第2話 戦士ガルドの暴力
王都の大通りは昼過ぎの光に満ちていた。
露店の呼び声、荷車の軋み、人のざわめき。外に出ればいくらでも厄介ごとはあるが、この辺りは比較的人目も多く、治安も悪くない。だから人は少し気を抜いて歩いている。俺も、そうだった。隣を歩く男が口を開くまでは。
「おい、レイ」
ガルドだ。筋骨隆々の体に大剣を背負い、そこにいるだけで空気を圧するような男だ。
「あいつ、気に入らねえな」
視線の先には、ただの通行人がいた。急いでいるのか少し早足なだけで、特に目立つところはない。人混みの中ではよくいる類だ。
「……やめとけ」
考えるより先に言葉が出た。理由はない。ただ止めないとまずい、という感覚だけがあった。
だが、ガルドはもう歩き出している。一直線に。迷いなく。
「おい」
短く呼ぶと、男が振り向く。
「さっき、肩ぶつけただろ」
「え? いや、すみません――」
言葉は最後まで続かなかった。
拳が振り抜かれたからだ。
鈍い音とともに、男の体が横へ飛ぶ。石畳の上を転がり、荷箱の角にぶつかって止まった。通りの空気が一瞬で凍りつく。遅れて、悲鳴が上がった。
最悪だ。
兵士が来る。逃げるか。そう考えた瞬間だった。
「はい、ストーップ」
場違いな声が響いた。
時間が、止まる。
人の動きも、音も、全部がそのまま固まる。風すら止まっている。露店の布も、飛びかけた埃も、宙でぴたりと動きを失っていた。
「……は?」
声を出したのは、俺だけだった。
隣を見る。ガルドは動かない。拳を振り抜いたまま止まっている。吹き飛ばされた男も、その姿のまま完全に固まっていた。
「いやーごめんごめん」
あの声だ。
振り向くと、何もない空間に“あれ”が立っていた。人の形をしているようでしていない、あの曖昧な存在。卒業式の最中、いきなり俺を引きずり込んできたあいつだった。
「ちょっと説明し忘れてたことがあってさ」
相変わらず、口調が軽い。
「……なんだよ」
「祝福の話」
あっさり言うが、嫌な予感しかしない。
「君にはねー、ん~~なんて言えばいいかな」
少しだけ考える素振りを見せる。
「因果を、いい感じに調整する力をあげといたよ」
意図的にぼかしているのか、言い方が曖昧だった。
「……は?」
「ほら、今のこれとか」
顎で示す。止まったままの光景。
「普通なら、ただの暴力事件で終わるでしょ?」
そりゃそうだ。
「でも、君のパーティーがやったことはね、最終的にいい感じに収まるように調整されるんだよ。すごくない?」
さらっと言う。
「いい感じってなんだよ」
「いい感じはいい感じだよ」
話にならない。
「ただし、自動発動だから、君の意思ではどうにもできないよ」
続ける。
「でもまあ、結果的には君を助ける方向に転ぶと思う」
“思う”で済ませるな。
「……制限は」
「あるよ」
即答だった。やっぱりか。
「発動回数は無限じゃない」
「どれくらいだ」
「さあ?」
笑う。
「一回や二回って話じゃないから安心していいよ」
安心できるか。
「んーでも、百まではいかないかなー」
軽い。
「じゃあ具体的には——」
「それは秘密」
食い気味に遮られる。
「その方が面白いでしょ」
こっちは面白くない。
「……ふざけてるのか」
「大真面目だよ?」
本気の顔をしているのが、一番たちが悪い。
「あとね」
指を立てる。
「これも口外禁止ね。でもって祝福の発動回数が上限までいっちゃうとー」
さらっと付け足す。
「分かるでしょ?」
分かっている。分かりたくないが、分かる。
「じゃ、そんな感じで」
軽く手を振る。
「続き、どうぞ」
その瞬間——
その瞬間、時間が動き出した。
音が戻る。風が流れる。世界が、元に戻る。
ガルドの拳が完全に振り抜かれる。男の体が石畳へ叩きつけられる。
さっきと同じ光景だった。
「なんでやった」
「ムカついたから」
ガルドは即答する。本気でそれが理由だと思っている顔だった。
「どうなっても知らないぞ……」
倒れた男は動かない。頭を打っている。腕も変な方向へ曲がっていた。
そこへ、後ろからミアが前へ出る。
「治しましょうか?」
何でもない口調だった。
「……治せるのか」
「治せますよ」
「なら早くしろ」
「その前に」
ミアは倒れた男を見下ろしたまま言う。
「治療費は金貨五枚です」
「は?」
思わず、俺が聞き返した。
「今その確認いるか?」
「必要でしょう」
ミアは平然としている。
「私は慈善事業でやっているわけではありません」
「いや、だからって今――」
そこで、倒れていた男がうめき声を漏らした。意識はあるらしい。ミアはすっとしゃがみ込み、その顔のすぐそばで静かに告げる。
「聞こえますか。治療費は金貨五枚です。払いますか?」
「ご、五枚……?」
男の顔が痛みとは別の意味で歪む。
「高すぎるだろ……!」
「命と腕が元に戻るなら安いものです」
「今それを言うか!?」
俺が言うと、ミアはわずかに首を傾げた。
「では治しませんか?」
「そういう意味じゃない!」
「払うんですか、払わないんですか」
男は呻きながら、半ば泣きそうな声を出した。
「は、払う! 払うから治せ……!」
「最初からそう言えばいいんです」
ミアはようやく手をかざした。淡い光が漏れ、折れた腕が元に戻っていく。打ちつけた頭の傷も塞がっていった。
周囲がざわつく。
人を殴り飛ばした大男。平然と法外な値段をふっかける僧侶。そこに突っ立っているだけの俺まで含めて、どう見てもまともな連中ではない。
「何なんだお前らは!」
男が起き上がるなり叫んだ、その時だった。
「そこまでだ!」
鎧の音と足音が重なる。兵士たちがこちらへ駆けてくる。
……終わった。
そう思った。
「無事ですか!?」
「……は?」
意味が分からない。兵士たちは俺たちではなく、起き上がった男の方を取り囲んでいた。いや、正確には、囲んだ上で剣を向けている。
「こいつだ! 間違いない!」
「長く追っていた指名手配犯だ!」
「誘拐と人身売買の件で手配されていた男だぞ!」
男の顔色が変わる。
「ち、違う、俺は――」
「黙れ!」
兵士が押さえつける。
通りの空気が一気にひっくり返った。さっきまでただの被害者に見えていた男が、今は兵士たちに取り押さえられる犯罪者になっている。
俺は隣を見た。
「なんだよ」
ガルドが言う。
「ムカついたから殴っただけだぞ」
知っている。問題はそこじゃない。
兵士の一人が、今度はこっちへ向き直った。さっきまでの警戒が嘘みたいに深々と頭を下げる。
「ご協力、感謝します! こちらでも長く追っていたのですが、足取りがつかめず難航しておりまして……」
「……協力したつもりはない」
「結果として助かりました!」
勢いがすごい。
「報奨金も出ますので!」
その言葉に、ミアの目が少しだけ細くなった。
「ちなみに、治療費とは別ですよね?」
「え?」
「報奨金と治療費は別勘定ですよね」
「そ、そりゃまあ……」
「なら問題ありません」
「あるよ!」
思わず突っ込んだ。
ガルドは腑に落ちない顔で腕を組んでいる。
「なあレイ」
「何だよ」
「なんで俺、褒められてんだ?」
「……さあな」
「別にいいけどよ」
よくない。全然よくない。
これがあいつの言う祝福の力なのか。肩がぶつかった程度で理不尽に暴力をふるったって話が、どうしてこんな形で収まる。
理解したくもないが、理解はしてしまった。
こいつらがやらかしたことは、結果だけ見れば都合よく片づく。
その仕組みの上に、俺はもう乗せられている。
「次、どこ行くんだ?」
ガルドがもう話を終えた顔で言う。
「森の調査だ。近くの農場で家畜の被害が出てる」
「魔物か」
「たぶんな」
ありふれた依頼だ。
「じゃあよ、気に入らねえやついたらぶっ殺していいか?」
「ダメだ」
「なんでだよ」
「ダメなものはダメだ」
「……はぁ」
俺はこめかみを押さえた。胃が、もう少しずつ痛くなり始めている。
これが、あと何回続くのかは――考えないことにした。




