第36話 転移者たちの基礎訓練
転移者たちは強い。
それは、もう何度も確認している。シンゴは素手でガルドとやり合えるだけの力があり、シャドウは影を使えば人の目で追いきれない動きをする。ヒナの光魔法は、リリアや爺でさえ黙り込むほど異質で、サチコの回復魔法も、普通の僧侶の水準から見れば相当なものだった。
だが、強いことと、危なげがないことは別だ。
王都に戻り、四人が隣の仮宿舎で暮らし始めて数日。俺は彼らの動きを見ていて、何度か同じことを思った。力はある。あるのだが、扱い方が危うい。自分の力がどこまで周囲に影響するのか、願いの力を使わない状態で何ができるのか、何ができないのか。まだ体で覚えきっていないように見える。
だから一度、基礎から見ることにした。
「今日は、お前らのその妙な力そのものは使うな」
訓練場で俺がそう言うと、シャドウが露骨に肩を落とした。
「え、影もっすか」
「影もだ」
「剣も?」
「普通の木剣を使え」
「俺のアイデンティティが……」
「訓練だ。諦めろ」
シンゴは木剣を片手で振りながら、少し不満そうに眉を寄せていた。
「俺も、変な力はなしってことだよな」
「なしだ。願いでどうこうするのもなし。今のお前達自身で、どこまで動けるか見る」
「まあ、それはそれで燃えるけどな」
シンゴはそう言って笑ったが、ガルドが木剣を持って前に出た瞬間、その笑みは少し引きつった。
「安心しろ。殺しはしねえ」
「それ、安心できる言い方じゃないんだよなあ」
まずはシンゴとシャドウが、ガルドに立ち回りを見てもらうことになった。ガルドは剣の達人というより、戦いそのものに慣れている。相手が素手だろうが武器持ちだろうが、どう近づき、どう崩し、どう潰すかを体で知っている男だった。
そのガルドが、最初に言った。
「構えがなってねえ」
「まだ何もしてないっすよ」
「だから構えを見てんだろ」
シャドウが木剣を構えたまま固まる。
「俺、そんなに駄目っすか」
「影から出て斬る分にはいいんだろうな。だが、普通に立って普通に斬るなら隙だらけだ」
ガルドはシャドウの木剣を軽く払った。たったそれだけで、シャドウの体が半歩流れる。
「うわっ」
「足が先に逃げてる。剣を振る前に体が浮いてる。刃物を持ってそれをやると、腕ごと持っていかれるぞ」
「こわ……」
「怖がるのはいい。怖がった上で動け」
次にシンゴが前へ出る。シンゴは体格もよく、力もある。木剣を持っても様にはなっていた。だが、ガルドは一合目でシンゴの木剣を押さえ、そのまま肩を入れて体勢を崩した。
「おおっ」
シンゴが踏ん張る。だが次の瞬間、足を払われて尻から地面に落ちた。
「力で止めるな。武器を持った相手にそれをやると、止めたつもりの場所と違う場所を斬られる」
「いや、今のはガルドさんがうますぎるだろ」
「今ので崩れるんなら、実戦じゃ死ぬぞ」
ガルドは当たり前のように言った。
シンゴとシャドウは、それからしばらくガルドに転がされ続けた。特殊な力はなし。影移動もなし。願いの力もなし。ただ足を動かし、間合いを測り、木剣を振る。すると、二人の強さの底にある粗さがよく見えた。
与えられた力が強いから勝てていた。
それはつまり、その力が通じない場面では危ういということでもある。
少し離れた場所では、リリアがヒナに魔法の基礎を教えていた。
「一般的には五属性で教えることが多いんだよ。火、水、風、雷、地」
「五属性なんですね」
「うん。でも、私は最初から地属性を分けて教えないかな」
「どうしてですか?」
「地属性って、ただ地面を動かす力って覚えると、そこで止まっちゃうことがあるの。砂を動かすのか、土の中の水分を操るのか、圧をかけるのか、風で巻き上げるのか。そういう中身を見た方が、結果的に地属性の精度も上がるんだよ」
ヒナは真剣に聞いていた。光魔法という、この世界では失われた魔法に近いものを使えるくせに、基本属性の話になると素直にうなずいている。その姿を見ていると、やはり転移者たちは不思議だった。
頂上みたいな場所に、いきなり立っている。
なのに、足元の階段を知らない。
「だからまずは、火、水、風、雷。ここをちゃんと押さえた方がいいと思う」
「火は攻撃、水は回復……みたいな感じですか?」
「そこまで単純じゃないよ。火は攻撃に使いやすいけど、熱を扱えるから加工にも使えるし、水は治療というより流れや状態の操作に強い。風は速度や範囲、雷は瞬発力や貫通力。もちろん、使い手次第でいくらでも変わるけどね」
「リリアさんは、全部使えるんですか?」
「使えるよ」
リリアは少し得意げに言った。
「すごいです」
「まあ、私はすごいから」
そう言い切れるのは、ある意味でリリアの強さだった。
「ちなみにね、地属性って言っても、地震とかは起こせないんだよ」
「地震は無理なんですか?」
「うん。あれって大地そのものが動いてるから。地下のすごく大きな岩盤みたいなのが押し合ったり、ずれたりして起きる現象だから、人ひとりの魔力でどうこうできる規模じゃないの」
「そういう知識は、この世界にもあるんですね」
ヒナが少し驚いた顔をした。
「あるよ! 魔法は、いろんな仕組みの理解の上に成り立ってるんだよ」
その後、俺は爺とサチコの方へ目を向けた。
爺はサチコを相手に、回復や補助の基礎を教えていた。
正直、一番不安な組み合わせだった。
「血急骨静、先留後癒」
「え、えっと……血が出ている時は、先に止める、ということでしょうか」
「半可」
「半分だけ……?」
サチコは困っていた。
爺はいつも通りだった。言葉は難解で、聞いているこちらも意味が分からない。ただ、身振りや術の実演を交えながら、何かを教えようとしていることだけは分かる。
「毒薄散脈、囲止拡拒」
「毒は……広がる前に、囲って止める?」
「近」
「近い……」
サチコは必死に食らいついていた。
回復魔法そのものの出力なら、サチコは相当なものだ。だが、爺が教えているのは単に傷を塞ぐことではなかった。出血を先に見るのか、骨を支えるのか、毒を止めるのか、意識を保たせるのか。戦闘中にどの順番で手を入れるか。回復の前に補助を置くのか、補助で悪化を止めてから回復に移るのか。
それは、派手な力ではない。
だが、現場では必要になる基礎だった。
サチコはこの世界に来た時、頭の中に回復魔法の知識が流れ込んできたらしい。だから使える。だが、使えることと、判断できることはやはり違う。彼女は教えられたことを必死に理解しようとしていたが、相手が爺なので苦労は多そうだった。
その時だった。
「きゃっ」
小さな悲鳴が聞こえた。
振り向くと、ヒナが尻もちをついていた。リリアが何かしたのかと思って近づくと、ヒナは目を丸くしたまま、自分の足元を見ている。
「おい、今のは何だ」
「ちょっと地面を揺らしただけだよ」
「さっき地震は起こせないって言ってなかったか」
ヒナも同じことを思ったのだろう。尻もちをついたまま、リリアを見上げている。
「今のは地震じゃないよ。ヒナちゃんの足元の土の中の水分を少し動かして、そこに風で圧をかけて、足場だけを揺らしたの。大地そのものを動かしたわけじゃないから、厳密には地震じゃないんだよ」
「……そんなこと、できるんですか」
「できるよ。というか、地属性って呼ばれてるものは、こういう細かい操作の積み重ねだったりするんだよね」
ヒナの目が、分かりやすく変わった。
「……お姉さま」
「え?」
「リリアさん、すごいです」
「あ、うん。ありがとう。今なんか呼び方変じゃなかった?」
「気のせいです」
いや、気のせいではなかった。
その一方で、ミアは何もしていなかった。
訓練場の端で、いつものように涼しい顔をしている。
「お前は何もしないのか」
俺が声をかけると、ミアは視線だけをこちらへ向けた。
「私の力は、サチコさんの参考にはなりません」
「そうなのか」
「回復という意味では、サチコさんの力はすでに最高と言っていい水準です。私が何かを教える必要はありません」
それは、少し意外な言い方だった。
ミアが他人を褒めること自体、あまり見ない。
「それでも、何か参考になるかもしれないだろ」
「ならないと思います」
「サチコのためだ」
ミアは少しだけ黙った。
それから、面倒そうに息を吐く。
「仕方ありませんね。ガルドさん、少し付き合ってください」
その場にいた転移者たちが、一斉に首を傾げた。
「なんでガルドさんなんすか」
シャドウが代表して聞く。
「町へ行けば、たぶん分かります」
「嫌な言い方だな」
俺達はそう言いながらも、ミアについて町へ出ることにした。ガルドも特に拒否しなかった。むしろ、暇つぶしができると思っている顔だった。
王都の通りは、昼下がりということもあって人通りが多かった。露店が並び、荷車が行き交い、子供が走り、どこからか焼いた肉の匂いが流れてくる。訓練場の空気とは違って、ここでは少しの力の使い方を間違えるだけで、すぐ誰かを巻き込む。
その時、前方で悲鳴が上がった。
「泥棒!」
人波が割れる。
男が一人、こちらへ向かって走ってきていた。手には小さな袋。追いかける女がいたが、途中で突き飛ばされ、石畳に強く倒れ込む。
「ガルド、加減しろよ」
俺がそう声をかけると、ガルドが笑った。
「ほいきた」
次の瞬間には、もう動いていた。
逃げてきた男がガルドに気づき、進路を変えようとする。だが遅い。ガルドの拳が男の顔面にめり込む。鈍い音がして、男の体が半回転しながら地面に転がる。
やりすぎだ。
男の顔は変形し、口元から血と歯が飛び散っていた。前歯どころか、見える範囲の歯はほとんど抜けているように見える。周囲の人間が一歩引いた。
「……加減しろと言っただろ」
「死んでねえ」
「基準がおかしい」
ミアはその男の前にしゃがんだ。
そして、治療の前に報酬を提示した。
相変わらずえげつない額だった。
「いや、そいつスリだぞ」
シンゴが思わず言う。
「そうですね」
「そっちを先に治すんすか?」
「治します。こちらの方が重症ですので」
ミアは淡々としていた。
周囲の目はきつい。無理もない。逃げるために人を突き飛ばしたスリの方を優先し、そのうえ金まで取ろうとしている僧侶に見える。実際、その通りだった。
ミアは男の顔に手をかざした。
光が走る。
歪んでいた顔が戻っていく。砕けた歯も、切れた唇も、腫れ上がった頬も、何事もなかったように整っていく。男は痛みが引いたことに呆然とし、次の瞬間、ミアを見て顔を引きつらせた。
「報酬はいただきます」
ミアの声は冷たい。
男は何か言おうとしたが、ガルドが横に立っているのを見て黙った。
次に、ミアは突き飛ばされた女の方へ向かった。女は腕を押さえてうずくまっていた。転んだ拍子に肘をひどく打ったらしく、骨がずれているようにも見える。
ミアはそこでも、治療の前に報酬を提示した。
こちらも、安くはなかった。周囲の目が痛い。
「あの人からも取るのか」
「被害者っすよ」
「僧侶って、ああいうものなのか」
シャドウとシンゴも困惑している。俺は頭が痛くなった。
ミアは気にしない。女が震えながらうなずくと、腕に手をかざした。さっきと同じように光が走り、歪んでいた腕が元へ戻る。女の顔から痛みが消え、代わりに困惑と恐れが浮かんだ。
「終わりました」
ミアはそれだけ言って立ち上がる。
サチコはその一部始終を見ていた。顔には戸惑いが浮かんでいる。理解が追いついていない顔だった。
「参考になったか」
俺が聞くと、サチコは困ったように視線を落とした。
「……分かりません」
「まあ、そうだろうな」
「この世界に来た時、回復魔法のことは頭の中に入ってきました。傷を塞ぐとか、血を止めるとか、自然に治ろうとする力を助けるとか……そういう感じのことは、なんとなく分かるんです」
サチコは言葉を探すように続けた。
「でも、ミアさんのは……すごすぎて、よく分かりませんでした。何をどうすれば、あんなふうに治せるのか……私の知っている回復魔法とは、レベルが違いすぎるというか」
俺はミアを見た。
ミアは何も言わない。否定もしない。ただ、もう用は済んだと言わんばかりに、通りの向こうを見ている。
「つまり、参考にはならなかったのか」
「す、すみません……」
「いや、お前が謝ることじゃない」
結局、サチコの参考になったのかどうかは分からない。
ミアの性格のおかしなところが、また一つ露呈しただけのような気もした。




