第3話 助けたはずのもの
街中であれだけ騒ぎになったあとでは、さすがにその日のうちに大きく動く気にはなれなかった。
兵士たちは結果的に俺たちを咎めるどころか、感謝の言葉まで口にした。指名手配の犯罪者を捕らえる一助になったのだから、理屈としてはそうなのだろう。だが、理屈と気分は別だ。俺としては、ただガルドが通行人を殴り飛ばし、そこへミアが法外な治療費をふっかけただけにしか思えなかった。そこへ兵士が現れ、話が勝手に都合のいい方向へ転がっていく。
胸の奥に残ったのは達成感ではなく、薄気味の悪さだった。
これが“祝福”の力なのだとすれば、あまりにも性質が悪い。俺たちが正しいことをしたから救われるのではない。俺たちが何をしようが、結果だけが勝手に整えられてしまう。その過程にどれだけ無茶が混じろうと、どれだけ後味が悪かろうと、そんなことは一切構わないとでも言うように。
しかも、それには回数制限がある。
どれだけ残っているのかもわからないまま、こんなことで削られているのだとしたら、たまったものではなかった。
翌朝、俺は森の調査についての依頼書を見ながら、しばらく考え込んでいた。
近郊の農場で家畜が荒らされている。原因と思われる魔物の討伐。内容自体は珍しくもない。危険度も高くない。だからこそ、余計な連中を何人も引き連れて行く仕事ではなかった。
ミアを連れていけば、治療費でもめる。リリアを連れていけば、妙に張り切る。爺を連れていけば、何を言っているのか分からないまま話がこじれる。荷物持ちは……あいつはあいつで、何も起きていないところに余計な穴を開ける。
考えた末、俺は依頼書を机に置いた。
「今回は俺とガルドだけで行く」
そう言った時、真っ先に反応したのはリリアだった。
「えー、なんで?」
「大人数で行くほどの仕事じゃないからだ」
「それ、私たちが足手まといって言いたいの?」
「言ってない。言ってないが、少なくとも今日は静かに終わらせたい」
「もうその言い方が怪しいんだけど」
怪しいのは分かっている。だが、説明しようにも説明のしようがなかった。
ミアは椅子に腰かけたまま、さして興味もなさそうに言った。
「では私は行かなくていいんですね」
「今回は怪我人が出ない前提で終わらせたい」
「それ、さっき私の方を見て言いました?」
「気のせいだ」
「気のせいではないですね」
そこで、黒いフードの奥から爺が何か言った。
「双影入林、血煙未散、凶門半開」
「……何言ってるかは分からんが、嫌なことだけ言ってるのは分かる」
「老舌常時如是」
荷物持ちだけは、どこかほっとしたような顔をしていた。
「じゃあ今回は留守番ですね」
「お前はそれでいいのか」
「正直、森って転びやすいので」
「お前は街中でも転ぶだろ」
「そうなんですよね」
自覚があるなら少しはどうにかしてほしい。
結局、ガルドは何も文句を言わなかった。言われたところで、森へ行って斬る相手がいるならそれでいいのだろう。そういう意味では一番単純だった。
そして、その単純さがいちばん危ない。
王都を出て森へ向かう道すがら、俺は何度か横目でガルドを見た。本人はいつも通りだった。何も考えていないように見えるし、実際、深くは考えていないのだろう。
だが、昨日の件が頭から離れない。
肩がぶつかった程度で殴り飛ばす。殴り飛ばした相手はたまたま指名手配の犯罪者で、結果だけ見れば手柄になる。そんなもの、普通に考えれば偶然で済ませていい範囲を超えていた。
“祝福”が働いたのだ、と言われれば納得はできる。できるが、それで安心できるわけではない。
むしろ逆だった。
こいつの短絡さと、あの力の噛み合い方は危険すぎる。
本人はムカついたから殴るだけだ。だが結果がいつも都合よく整うなら、その短絡は修正されない。むしろ世界の方がそちらに合わせて歪められていく。そういう仕組みなのだとしたら、いずれ取り返しのつかないことになる気がしてならなかった。
だから本当は、二人きりにするのだって気が進まなかった。
だが、それでも他を連れて行くよりはまだましだと思った。少なくとも目の前で何が起きるかは分かる。何人もいて好き勝手に動かれるよりは、まだ制御しようがある。たぶん。いや、そう思いたかっただけかもしれないが。
森へ入る手前で、俺は小さく息を吐いた。
「いいか。今日は普通に終わらせるぞ」
「普通ってなんだ」
「余計なことをしないって意味だ」
「つまんねえな」
「面白さは求めてない」
「俺は求めてる」
「求めるな」
返事はなかった。たぶん、聞いていない。
木々の影は昼でも濃く、王都の外れからそう遠くない場所のはずなのに、入った途端に空気の質が変わる。湿った土の匂いが立ち、枝葉の擦れる音が頭の上を流れていく。遠くで鳥が鳴いて、それもすぐに聞こえなくなった。
こういう場所では、油断していなくても何かが起きる。
まして隣にいるのがガルドなら、なおさらだった。
森に入って最初にやることは決まっている。農場の家畜被害の原因を叩く。依頼元ギルドの事前調査で、この森にその原因となった魔物がいることはわかっていた。そしてその魔物はほどなくして見つかった。茂みの奥、血の匂いが残っている場所にそいつはいた。
「弱えな」
ガルドが踏み込む。振り下ろされた刃は、そのまま魔物の首を断ち切った。抵抗らしい抵抗もない。あっけないほど簡単に終わる。
「……終わりだな」
息を吐く。これで依頼は達成だ。あとは戻って報告するだけでいい。森は静かだった。風はあるのに枝葉は揺れず、音だけが遠くに流れていく。こういう時は、大抵ろくなことが起きない。
「……気に入らねえな」
「雰囲気で機嫌悪くなるのやめろ」
その時だった。
「……たすけて……」
声は弱いが妙に通る。視線を向けると、木々の間から女が現れた。服は裂け、血で汚れている。
「盗賊に……追われて……」
言葉は乱れているが、どこか落ち着きも感じる。呼吸は荒いのに、視線がぶれない。
「どこから来た」
「……奥の方から……」
女の視線の先へ意識を向ける。複数の気配。距離は近い。隠れる余裕もない。ほどなくして、木々の間を縫うように数人の男たちが現れた。囲む形を取っている。出方に無駄が少ない。
「雑魚だな」
ガルドが前に出る。踏み込みと同時に前列が崩れる。血が飛び、残りが足を止める。その一瞬で数が減る。
「右だ」
声をかけると同時に刃が落ちる。反撃の形になる前に終わった。森が静かに戻る。血の匂いだけが残る。
「……終わりだ」
盗賊どもの気配は消えている。一部は取り逃がしたがまずは女の手当が優先だ。
「……ありがとうございます……」
女が言う。声には安堵が混じっている。倒れている連中を改めて見る。装備は粗いが動きは統制されていた。逃げ場を塞ぐ配置、役割分担、無駄のない接近。偶然集まった盗賊ではない。
逃げた奴らの踏み跡も揃っている。人数の多さに対して乱れがない。それは通過の痕跡ではなく、ここを使い慣れている者の歩き方だった。
この先に拠点がある。そう考えるのは自然だった。
ギルドの規定が頭をよぎる。盗賊拠点の排除は追加報酬の対象になる。
「……追うか」
「いいぜ」
ガルドは即答だった。
踏み跡を辿る。進むほどに痕跡は濃くなる。やがて見えてきたのは、拠点と呼ぶには出来が良すぎる構造だった。見張りの配置、退路の確保、周囲の視界の切り方、すべてが意図的に組まれている。
「雑魚のくせに生意気だな」
ガルドは気にしていない。
戦闘は短かった。見張りを落とし、奥から出てくる連中を順に潰す。数は多いが統制は途中で崩れる。ガルドの剣が振るわれるたびに数が減り、押し返す前に終わった。
奥に入ると、中心らしき空間があった。物資と書類は整然と並び、無駄がない。野盗の巣というよりは、何かを前提に組まれた作戦拠点のような印象があった。
「……終わったな」
息を吐く。
「なあ」
ガルドが言う。振り向く前に分かっているような口調だった。拠点の中心部、その入口の陰に女が立っている。——まあ、ついてくるよな。命からがら逃げて助かったあと、一人で森を抜けるのは無理だ。こっちに付いてくる方が安全だと思うのは当然だ。
「お前さ」
ガルドが近づく。
「こうしてよく見ると顔いいな。怪我も大したことはなさそうだ。このあと俺と……まぁ、どうだ?」
軽い調子の誘い。
「……いえ」
はっきりとした拒絶。ガルドの表情が一瞬だけ変わる。
「……そうかよ」
剣が振られる。一瞬だった。一切の躊躇もなく、女の身体は両断された。
「——おい!!何やってんだ!!」
「ムカついたから」
平然とした答えだった。
「ふざけんな!! なんで殺した!!」
「断られたからだろ」
当たり前のように言う。平然とした答えだった。
理解が追いつかない。こいつは荒い。危険だ。それは分かっていた。だが——ここまでとは。
「……なんでだ」
答えはない。血の匂いが広がる。静寂が落ちる。そして、嫌でも思い出す。
——因果を、“いい感じ”に調整する。自動発動。回数制限あり。
なら、これは——
今、使われたのか。そう考えた瞬間、背筋が冷える。こんなことで。こんな、どうでもいい理由で。あの“回数”が削られたのだとしたら、冗談じゃない。どれだけ残っているかも分からないのに、こんなところで消費されていいものじゃない。
なら、せめて、結果に繋がらない形にすればいい。意味を持たせなければいい。そうすれば、無駄に発動することもない。根拠はない。ただの悪あがきだ。それでも、やらないよりはましだと思った。
「……隠すぞ」
口に出していた。
「は?」
「死体を片付ける」
ガルドは特に気にした様子もなく、肩をすくめる。死体をどう処理するか考える。埋めるか、運ぶか、あるいは——
その時だった。
「——そこまでだ!!」
森に声が響いた。
振り向くと、鎧の音とともに兵士たちが現れる。
「この周辺に不審な施設があるとの報告を受けて来た!」
早すぎる。あまりにも、出来すぎている。兵士たちは拠点を確認し、倒れている連中を見て顔色を変えた。
「お前たちがやったのか?」
答えるしかない。
「……ああ」
女のことには触れない。だが、触れる必要もなかった。すべてが、勝手に進んでいく。
——翌日。
「大手柄だったな!」
ギルド職員が俺たちに向かって言う。場違いなほど明るい声だった。
「……何がだ」
思わず聞き返すと、職員は机の上の書類を叩いた。
「今回の連中だ。王城からの依頼により我々が長く追っていた組織と完全に一致する。王都周辺を含めた広域で同時に動く計画だったらしい。街道封鎖、物資の強奪、複数都市への攪乱……放っておけば国が大混乱を起こす規模だ」
言葉が妙に現実味を帯びる。あの拠点の構造が頭に浮かぶ。見張りの配置、退路の確保、無駄のない運用——ただの野盗じゃないとは思っていたが、ここまでとは。
「潰したのは、その中枢だ。指揮系統の中心だな」
一拍置いて、職員は続けた。
「女のことは聞いてるか?」
「……いや」
「元締めだ。通称“謀都の魔女”。数日後に本隊と合流して、作戦を開始する予定だったらしい」
そこで終わる。あっさりと。何事もなかったかのように。
横を見る。
「なんだよ」
ガルドが言う。
「ムカついたから斬っただけだぞ」
その通りなんだろう。何も考えていない。
なのに——
「……無駄だったな」
小さく呟く。隠そうが、どうしようが関係ない。結果は最初から決まっている。どんな過程を踏んでも、そこに辿り着く。
「……最悪だ」
称賛の場には似つかわしくない言葉が、口からこぼれた。




