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【完結】悪役令嬢の願い  作者: なむそ
《エピローグ》

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114/114

106.私は……幸せよ。

 



 重い瞼を、ゆっくりと持ち上げる。


 ――目を開けた瞬間。


 視界いっぱいに広がっていたのは、ただ白いだけの世界だった。


「……」


 音もなければ、気配もない。

 どこまでも、静かで。


 ――何もない。


「……私、は……」


 かすれた声が、自分でも驚くほど遠くに感じた。


 確かに、私は――首を落とされたはず。


 最後に見た空。

 あの瞬間の感覚。


 はっきりと、覚えている。

 それなのに。


「……どうして」


 ゆっくりと、首元に手を当てる。


 指先に触れたのは、確かな温もりと――

 繋がったままの、皮膚。


「……」


 思わず、息を呑む。


 あるはずのないものが、そこにある。

 生きている証が、確かにここにある。


 けれど。

 ふと、指先に触れた髪は――

 肩にも届かないほど、短くなっていた。


 あの長い銀髪は、もうどこにもない。


 それだけが、あの出来事が夢ではなかったと、突きつけてくる。


「……ここは」


 小さく、呟く。


 答えるものは、いない。

 見渡しても、何もない。


 白。白。白。


 どこまでも続く、無機質な空間。


 時間すら、止まっているようだった。


「……」


 胸の奥に、わずかな違和感が残る。


 生きているのか、死んでいるのか。

 その境界は、曖昧なまま。


 それでも私は、一歩を踏み出した。

 足音は、響かない。


 ただ、自分の存在だけが、そこにある。

 それを確かめるように。


 私は、静かに歩き出した。


「……ルミナは、手紙を読んだかしら」


 ぽつりと、呟く。


 あの子のことだからきっと――また自分を責めているのだろう。


 だからこそ、ユリウス殿下に託しておいた。

 あの手紙を。


 少しでも。

 ほんの少しでもいいから、前を向いてくれていたらいいのだけれど。


「……」


 小さく息を吐く。

 胸の奥に、やわらかな願い”だけ”が残っていた。


「それにしても」


 ふと、視線を前へ戻す。

 歩みは止めないまま、意識だけが過去へと遡っていく。


 約二十年。


 たった、それだけの時間なのに――


 思い返せば、あまりにも濃くて。

 あまりにも、多くのものを抱えていた。


「……ふふ」


 自然と、笑みが零れる。


 最初に出会った頃のルミナは、年齢のわりにどこか大人びていて。

 妙に落ち着いていて。


 ……少しだけ、警戒していたのよね。


 けれど。


 時折見せる、あの子供っぽい仕草。

 無邪気な笑顔。

 拗ねたような顔。


「……可愛かったわね」


 くすり、と笑う。


 初めて喧嘩をした時も。

 仲直りをした時も。


 ころころと表情を変えて――

 まるで、感情そのものをそのまま映しているみたいで。

 見ていて、飽きなかった。


 あの子は、すぐに泣いてしまうけれど。


 その涙は――いつだって、私のためだった。


「……」


 胸の奥が、ほんの少しだけ軋む。


 もう、あんな風に泣かせたくはない。

 これからは。あの子が笑っていられる時間の方が――ずっと多くなればいい。


「……ユリウス殿下が、ルミナを守ってくれるわ」


 静かに、そう呟く。


 彼なら、大丈夫。


 最初は、少し頼りないと思っていた。

 ……私のこと、好意的に思っていたみたいだし。


 小さく、苦笑が漏れる。


 本当に任せていいのかと、疑ったこともある。


 けれど――

 あの子への想いに気づいた時。


 彼は、迷わず動いた。


 守るために。

 隣に立つために。

 逃げることなく、選び取った。


「……ふふ」


 小さく、笑みが零れる。


 だからこそ、安心して託せたのだ。


「……あの二人なら」


 ぽつりと、言葉を落とす。


 きっと、これから先も――

 支え合って、歩いていける。


 そう思えるだけの、強さがある。


「……大丈夫ね」


 優しく、言い聞かせるように。


 その言葉は、どこか遠くへと溶けていった。


「……」


 しばらく、静かに歩く。

 足音は相変わらず響かない。


 それでも、不思議と寂しさはなかった。


 ルミナのことは、もう心配いらない。

 あの子はきっと、前を向いて歩いていける。


「……」


 残るのは――ただ一つ。


 自然と、胸の奥に浮かび上がる。


「……セシル」


 小さく、名前を呼ぶ。

 白い世界の中で、その音だけがかすかに溶けた。


 最後に見た、あの姿。


 血に染まりながらも――それでも、笑っていた。


「……本当に」


 かすかに、息を吐く。


 どうしてあの人は、あんな状況でも――

 あんな顔ができるのだろう。


「……馬鹿ね」


 ぽつりと零す。


 呆れたようでいて。

 どこか、愛しさが滲む声。


「……私より先に倒れるなんて」


 あの人らしいと言えば、あの人らしい。

 けれど――


「……」


 少しだけ、視線を落とす。


 言葉にはしない。

 けれど、胸の奥で確かに思う。


 ……もっと、一緒にいたかった。


 再び、顔を上げる。


 白い世界は、変わらない。

 何もないはずなのに。


「……もう、会えないのかしら」


 ぽつりと、零れる。


 白い世界に、その声は静かに溶けていく。


「……」


 ほんの一瞬、瞬きをする。


 ――その瞬間。


 視界の奥に、ぼんやりと人影が浮かんだ。


「……?」


 思わず、目を細める。


 気のせいかと思った。


 けれど、それは……確かにそこに“いる”。


 ゆっくりと、輪郭がはっきりしていく。


 そして――


「――よお」


 聞き慣れた声。


 いつもと変わらない、どこか気の抜けた音声。

 けれど、その奥に確かな温もりが滲んでいた。


「――セシル」


 名前が、自然と零れる。


 抑えることなんて、できなかった。


 込み上げる想いが、胸を満たしていく。


「……っ」


 思わず、その場に立ち尽くす。


 そんな私を見て、彼はゆっくりと歩み寄ってきた。


 そして――

 何も言わずに、そっと抱きしめる。


「……」


 温もりが、伝わる。


 確かに――ここにいる。


「……本物、なのよね?」


 震える声。


 確かめるように。

 縋るように。


 思わず、そう問いかけていた。


「ああ」


 短く、けれど迷いのない返事。


 それだけで――十分だった。


「……」


 ゆっくりと、身体が離れる。

 名残を惜しむように。


 そして――彼の手が私の頬に触れた。


 あたたかくて。

 どこか、懐かしい感触。


「置いていって、すまねぇ」


 低く、優しい声。

 私は、小さく首を振る。


「……また、会えて嬉しいわ」


 言葉にした、その瞬間。


 一粒の涙が、頬を伝った。


 彼は、それをそっと拭う。

 壊れ物に触れるみたいに、優しく。


 顔が、ゆっくりと近づく。


 息が、かかる距離。


 逃げる理由なんて、どこにもない。

 だから――目を閉じた。


 次の瞬間。


 唇に、柔らかな温もりが触れる。


 それは、確かに。

 再び繋がった証のようだった。


 ゆっくりと、唇が離れる。


 名残を惜しむような静けさが、二人の間に残った。


「……髪、短くなったな」


 ぽつりと、セシルが呟く。


 彼の指が、私の髪にそっと触れる。


 かつての長さはもうなく、

 肩口で揺れるそれを、確かめるように撫でていく。


「……仕方ないわ」


 小さく、返す。


 そう言いながらも私自身もまた、無意識に髪へと手を伸ばしていた。


 ほんの少しだけ。

 失われたものを、惜しむように。


「似合う」


 迷いのない声。

 あまりにもあっさりと告げられて、思わず目を瞬く。


「……そう」


 けれどその言葉に自然と、口元が緩んだ。


「……ところで」


 セシルが視線を上げ、周囲をぐるりと見渡す。


 変わらない、白い世界。

 どこまでも続く、何もない空間。


「ここは、どこなんだ?」

「……それが、私にも分からないの」


 小さく、首を振る。


「目が覚めたら、ここにいて……それから、ずっと」


 見渡しても、やはり何もない。


 見たことも、聞いたこともない。

 不思議な場所。


「ふーん」


 セシルは、あまり深く考える様子もなく、軽く息を吐いた。


「ま、歩いてりゃ何か分かるだろ」


 いつも通りの、お気楽な声音。

 けれど、その言葉にはどこか安心感があった。


 彼は、すっと手を差し出す。


「のんびり行こうぜ」


 穏やかに、少しだけ笑って。


「もう――ここには、邪魔するやつもいねぇんだ」

「……ええ」


 私は、その手を取る。

 温もりが、確かに伝わる。


 もう、離す必要はない。


「……そうね」


 小さく、頷く。


 白い世界の中で、二人並んで歩き出した。


 時間の感覚は曖昧なのに、不思議と会話は途切れなかった。


 昔のこと。

 好きなもの。


 どうでもいいような、他愛のない話を重ねていく。


 それが、どこか心地よかった。


「……そういや」


 ふと、セシルが思い出したように口を開く。


「ネメシアの母親の話、聞いたことねぇな」

「……」


 ほんの一瞬だけ、言葉を探す。


 けれど、すぐに静かに答えた。


「……お母様は、私を産んだ後に亡くなったの」


 その言葉に。

 セシルは、わずかに視線を伏せる。


「……わりぃ」


 短く、呟く声。


 その気遣いが、少しだけ可笑しくて。


「……ふふ」


 小さく、微笑んだ。


「いいのよ。……もう、平気だから」


 穏やかに、そう告げる。

 過去を語ることに、もう痛みはなかった。


「……お母様が亡くなった後は、乳母に育ててもらっていたの」


 自然と、言葉が続く。


 ――彼女も、もういないけれど。


 そのことは、口にしなかった。

 きっと言えば、彼はまた同じ顔をするから。


「……」


 記憶にある母の姿は、ない。


 けれど、その代わりに――


「……」


 胸の奥に、温かなものが広がる。


 リサとの思い出。


 内緒で、お菓子を持ってきてくれたこと。

 夜遅くまで、本を読んでくれたこと。

 小さな私と同じ目線で、笑ってくれたこと。


 誰もが、私を遠ざける中で。


 あの人だけは、変わらずにいてくれた。


「……優しい人だったわ」


 ぽつりと、零す。


 その一言に、すべてを込めるように。


 ――その時。

 ふいに、手を強く握られる。


「……」


 隣を見上げると。


 セシルは、ほんのわずかに――

 悲しそうな表情をしていた。


「俺は、もう離れないからな」


 低く、けれどはっきりとした声。


 その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「……」


 ほんの少しだけ、視線を逸らす。


 くすぐったいような、照れくさいような。


 けれど、それ以上に――

 嬉しかった。


「当たり前よ」


 小さく、そう返す。


 迷いはなかった。


 すると。

 セシルは、珍しく頬をわずかに赤らめる。


「……素直になるとは思わなかった」


 ぼそりと、そんなことを言う。


「……失礼ね」


 思わず、じとりと睨む。

 けれど――すぐに力が抜けた。


 確かに。

 今までの私はこんな風に言葉にすることなんて、ほとんどなかったから。


「……()()()()()、善処するわ」


 少しだけ言い淀みながらも、そう答える。


 その瞬間。

 セシルが、はっとしたように目を見開いた。


 そして――


 とても満足そうに。

 幸せそうに、微笑んだ。


「……?」


 思わず、首を傾げる。


 何かおかしなことを言ったかしら。


 そう思って見つめると。


「……いーや。なんでもねぇよ」


 いつもの調子で、軽く笑う。

 どこか誤魔化すような声音。


「……そう」


 少しだけ不思議に思いながらも。

 それ以上は、追及しなかった。


 それにしても……。

 リサと過ごした時間を、ふと思い出す。


 あの頃は、何も持っていなかったはずなのに。

 不思議と、満たされていた。


「……」


 あれもきっと、幸せな時間だったのだろう。


 そう思えた瞬間。


 ふいに、胸の奥に引っかかる記憶が浮かぶ。


 そういえば――小さい頃。


「……?」


 思い出しかけた、その時。


 ふっと、風が吹いた。

 この世界には、あるはずのない“風”。


「……なんだ?」


 セシルが目を細める。

 私も思わず、視線を巡らせた。


 ――次の瞬間。

 景色が、変わる。


 白しかなかった世界が、ゆっくりと色を帯びていく。


 どこまでも広がる、澄んだ空色。


 そして――


 視界いっぱいに咲き誇る、赤いアネモネ。


 風に揺れて、花弁がさざめく。


「……これは」


 思わず、一輪に手を伸ばす。

 指先に伝わる、柔らかな感触。


 確かに――本物。


「どうなってるんだ?」


 戸惑いを隠さない、セシルの声。


「……わからないわ」


 静かに、首を振る。


 けれど――

 どこか、懐かしい。


 そんな感覚があった。


「……?」


 その時。

 少し離れた場所に、二つの影が見えた。


 揺れる花の向こう。

 こちらへ歩いてくる、二人の人影。


「……誰だ」


 セシルが一歩前に出る。

 庇うように、私を背へと引く。


「……」


 けれど。


 私は、その背中をそっと押した。


「……セシル、待って」

「お、おい……」


 制止の声を聞きながらも――

 私は、そのまま前へと進む。


 足が、自然と動いていた。


 近づくほどに、輪郭がはっきりしていく。


 一人は――見慣れた侍女の装い。


 そして、もう一人は――


「……」


 息を呑む。


 何度も、肖像画で見た顔。


 けれど、今は――


「……リサ」


 思わず、名前が零れる。


 優しく微笑む、その姿は。


 紛れもなく――あの人だった。


 そして、その隣。

 柔らかな光を纏う女性。


「……」


 胸が、強く脈打つ。


 知らないはずなのに。


 どこかで、ずっと求めていた存在。


「――お母様!」


 気づけば、声を上げていた。


 最初は、ただ歩いていただけのはずだった。


 けれど――気づけば。


 走り出していた。


 止めることなんて、できなかった。


「……っ」


 視界が揺れる。

 息が乱れる。


 それでも、足は止まらない。


 ただ、一直線に。


 その人のもとへ。


「お母様……!」


 腕を伸ばす。


 そして――


 そのまま、胸に飛び込んだ。


「お母様……お母様……!」


 何度も、何度も。


 確かめるように、名前を呼ぶ。


「……ネメシア」


 優しい声。

 包み込むような、柔らかな響き。


 お母様は、そっと私を抱きしめ返してくれた。


 逃がさないように。

 壊さないように。


 優しく――けれど確かに。


「……よく、頑張りましたね」


 初めて聞くはずの声。


 それなのに――


 どうしてこんなにも、懐かしいのだろう。


 どうしてこんなにも、安心するのだろう。


「……っ」


 胸の奥が、いっぱいになる。


 抑えていたものが、一気に溢れ出す。


 瞳から、次々と涙が零れ落ちた。


 止まらない。


 もう――止める必要もなかった。


 ……ああ、私は――


 間違っていなかったのかもしれない。




 小さい頃。


 何度も、何度も願った。


『ママに会いたいなぁ……』


 その願いが、今。


 ようやく――届いたのだと。


 そう、思えた。





 これが――


 ()()に徹した()()が、


 最後に叶えた最初()()()




完結です!

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

長くなりそうなので活動報告にて、いろいろ書こうと思います。


ネメシアが、幸せになることができて良かったです。

感想、評価などいただけるととても嬉しいです。


改めて、ここまで一緒にネメシアの成長を見てくださり、本当にありがとうございました。

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