104.最期。
石畳の上を、ゆっくりと歩く。
足枷が鳴るたびに、乾いた音が響いた。
重いはずなのに――不思議と、身体は軽かった。
もう抗う必要がないからだろうか。
それとも、すべてを置いてきてしまったからか。
「……」
視線は、前へ。
逸らすことなく。
堂々と――というよりは、ただ静かに。
処刑台へと続く階段が、目の前に現れる。
高くはない。
けれど。
一段一段が、やけに長く感じた。
「あの人、ルーインハイト元公爵の娘らしいよ」
「親も親なら子も子だな」
周囲から、途切れることなく罵声が降ってくる。
「……」
それでも、足は止めない。
ふと、風が吹く。
その風に揺れたのは――
切り落とされた、かつての名残。
波打つ長い髪は、もうない。
肩口で不揃いに断たれたそれは、すでに輝きを失っていた。
とても綺麗に輝いていた、あの銀色は。
今は、くすんだ灰色に変わっている。
触れなくても分かる。
もう、戻らないのだと。
白かったはずの肌も。
泥と、血と、無数の傷に覆われていた。
――誰の目から見ても。
私はきっと、みすぼらしく映るのだろう。
それでも、
「……」
顔を上げる。
視界に広がるのは――空。
どこまでも澄んだ、空色。
今まで見てきたどの空よりも。
鮮やかで。
透き通っていて。
そして――
残酷なほどに、美しかった。
「……綺麗」
思わず、零れる。
その瞬間。
ふと、胸の奥に浮かんだのは――
あの人の笑顔だった。
少しだけ不器用で。
どこか自信に満ちていて。
それでも、優しくて。
「……」
空と、同じ色の瞳。
そう思った途端、胸がわずかに軋む。
「……セシル」
小さく、名前を呼ぶ。
返事は、もちろんない。
それでも――
ほんの少しだけ。
あの人が、この空の向こうにいるような気がした。
「……」
まぶたを細める。
こんなにも穏やかに、そう思えたことが……
少しだけ、不思議だった。
――ここまで、本当に長かったなぁ……。
心の中で、呟く。
思い出が、静かに浮かんでは消えていく。
笑ったこと。
泣いたこと。
守ろうとしたこと。
守れなかったこと。
そして――
愛したこと。
「……」
小さく、微笑む。
それだけで、十分だった。
階段を上る。
一歩、また一歩。
そして、その先には――ユリウス殿下とルミナがいた。
まっすぐに、こちらを見ている。
ルミナは、今にも泣き出しそうで。
それでも、必死に堪えていた。
その姿に――
ふっと、微笑みが零れる。
あれほど、先日もたくさん泣いていたのに。
……本当に、枯れてしまうわ。
それでも。
こんなにも、私のために涙を堪えてくれることが、
どうしようもなく、嬉しかった。
――許してね。
こんな私でも。
誰かに必要とされていると、思えたこと。
それだけで――
悪くない人生だったわ。
「……」
首が、ゆっくりと固定される。
冷たい感触が、肌に触れる。
逃げ場は、もうない。
「――これより、刑を執行する」
低く、よく通る声が響く。
一人の男が、巻物を広げる。
そして――
感情のない声で、読み上げた。
「罪人、ネメシア」
一拍。
「第二王子セシル殿下に対する毒物混入による殺害未遂。
王宮拘束下における脱獄。
並びに――刃物による王族と無害の者への襲撃及び殺害」
一つ一つの言葉が、石の上に落ちるように重く響く。
逃げることも、覆すこともできない事実として。
「以上の罪状により」
再び、間が置かれる。
「当該罪人に対し、王命のもと――」
静寂が、場を包む。
そして。
「斬首刑を、ここに宣告する」
その言葉は、冷たく。
決定的に。
すべてを終わらせた。
「悪女を――」
「殺せ!」
民衆の声が、一斉に響き渡る。
怒号の波が、空気を震わせる。
それでも――
私の心は、不思議なほど穏やかだった。
「……」
死ぬのが怖くない、なんて。
そんなのは、きっと嘘。
それでも。
もう、逃げたいとは思わなかった。
ゆっくりと顔を上げる。
視線の先には――
ユリウス殿下と、ルミナ。
「……」
ほんの一瞬だけ。
時間が止まったように感じた。
「―――――」
声には出さない。
ただ、唇だけを動かす。
届かなくてもいい。
それでも――
確かに、想いを残すように。
そして。
私は、静かに口角を上げた。
それは、きっと。
今までで一番、穏やかな笑みだった。
次の瞬間――
世界が、ふっと途切れる。
光も、音も、すべてが遠ざかっていく。
空の色だけが、最後に残って――
私は、二度と。
空を見ることはなかった。




