96.目が覚める。
セシル視点
その後、ネメシアから聞いた。
妹のために――
自分が悪評を背負っていることを。
「あの子が、幸せでいられるなら」
ネメシアは、静かにそう言った。
「それで、十分ですわ」
その言葉は、あまりにも迷いがなかった。
……そうか。
やっと理解した。
なぜ俺は、こんなにもネメシアに惹かれているのか。
最初はただ――
周りの令嬢たちみたいに、媚びてこないからだと思っていた。
だが、違う。
こいつは……俺と同じだ。
背負う必要のないものまで背負って、誰にも言わずに平気な顔をしている。
……馬鹿みたいに。
目の前のネメシアを見る。
凛としていて。
それなのに、どこか儚い。
そんな彼女を見て――
胸の奥が、強く鳴った。
ああ、そうか。
俺は――
ネメシアが、好きだ。
やっと――自覚した。
それなのに、学年が上がる前。
ネメシアは、俺の前で静かに頭を下げた。
もう監視は必要ないこと。
そして――
身分剥奪と、投獄。
その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
何を言っているのか、一瞬理解できなかった。
拒否した。
当然だ。そんなもの、認められるわけがない。
だが、ネメシアは意志を曲げなかった。
静かな目で、ただ俺を見ている。
……ああ、分かった。
彼女はもう、決めている。
何か理由があるんだろう。
俺にはまだ言えない理由が。
それくらいは、分かる。
分かる、が。
それを実行するのは――
俺にとって、胸くその悪い役目だった。
――なんで、そこまでして背負う。
喉まで出かかった言葉を、飲み込む。
こいつはきっと、答えない。
そして、止めても止まらない。
だったら。
俺ができることは、一つしかない。
ネメシアが意志を曲げないなら、その後で守れるようにする。
それから卒業まで。
ネメシアは、今まで以上に悪評を背負った。
そのたびに、セレフィーナが俺の元へやってくる。
「セシル殿下……。また、ネメシア様に突き飛ばされましたの」
ある日は。
「本日は、水をかけてきましたのよ!」
……全部、嘘だ。
突き飛ばそうとしたのは、そっちだろ。
ネメシアが避けただけだ。
水だって同じだ。
取り巻きを使ってネメシアにかけようとして、避けられた先に――
たまたまお前がいただけだ。
分かりやすいにもほどがある。
セレフィーナは涙目になりながら、俺の腕に絡みついてくる。
――胸くそ悪ぃ。
今すぐ、この腕を振りほどいて。
ネメシアのところに行きたい。
そして全部、嘘だと。
お前たちがやっていることだと。
そう言ってやりたい。
けれど。
俺は、何もしない。
……できない。
ここで俺が動けば――
ネメシアが背負っているものを、全部壊してしまう。
だから俺は黙って、セレフィーナの言葉を聞く。
ただ、ひとつだけ思う。
……あと少しだ。
卒業まで。
ネメシアが望んだ道が、終わるその時まで。
それまでは俺が全部、見ている。
卒業式。
本当はネメシアの断罪を辞めて、セレフィーナとの婚約を破棄してやろうかと思った。
だが、それでは俺の計画までも潰れてしまう。
胸が痛みながらも俺は、ネメシアの言う通りに身分剥奪と地下牢への投獄を命じた。
彼女は最後に綺麗な礼をした、あの瞬間。
……抱きしめたくなった。
けれど、できなかった。
ネメシアはそのまま連れていかれた。
牢へ。
せめて、苦痛にならないように。
牢の環境は、俺が手を回した。
あとは、理由を聞くだけだった。
なぜ、そこまでして自分を落とすのか。
ネメシアの口から聞いた内容は――
想像を遥かに超えていた。
ルーインハイト公爵家当主の裏帳簿、違法な取引。
そして――拉致。
それを暴くためにネメシアは、自分の身分を剥奪される必要があった。
さらに、ルミナの実父のこと。
公爵家に仕えていた使用人たちの後始末。
……全部。
全部、計画の中だった。
俺は、言葉を失う。
……ここまでやるのか。
俺が惚れた女は――
とんでもない女だった。
同時に、思う。
……やっぱりな。
だからこそ。
俺はこいつに惚れたんだ。
すべてを聞いた俺は、すぐに行動に移した。
まずは――ネメシアの解放。
今回の事件でネメシアが公爵家の裏取引に関わっていたのは事実だ。
だが、それはヴォルクハルト公爵による脅迫があった、という形にした。
そのうえで、内部告発者として扱う。
結果――処罰はなし。
ネメシアは罪を問われないことになった。
……だが。
問題は、身分だった。
ネメシアの功績を考えれば、元の地位へ戻すことも不可能ではない。
だが、ルーインハイト公爵家には――
公爵家としての地位を保つほどの財力が残っていない。
それも、ネメシアが意図的にそうしていた。
おそらく自分はもう、元の立場には戻らない。
そう考えていたのだろう。
……彼女らしい。
俺は、ネメシアと離れる気はなかった。
平民として生きる。
修道院に入る。
そんな案は、全部却下した。
考えて、考えて。
そして出てきた案が一つ。
ユリウスの提案だった。
――俺専属の侍女として雇う。
表向きは、監視下に置くという名目。
身分も確保できる。
それ以外に、まともな方法はなかった。
だから俺は、その案を了承した。
侍女として働くネメシアは、元公爵令嬢とは思えないほど働き者だった。
教えた業務はすぐに覚え、そつなくこなす。
最初は少し疑問に思った。
だが、あいつの頭の良さを思えば納得できた。
今までの分、俺はネメシアをとことん甘やかした。
甘えることに慣れていない彼女は、すぐ頬を赤くする。
その反応が、たまらなく可愛かった。
……このままでもいいんじゃないか。
一瞬、そんな考えがよぎる。
けれど、それは許されない。
俺には、やるべきことがある。
ネメシアに、計画を話すべきか。
彼女を巻き込んでもいいのか。
何度も迷った。
ユリウスを皇帝にするために。
邪魔になる貴族たちを選別し、処罰すること。
長い時間をかけて準備してきた。
やっと――すべてが整った。
俺とユリウスが二十になる、生誕の日。
その場で、すべてを告発する。
腐った貴族たちを、終わらせる。
そして――
セレフィーナとの婚約も破棄する。
ネメシアの地位も取り戻す。
それなのに俺は、肝心なところでしくじった。
――毒。
ネメシアに渡されたグラス。
……油断した。
あの時のネメシアの表情を思い出す。
どこか、煮え切らない顔をしていた。
気づくべきだった。
あれは、貴族派の連中が仕組んだものじゃない。
――セレフィーナだな。
単独で行動するとは思わなかった。
あの時のネメシアの蒼白な顔が脳裏に浮かぶ。
それだけで、胸が締め付けられる。
ユリウスに頼んでいた通り――
無事なのか。処罰はされていないか。
ちゃんと守られているのか。
それなのに俺は――
なぜ、まだ目を開けていない。
こんな大事な時に。
どうして、ネメシアの傍にいない。
焦りだけが胸の奥で暴れる。
その時、遠くからかすかな声が聞こえた。
「お姉様を――助けて」
……ルミナ。
ネメシアの妹の声だ。
ああ。当たり前だろ。
俺は、ネメシアを――
助ける。
―――――――――
重い瞼をこじ開ける。
光が、やけに眩しかった。
「――セシル!?」
近くで、聞き慣れた声がする。
ユリウスだ。
俺は身体を起こそうとする。
だが――
「無茶はだめだ!」
ユリウスが慌てて肩を押さえた。
「君は七日間、寝たきりだったんだ。
いくらルミナの力があっても、いきなり動くのは――」
「あいつは――」
ユリウスの言葉を遮る。
一瞬、沈黙が落ちた。
ユリウスは周囲を確認すると、俺の耳元で小さく囁く。
「ネメシアは、ヴァルディオ侯爵が用意した辺境地にいる。
……無事だよ」
その言葉を聞いた瞬間。
身体が勝手に動いた。
ベッドから立ち上がろうとする。
「……セシル!」
ユリウスが腕を掴む。
だが、俺は振り払った。
「……わりぃな」
喉が、少し掠れている。
「俺は、会いに行かなきゃならねぇ」
急いで上着を羽織る。
まだ身体は重い。
だが、構わない。
「すぐ戻る」
そう言いながら、机の引き出しを顎で指した。
「その中、目を通しとけ。戻ったら……話す」
そこには、貴族共の不正を書き留めた帳簿が入っている。
俺は扉を開けた。
廊下にいた執事長に声をかける。
「馬を出せ。今すぐだ」
執事長が驚いた顔をするが、すぐに頭を下げた。
……待ってろ、ネメシア。
今、行く。
投稿遅くなりました!
やっと動き出します!




