105.お姉様へ。
ルミナ視点。
部屋の中は、しんと静まり返っていた。
カーテンは閉ざされ、光はほとんど入らない。
時間が、止まってしまったかのように。
「……」
私は、ベッドの端に座ったまま動けずにいた。
何もする気になれない。
何も、考えたくないのに――
それでも、頭の中には同じことばかりが巡る。
私の知っている物語では。
ネメシアは――死ぬことはなかった。
あの物語の中では。
追いやられる事であっても、生きていた。
「……」
ぎゅっと、指を握りしめる。
――私が。
余計なことをしたから。
「……私の、せい」
ぽつりと零れた声は、自分でも驚くほど掠れていた。
あの時。
違う選択をしていれば。
違う言葉をかけていれば。
もしかしたら――
「……」
全部、タラレバの話だ。
もう、何も変わらないのに。
それでも、考えることをやめられない。
『――ルミナ』
ふいに、思い出す。
優しく名前を呼ぶ声。
柔らかく微笑む、あの表情。
「……お姉様」
私のために。
何度も、自分を犠牲にしてでも守ってくれた。
「……」
大好きな、お姉様が――
もう、いない。
胸の奥が、空っぽになったようだった。
涙は、もう出ない。
あれほど、泣いたのだから。
きっと、全部出し切ってしまったのだろう。
それでも、苦しさだけが残っている。
「……ねぇ」
誰にともなく、小さく呟く。
消えてしまいそうな声で。
「お姉様は……」
言葉が、少しだけ詰まる。
それでも、続けた。
「……幸せ、だったのかしら」
答えは、返ってこない。
当たり前だ。
もう――
届くことは、ないのだから。
ドアを叩く音が、静かな部屋に響いた。
「……」
返事はしない。
する気力も、残っていなかった。
けれど――
躊躇うような間のあと、扉はゆっくりと開かれる。
「……ルミナ」
低く、柔らかな声。
振り向かなくても分かる。
ユリウスだ。
「……」
返事はできない。
顔を向けることもできない。
ただ、そこにいる気配だけを感じていた。
足音が、ゆっくりと近づいてくる。
一歩ずつ。
静かに、ためらうように。
そして――
視界の端に、白いものが差し出された。
「……ネメシアから」
その一言で。
止まっていた時間が、わずかに動いた。
「……」
ゆっくりと、顔を上げる。
震える指で、それを受け取る。
大切なものに触れるみたいに。
そっと。
差出人の名前を、確かめる。
そこにあったのは――
見慣れた、あの文字。
お姉様の名前。
「……」
息が、詰まる。
「……渡すように、って」
ユリウスの声が、どこか遠くに聞こえる。
「……」
手紙を、胸元に引き寄せる。
まるで、それだけで繋がれるかのように。
――お姉様。
小さく、心の中で呼ぶ。
もう届かないはずの名前が、今はすぐそこにある気がした。
震える指で、封を切る。
紙を開いた瞬間。
視界が、わずかに揺れた。
「……」
最初の一行を、ゆっくりと追う。
――ルミナへ。
それだけで。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
『これを読んでいるということは――
きっと、また自分のせいだと思っているのでしょうね。
そんなことはない、と。
本当は、すぐにでもそう言ってあげたいところだけれど。
きっと貴女は、素直に受け取ってはくれないでしょう。
だから――
これは、私の本当の気持ちを書いておくことにするわ。
最初に、貴女が言った言葉、
「専属侍女になってほしい」と。
あれには、正直驚いたの。
だってその時の私は――
貴女のことを疑っていたから。
守ると言いながら。
本当は、私を陥れるつもりなのではないかと。
そんな風に思っていた。
……最低でしょう?
けれど、違った。
貴女は、貴女にできる精一杯で。
ずっと、私を守ってくれていた。
その想いが、嘘じゃないって。
少しずつ、信じられるようになったの。
初めてのお茶会も。
初めて贈ったプレゼントも。
そして――初めて貰ったものも。
全部が、私にとっては特別だった。
貴女と一緒に過ごした時間。
貴女と"初めて"を重ねていったこと。
それが――とても、嬉しかったの。
私は、とても不器用だから。
貴女を守るには――嫌われるしかないと思っていたの。
それ以外の方法が、どうしても分からなかった。
近くにいれば、きっと貴女まで傷ついてしまう。
だから、遠ざけることしかできなかった。
……本当に、情けないわね。
それでも貴女は、私を信じてくれた。
どれだけ突き放しても。
どれだけ冷たくしても。
一度も、疑わなかった。
どうしてそこまで信じてくれるのか、分からなくて。
けれど――
それだけで、私は救われていたのよ。
だからね、ルミナ。
貴女は何も間違っていないの。
私が選んだこと。
私が決めたこと。
全部――私の意志よ。
だから、どうか。
自分を責めないで。
"私のせい"だなんて、思わないで。
そんな顔をしていると思うと、つらいもの。
……最後まで、不器用な姉でごめんなさい。
でも……
貴女と出会えてよかった。
妹が貴女で、本当によかったと思っているわ。
これは、嘘じゃない。
心から、そう思っているの。
だから――
どうか、幸せになって。
たくさん笑って。
たくさん、大切なものを見つけて。
貴女の人生を、生きてほしい。
それが、私の願いよ。
……大好きよ、ルミナ。
ネメシアより』
最後の一行。
滲んだ文字を、指でなぞる。
「……わたしも……」
掠れた声が、零れる。
「……わたしも、大好き……っ」
ぎゅっと、手紙を胸に抱きしめる。
まるで、それが――
お姉様そのもののように。
「……っ、う……」
堰を切ったように、涙が溢れる。
止まらない。
どうしても、止められない。
――けれど、
私は、そっと涙を拭った。
深く息を吸い込む。
苦しくて、張り裂けそうだった胸が、少しずつ静まっていく。
「……」
顔を上げる。
――もう、俯いてばかりはいられない。
気づけば、ユリウスの姿は部屋から消えていた。
「……ユリウス」
小さく呟いて、すぐに立ち上がる。
そのまま、私は部屋を飛び出した。
廊下を駆ける。
足音が、やけに大きく響いた。
――外へ。
庭を抜けて、門の先へ。
そこに、ユリウスがいた。
ちょうど馬車に乗り込もうとしているところだった。
「――ユリウス!」
思わず声を張り上げる。
彼が、驚いたように振り返った。
「……ルミナ?」
息が乱れる。
それでも、足を止めずに駆け寄った。
「私……」
一度、言葉を切る。
胸の奥に溜まっていたものを、吐き出すように。
大きく息を吸って――
まっすぐに、彼を見る。
「お姉様の分まで、生きるわ」
はっきりと、言い切った。
声は、もう震えていなかった。
「……うん」
ユリウスの表情が、和らぐ。
「もう、くよくよしない」
首を横に振る。
涙の跡は残っているのに、不思議と視界ははっきりしていた。
「だって、私……お姉様の妹だもの」
強く、言い切る。
胸の奥に、あの姿が浮かぶ。
最期の瞬間。
死へ向かうはずだったのに――
あんなにも穏やかで。
あんなにも、幸せそうに微笑んでいた。
『ありがとう』
最後まで、感謝の言葉を紡いでいた人。
その想いを。
その生き方を。
――無駄にしたくない。
「……」
私は、そっと目を細めた。
――お姉様。
心の中で、静かに呼びかける。
「……見守っていてね」
小さく、けれど確かに。
その言葉を、空へと向けて紡ぐ。
返事は、もう届かない。
それでも――
きっと、どこかで。
あの人は、優しく微笑んでくれている。
そんな気がした。
風が、やさしく頬を撫でる。
それは、まるで――
お姉様が、そばにいるみたいに。
あと一話で終わります。
長いので、明日に投稿します。




