第7話 誘惑する魔法使いリリア
王都から南へ下ると、地面の感触が変わる。踏むたびにわずかに沈み、乾いた音の代わりに鈍い水音が返ってくる。背の低い草が広がり、視界は開けているが、そのぶん足場は信用できない。ところどころに濁った水が溜まり、踏み抜けば膝まで持っていかれる。湿原地帯だ。水を求めて魔物が集まりやすい場所でもある。今回の依頼は、その外縁で増えた魔物の駆除だった。
「足場悪いな」
ガルドが言う。
「転ぶなよ」
「お前がな」
軽く言い返しながら、足元を確かめる。沈む。思ったより深い。こういう場所での戦闘は、本来なら間合いと足運びを優先する。踏み込みすぎれば抜けなくなるし、退路も読みづらい。
草の切れ目で、目標はすぐに見つかった。湿り気を帯びた地面を掘り返す獣型の魔物が数体。群れというほどでもないが、ばらけて動くには厄介な配置だ。囲んで順に落とすか、誘導してまとめるか。いずれにしても、派手にやる理由はない。
「——あ、いた」
横から声がする。俺のパーティーの魔法使い、リリアだ。嫌な予感だけが先に来る。
「待て——」
間に合わない。空気が歪んだ。次の瞬間、熱が一点に集まる。圧縮されたそれが弾けた。
爆ぜる。
湿った地面が一気に蒸気を上げ、周囲の草が焼け縮む。遅れて衝撃が腹に来る。音は一拍遅れて響いた。
魔物は、消えていた。跡形もなく。白い湯気がゆっくりと立ち上る。湿原の一角だけが、乾いた地面に変わっていた。
「……やりすぎだろ」
「え?」
リリアが振り返る。
「ダメだった?効率はいいでしょ?」
「効率の話じゃない」
「でも終わったじゃん」
それはそうだ。何も言い返せない。結果だけ見れば最短だ。ただ、規模が合っていない。
リリアは強い。魔法使いの完成形といってもよいだろう。全属性最高水準。完全無詠唱。狙いも正確だ。普通なら制御しきれずに散るような出力を、ほとんど無駄なく一点に叩き込む。外したところを見たことがない。
「……まあいい。帰るぞ」
依頼はそれで終わった。想定より早いどころか、一瞬だった。湿原の一部が焼けた件は、報告に書くほどでもない。どうせまた水が戻る。
夜、宿に戻る。装備を外していると、扉が小さく鳴った。甘い香りが扉の隙間から漂ってきた。開ける前に誰か分かる。
「……なんだ」
「開けてよ」
リリアの声だ。
ため息をついて扉を開ける。隙間から滑り込むように入ってくる。距離が近い。必要以上に近い。
リリア。俺のパーティーの魔法使い。このパーティーの中で唯一の幼馴染だ。
卒業式の日、“あいつ”との対話のあと、酒場で目を覚ましたとき、同じ卓にいた連中は全員、見知らぬ顔だった。
——いや、待て。
見覚えのある顔が一人。
「……リリア?」
名前が自然に出た。向こうは当然みたいな顔をしていた。そこでようやく繋がる。数年ぶりだ。三年か四年か、それくらいは会っていない。顔つきも変わるし、雰囲気も違う。
気づかなくても不思議じゃない。
……ただ。じゃあなんで、こいつがここにいるのか。どうやって再会して、どういう流れでこのパーティーに入ったのか。そこだけが、きれいに抜け落ちている。
それと、こいつこんな性格だったっけ?
薄い布地の服だった。夜着のような形だが、まともに隠す気があるとは思えない。体の線をそのままなぞるように落ちていて、動くたびにわずかに揺れる。光を拾って、やけに目に入る。意図的だ。間違いなく。
「なにしに来た」
「分かってるでしょ」
軽い調子だが、目は真っ直ぐだ。
「ねえ」
一歩近づく。
「私とレイは遅かれ早かれ“そう”なるわけじゃん?」
「遅くも早くもそうならない」
間を置かずに返す。
「えー約束したじゃん!」
「知らん」
即答する。思い当たるものがない。パーティー結成前後の記憶が全くない俺にしてみれば、本当に知らないんだから。
「ひどくない?」
「国で決められた規定がある」
「またそれ?」
「職場恋愛厳禁ってやつだ。面倒の元になるしな」
「他のパーティー見てみなよ。守ってない人、いっぱいいるじゃん」
「俺は守る」
勇者は現場責任者だ。関係がこじれれば戦力に影響が出る。余計なトラブルは避ける。それだけだ。
「つまんない」
「そうかもな」
リリアは一瞬だけ黙る。何かを言いかけて、やめる。
「……ほんとに?」
「ああ」
短く終わらせる。
視線がぶつかる。逸らさない。数秒だけ、そのまま止まる。やがて、リリアがふっと息を抜いた。
「……そっか」
小さく笑う。いつもの軽さに戻る。
「じゃあ帰る」
くるりと背を向けそのまま扉へ向かうが、ドアの取手に手をかけたところで、立ち止まると目を伏せつぶやいた。
「……ほんとに覚えてないんだ」
それ以上は何も言わず、俺の部屋をあとにした。
ベッドに腰を下ろして今日の戦闘を思い出す。
リリアは強いが、それだけに扱いが難しい。火力が足りない心配はないが、あの規模の魔法を平然と撃たれると、それが影響して何が起きるか分からない。
あいつの言っていた“祝福”。自動で発動して、結果だけを整える。回数には限りがあるとも言っていた。どこで消費されるのかも分からない。だからこそ、無駄に使われるのが一番困る。
……まあ、今回は特に何も起きなかった、はずだ。少なくとも、俺の目に見える範囲では。
目を閉じる。
リリアの言葉が、ほんの少しだけ引っかかったが——深く考えるのはやめて、そのまま意識を手放した。




