟である私に」
「うーうん。レイナが全く飲めないことは知っています。残りは私が」
リベルテは一つ決意すると杯を傾けた。この面子のためにも必ず、溢す訳にはいかない。ただし傾けてしまえば、飲みきること以外に溢さない方法はない。覚悟の伴った思い切りの良い胆力だ。リベルテが今はとても大きく見える。それを見て僕は確信した。
――今回は“僕ら”の勝ちだと。
「長年続く農家の割には、ずいぶんと真新しい農具を使ってますね。王女にお酒を煽らせる名目で代わりになる兵士を酔い潰し集団で殺そうという手立てでしたか?」
僕は円テーブルの上に立ち、リベルテが飲みきると同時に発言を開始した。それは僕からの援護口撃。鍬にしては鋭利すぎる刃を持つ獲物。農業用の斧のはずなのに血臭の匂う斧。人を狩りの獲物の様に伺うその観察眼。
「せいぜいあなた方が狩れるのは酔った無防備な人間と単独行動する熊程度………………違いますか?」
「おっほっほ。あなたは“帝国”の遣いできた竜の紋章を持つ者と同じような雰囲気があるのぉ」
「あくまで僕はリベルテと共闘関係。それだけは知っておいていただきたい」
「打つ手なしじゃのぉ。田舎者には生き抜くための知恵も薄い。せいぜい植物を育てるための経験があるだけじゃのぅ」
――バンっ!
そんな自虐的な翁の弱音に机を叩き立ち上がったのは顔を朱に染めた天然の逸品だ。
「それは私たちにはないものや。だからっ、貿易の意味があると思わんかっ!?」
リベルテは訛りの激しい本心を説く。感情を思うがまま代弁する真っ赤な顔のお姫様。酔った勢い方便が強いがそれもまた田舎者を除け者にしない熱弁になったのかもしれない。それからリベルテの訛りが肴となって宴会は盛り上がる形となった。
いつも着飾っているリベルテさんにも気を緩めるときは必要に違いないよね。