第5話 銭ゲバ僧侶ミア
朝の王都は、夜とは違う静けさを持っている。人の数はまだ少なく、開ききっていない店の戸の隙間から細く光が漏れていた。昨日の喧騒の残滓がまだ路地の奥に残っているような、そんな中途半端な時間帯。だからこそ、異物は目立つ。
人だかりは通りの中央にできていた。中心には誰も近づかず、しかし完全に離れることもできない距離を保っている。好奇心と恐怖が、奇妙な均衡を保っている。その隙間を抜けると、倒れている男が見えた。顔色は悪い。呼吸は浅く、脈も不安定だ。外傷はない。だが、それが逆に異常だった。
「毒か……?」
誰かが呟く。確証はない。だが、誰もが同じことを考えている顔をしていた。
「……どうする」
ガルドが低く言う。珍しく、手を出す気配はない。殴る相手ではないと判断している。俺は一歩踏み出そうとして——止まった。横にいるはずの存在が、動いていない。
「……ミア」
名前を呼ぶ。ミアは男を見下ろしていた。その目は冷静だった。
「……治せるか」
「治せます」
即答だった。だが。
「——対価は必要です」
静かな声だったが、その場の空気を凍らせるには十分だった。
「……今それ言うか」
「今だから言います」
ミアは視線を外さない。
「これは取引です」
倒れている男が、かすれた声を漏らす。意識はまだある。だが、長くは持たなそうだ。
「……いくらだ」
ミアは一瞬だけ沈黙した。その沈黙は単なる計算ではなかった。何かを測っている、そんな間だった。
そして提示された額は——常識外れだった。ざわめきが広がる。怒号が飛ぶ。
「ふざけるな!」「人の命だぞ!」
ミアは動かない。ただ、待っている。
「……払う」
男が絞り出すように言った。それで決まった。
ミアが一歩前に出る。男の前にしゃがみ込み、静かに手をかざす。光は淡い。目を焼くような輝きはない。だが、“流れている”。何かが、確実に。ただ癒やしているだけではない。何かを引き出し、何かを補っている。そんな感覚があった。
男の呼吸が整い、顔色が戻る。助かった。それは間違いない。だが同時に、ミアの指先がわずかに震えた。ほんの一瞬。誰にも気づかれない程度に。そして、すぐに消える。
「……終わりです」
何事もなかったかのように立ち上がる。金が手渡される。ミアはそれを、無造作に受け取った。それだけだ。
——その場では。
その日の夕方、俺たちはミアが助けた男について、こんな話を聞くことになる。
「あの人、何者だったんだ? 朝っぱらから毒を盛られるなんてよ。そんでもって、治療にあんな大金払わされてなあ……」
男は言いながら、ちらりとこちら——正確にはミアの方へ視線を向けた。露骨ではないが、隠しきれていない。軽蔑と、わずかな嫌悪が混じった目だった。
別の男が言った。
「知らねえのかよ。あの人、王都の財務に関わってる役人だぞ」
「は?」
思わず声が出る。
「しかもただの役人じゃねえ。不正調査やってる連中の一人だ」
嫌な予感が形になる。
「最近、王都周辺で不正流通の話が出てただろ」
「……ああ」
聞いた覚えはある。正規の流通を通さずに物資を横流しして、裏で金を回している連中がいる——そんな話だ。規模が大きいとかで、酒場でも少し話題になっていた。
点と点が繋がる。もし、あそこで死んでいたら、調査は止まる。そして不正はそのまま残る。
「ただな」
男が少し声を落とす。
「証拠が足りなくて、なかなか踏み込めなかったらしい」
なるほど、と思う。噂はあっても、動くには理由がいる。
「でな」
男が続ける。
「あの人、今回の件で毒盛られただろ」
「……ああ」
「あれが決定打になった」
少しだけ間が空く。
「国の役人に手ぇ出してきたってことで、強制的に踏み込む理由ができたんだと」
腑に落ちる。本来なら、時間をかけて証拠を積むはずだった。だが、向こうが先に手を出した。なら、もう待つ必要はない。
「で、結果がこれだ」
指で机を軽く叩く。
「押収、関係者拘束、全部まとめて終わり。表に出てた商会だけじゃねえ。その裏で繋がってた連中までまとめてだ」
周りから小さく息が漏れる。
「で、押さえた金も相当な額だったらしい」
「……」
「その一部が、調査側に回ったって話だ。国からの特別ボーナスみたいなもんだな」
視線が一瞬、こちらに向く。ミアは気にした様子もなく、水を飲んでいる。
……なんだよ、それ。
小さく呟く。
ミアは、ただ金を取っただけだ。いつも通り、容赦なく。
それだけのはずなのに。
結果だけ見れば、あの場で男の命を繋いだことで、調査は続き、踏み込む理由が生まれ、裏で回っていた金と組織ごと潰れたことになる。
そして、その過程で押収された金が、結果的に元の流れに戻る。
——まただ。
頭の奥に、あの軽い声がよぎる。
“因果をいい感じに調整する力をあげといたよ”
自動発動。回数制限あり。自分の意思とは関係なく、勝手に発動する。今のこれが、それじゃないと断言できる理由がない。
むしろ——それ以外に説明がつかない。
どこで使われたのかも分からない。何をきっかけに発動したのかも分からない。ただ、結果だけが整っている。
そしてそのたびに、回数が一つ減っているはずだ。使いどころも選べないまま、勝手に消費されていく。
——ふざけている。
「……最悪だ」
結果が良ければそれでいい、なんて話じゃない。何も分からないまま、何かが削られていく。
その感覚が、一番気に入らない。




