94.俺の今まで。2
セシル視点
最初は、ただの興味だった。
貴族学校に入学して間もない頃。
ユリウスに対して、やけに強気な女がいた。
王子相手に物怖じしない態度。
それでいて、令嬢たちの噂話にも動じない。
ただ、凛としていた。
……妙な女だと思った。
ユリウスのお気に入りか?
そう思ったのが最初だ。
もしそうなら、放っておくわけにはいかない。
ユリウスの弱みになる存在なら――
早めに排除しておく必要がある。
ちょうど貴族派がうるさかった。
セレフィーナとの婚約の話だ。
あいつの家は、貴族派の重鎮。
正直、面倒だったが――
俺にとって都合が悪い話でもない。
貴族派を手の内に置くなら、
あいつらの顔を立てておくのも悪くない。
だから、この話は受け入れた。
そして、ネメシア。
あの女も、表向きは貴族派と言われている。
……それなのに、ユリウスはあの女を気にかけていた。
だからこそ、確かめる必要があった。
セレフィーナに言っておいた。
「茶会でも開け」
ついでに、こうも付け加えた。
「ネメシアも呼べ」
一拍。
「あの女が、俺たちの味方であるか確認するためにな」
ネメシアがどう振る舞うか。
全部――見せてもらうつもりだった。
さて。面白い結果になるといいんだがな。
結果は――拍子抜けするほど、普通だった。
茶会の席で、ネメシアは終始当たり障りのない態度を貫いた。
セレフィーナの言葉にも、取り巻きの探るような質問にも……ただ穏やかに、静かに応じる。
敵対もしない。
だが、味方とも言えない。
まるで――
一歩だけ距離を置いた場所から、
こちらを眺めているようだった。
……つまらない。
そう思いかけて、やめる。
いや、違う。
掴めない――か。
茶会が終わった後、俺はネメシアに声をかけた。
「随分、楽しそうな茶会だったじゃねぇか」
こいつはすぐに振り返った。
驚いた様子もない。
「……盗み聞きは、王族の嗜みですの?」
……やっぱり妙な女だ。
いくつか言葉を交わした。
他愛もない会話。
だが――
探ってるな。
あの女は、俺の言葉を拾いながら、
こちらの意図を測っている。
同時に……隠してる。
何かを。
本心か。
立場か。
それとも、もっと別のものか。
どちらにせよ。
簡単に尻尾を出す女ではないらしい。
……まあ、いい。
今すぐ結論を出す必要はない。
「せいぜい俺を楽しませてくれよ」
ユリウスの邪魔になる存在か。
それとも――
利用できる存在か。
どちらにせよ、もう少し見極めさせてもらおうじゃないか。
後日。
たまたま通りかかった図書室の扉から、楽しそうなユリウスが出てきた。
あいつがあんな顔をしているのは、珍しい。
不思議に思った俺は、半開きの扉の隙間から中を少しだけ覗いた。
すると――
そこには、ネメシアがいた。
窓際の席。
机の上には本が何冊も積まれている。
そして、その頬が少しだけ赤く染まっていた。
……ふうん。
さっきまで、ユリウスと一緒だったんだろう。
あいつをからかいに行こうかと思ったが、その前にネメシアが椅子から立ち上がった。
扉の方へ向かってくる。
俺は静かに扉の脇に寄り、待った。
やがて扉が開く。
ネメシアが外へ出た瞬間、俺は口を開いた。
「随分と、楽しそうだな」
背後から声をかけると、あの女は足を止めた。
……振り返らない。
「今度は、貴方ですか」
ため息でもつきそうな声。
随分と、ユリウスとは違う声だ。
「冷たいねぇ」
軽く笑う。
やっと振り向いたネメシアは、いつもの顔をしていた。
さっき図書室で見た顔とは、まるで別人だ。
「ユリウスと、ずいぶん仲がいいじゃねぇか」
少し意地の悪い言葉を投げる。
だが、こいつは態度を変えない。
「仮に、そうであったとしても……ユリウス殿下には婚約者がいます」
一拍。
「私は、その事実を踏み越えるつもりはありません」
その瞳は、揺るぎない強さを宿していた。
まるで――
何かを守るかのように。
……なるほど。
ユリウスの弱みになるかと思ったが、どうやら違うらしい。
だが。
こいつには、少し興味が湧いた。
噂通りの女かと思っていたが、そうでもない。
わざと目立たないようにしているところも、
それを計算でやっているところも――
妙に、親近感が湧いた。
「せいぜい、その“当たり障りのなさ”を続けろよ」
ネメシアの視線が、わずかに動く。
「俺が飽きるまで」
そう言って、踵を返す。
――飽きることなんて、ないだろうけどな。
いくつかの時が経った。
学校行事の舞踏会に向けた練習で誘ったのも、ただの興味だ。
舞踏会本番にダンスの相手として誘う気はなかった。
……最初は。
けれど、ユリウスと踊っている姿を見た瞬間、無性に苛立ちを覚えた。
「……ちっ」
思わず舌打ちが漏れる。
こんな感情は、初めてだった。
それが余計に苛立つ。
そして気づけば、ダンスは終わっていた。
ネメシアは壁際へ移動している。
――気づけば、足が動いていた。
「――おい」
声をかけると、ネメシアが振り向く。
「……何かしら?」
その態度は、いつもより丁寧さがなかった。
普通なら、王族への態度として咎めるべきなのだろう。
けれど――
その距離の近さが、妙に心地よかった。
言葉を交わすうち、気づけば口が勝手に動いていた。
俺とも踊れ」
言ってから、少しだけ眉をひそめる。
……俺は、何を言ってるんだ。
だが、もう遅い。
言葉は、もう外に出ていた。
けれど、こいつは俺の予想と違う返答をしてきた。
「殿下。まず、婚約者をお誘いになってはいかがですか?」
「……は?」
思わず声が漏れる。
「婚約者を差し置いて、別の女性を先に誘うのは――感心しませんよ」
淡々とした声だった。
責めるでもなく、ただ事実を述べるだけの声。
――婚約者。
その言葉に、妙に腹が立った。
……自分に対して、だ。
「お前は、ここで待ってろ」
そう言い残し、俺はセレフィーナの方へ向かった。
セレフィーナは、少し驚いた顔をしていたが、すぐに微笑んで手を取った。
音楽が流れ、ステップを踏む。
……早く終われ。
胸の奥で、そんな言葉が浮かぶ。
セレフィーナの足運びに問題はない。
会話も、特に不快ではない。
それなのに――
何かが、違う。
ネメシアと踊った時は、こんな感覚はなかった。
むしろ――
あいつの方が、踊りやすかった。
……なんでだ。
理由は分からない。
分からないまま、音楽が終わる。
気づけば、視線が壁際へ向いていた。
さっきまで、あいつがいた場所。
……いねぇ。
ネメシアの姿は、もうなかった。
妙に胸の奥がざわつく。
俺は小さく舌打ちをした。
「……逃げたか」
別に追う必要はない。
そう思ったはずなのに――
気づけば、足が動いていた。
回廊で、ネメシアを捕まえた。
そのまま手首を掴み、壁際へ追い詰める。
「俺が、戻るまで動くなって言っただろ」
「……そう、言ってましたね」
淡々とした声だった。
「じゃあ、なんで逃げる」
ネメシアは一瞬だけ視線を逸らす。
だが、すぐにいつもの顔に戻った。
「さあ?」
ネメシアは肩をすくめる。
「足が勝手に動いただけですわ」
その答えに、思わず笑いが漏れる。
「言い訳にもなってねえな」
手を離すつもりはない。
離したら――
こいつはまた、どこかへ行く気がした。
「……では、何が望みなんですか」
その問いに、俺は言葉を止めた。
――何が?
考えてしまった。
ここまで追いかけるつもりなんて、なかった。
ただ、気づけば体が動いていた。
「……あー」
小さく息を吐く。
そして、口から出た答えは――
「俺と踊れ」
こいつはぱちぱちと瞬きをし、驚いたような顔をした。
「なんで、そうなるんですか」
ようやく出てきた言葉が、それだった。
……こいつ、思ったより本気で困惑してるな。
「お前、さっき言っただろ」
「形式上、まずは婚約者と踊れ、って」
そう告げると、ネメシアは一瞬だけ黙る。
「……それと、私を追いかけてまで誘う理由は、別ですわ」
まっすぐに、俺を見る。
「そこまでする理由を、聞いても?」
そこまで突っ込んでくるとは思わなかった。
「……あー」
思わず頭をかく。
正直に言えば――
俺にも、まだ分かっていない。
だが、それを教えるつもりはない。
「言わねえ」
ネメシアが、きょとんとした顔をする。
「秘密だ」
肩をすくめて笑う。
「理由なんて教えたら、つまんねぇだろ」
そう言って、口角を上げた。
悟られないように。
――この妙な感情を。
この後は、ユリウスに邪魔されて結局うやむやになった。
まあ、いい。
次の約束はしたからな。
まだセシル視点続きます。
長すぎですよね……すみません。




