第8話 足を引っ張る荷物持ち
その日の朝は、妙に輪郭がはっきりしていた。空気が乾いているせいか、遠くの音までよく通る。通りを歩く足音や、店の戸を開ける軋みまで、やけに耳に残る。こういう日は、大抵ろくなことにならない。
今回の依頼は単純だった。王家の墓地に魔物が入り込み、荒らしている。それを討伐するだけ。勇者なら誰でもこなせる程度の仕事だ。危険も低い。報酬もそれなり。面倒があるとすれば、場所が王家絡みだということだけだった。
ギルドで依頼を受けるまではいい。だが完了報告は王城の担当部署に直接行かなければならない。書類も増えるし、余計な確認も入る。現場よりそっちの方が面倒だと感じるのは、俺だけじゃないはずだ。
そしてもう一つ問題があった。今回、一緒に動けるのがこの「荷物持ち」しかいなかったことだ。
ガルドは最初から乗り気じゃなかった。王家関連と聞いた時点で顔をしかめて、「面倒くせえ」の一言で終わりだ。理由はそれだけだが、あいつの場合それで十分成立してしまう。
リリアも似たようなものだった。「王城とか手続きとか、そういうのダルいんだよね」と、妙に現実的な理由であっさり断った。魔物を焼き払うこと自体は好きなくせに、後処理になると途端に興味を失う。
ミアはもっと分かりやすい。「回復が必要な場面がなければ、私が行く意味はありません」と言い切った。要するに儲からない仕事には来ないということだ。正直すぎるが、筋は通っている。
爺は、何か言っていた。相変わらず何を言っているのかは分からなかったが、たぶん別の用事があるらしいということだけは、なんとなく伝わった。——そういえば名前はミルルというらしいが、ミアとリリアと並ぶとややこしいので、引き続き爺で通すことにする。止めても無駄だろうと思って、そのまま放っておいた。
結果、残ったのが俺とこの荷物持ちだ。内容が軽いからと引き受けたが、今となっては後悔しかない。
王家の墓地は、静かだった。整備は行き届いているが、人の気配はない。中央から外れた一角にだけ、荒れた跡があった。踏み荒らされた土と、浅い爪痕。魔物が入り込んでいるのは間違いない。
数は少なかった。見つけて、斬って、終わり。それだけだ。時間もかからない。想定通りの仕事だった。
周囲を一通り確認すると視界の端に十字架が入る。俺の背の丈くらいある大きさだ。小さなネックレスが掛かっている。装飾は控えめだが、質はいい。一目で分かる。王家のものだ。
だから、何も思わない。触る理由がない。こういう場所のものは、触った時点で面倒になる。誰のものかはっきりしている以上、余計な誤解を招くだけだ。仕事は魔物の討伐であって、管理物に関わることじゃない。
放っておくのが一番いい。そのまま視線を外す。その瞬間、
「うわっ」
荷物持ちが前触れもなく転ぶ。そのまま近くの、十字架に肩からぶつかった。乾いた音が鳴る。
「おい、大丈夫か」
「だ、大丈夫です……」
ふらつきながら体勢を立て直す。十字架は少し揺れただけで倒れはしなかった。特に異常はないように見えた。それ以上気にする理由もなかった。俺たちはそのまま墓地を後にした。
王城は相変わらず面倒だった。入口で止められ、書類を確認され、別の窓口に回される。ようやく辿り着いた部署で、担当の男が無機質な顔で報告書を受け取った。
「討伐は完了、でいいんですね」
「ああ」
形式的な確認が続く。問題はない。ここまではいつも通りだ。
男の視線が、わずかに動いた。俺の後ろに立っているこの荷物持ちを見る。そして、そのまま止まる。
「……それは」
嫌な予感がした。振り向くと、荷物持ちの首に見覚えのあるものが掛かっていた。王家の墓の十字架にあったネックレスだ。思考が一瞬止まる。
「……おい、それ」
「え?」
首元に手をやる。そこで初めて気づいたらしい。
「え、あれ?」
鎖をつまむと、困惑した顔のまま言う。
「ぶつかったときに……引っかかったんですかね」
——最悪だ。
理屈は通る。だが、それで済む話じゃない。場の空気が、静かに冷えていく。担当官が何も言わずに合図を出し、兵士が動いた。
俺たちはその場で取り押さえられた。
「ち、違うんです!これ勝手に……いや、勝手にじゃないですけど、気づいたら」
荷物持ちが、必死に言葉を繋ぐ。転倒して、十字架にぶつかって、そのときに引っかかった——説明としては成立しているが、聞く側にとっては曖昧すぎる。
「本当だ。墓地で転んで、そのときに引っかかっただけだ。意図して持ち出したわけじゃない」
俺も口を挟む。見ていた事実だけを、できるだけ簡潔に並べる。余計な言い回しは避ける。状況を正確に伝えれば、少なくとも故意ではないことくらいは分かるはずだ。
だが、それでも。
「王家墓地からの持ち出しだな」
否定できない。それで十分だった。拘束される。逃げ場はない。
別室に通される。処罰の説明に入る前の段階だった。
王家関連の規則は厳格だ。そうでなければならない。例外を作れば、それだけで歪む。今回の件も同じだ。経緯がどうであれ、事実として“持っていた”。それだけで成立する。
兵士たちの視線が、こちらに向けられている。責めるようなものではない。どちらかと言えば、同情を含んだ、やりきれないような目だった。
不運だったのだろう、という認識は共有されている。だが、それでも。
証拠がない。証人もいない。だから、俺たちは処罰される。
「規定通りであれば——」
兵士の一人が、淡々と口を開く。
「王家墓地からの持ち出しは重罪だ。最低でも利き腕の切断。悪質と判断されれば——」
そこで一度、言葉を切る。視線が、俺たちへ向けられる。
「——死刑もあり得る」
静かな声だった。事務的で、感情がない。だから余計に重かった。
冗談じゃない。だが、冗談で済む話でもない。理屈としては、何一つ間違っていない。終わりだと思った。
「えーと、お前は勇者のレイ……で」
兵士が書類を見ながら言う。
「そっちの荷物持ち。名前は?」
一瞬の間。
「……ラッキィです」
誰も何も言わない。その名前だけが、妙に場違いに響いていた。




