第20話 甘い褒賞とその毒
ガルドの貴族殺しから始まったこの一連の出来事のあと、俺は何をする気にもなれず、空っぽな日々を過ごしていた。
王都へ戻り、ようやく一息つけると思って眠りについたあの夜、“あれ”に言われたことが、どうしても頭から離れなかった。
傍から見れば、俺たちはとてつもない偉業を成し遂げたのだろう。敵国の中枢をひっくり返し、それを丸ごと連れて生きて王都へ戻ってきた。たしかに結果だけ見れば、そういう話だ。
だが俺は、その中身を知っている。何か得体の知れないものに、また都合よく転がされた。それを知っているから、素直に安心もできなかった。
ちょうどこの頃、王都は雨続きだった。
降り続く雨が屋根を叩く。その音を聞いているだけで、俺の心配や不安を何もかも洗い流してくれているような、そんな気がした。勇者の学校を出て、あとはただ勇者としてやっていけばいいのだと思っていた頃の方が、まだずっと気楽だった。そんなことまで、ぼんやり考えていた。
だが現実は、そういう逃げ方を許してくれない。
王都の空に久しぶりの明るさが戻ったその日、俺は王に呼ばれ、再び謁見の間へ通された。
前回よりもさらに張り詰めた空気があった。功労者として呼ばれているはずなのに、気分はまるで逆だった。
玉座の上の王は、今日もいかにも王らしい顔をしていた。軽さなど欠片もない。広間全体が、その人間一人のために整えられているような、そんな空気だった。
俺は進み出て、深く頭を下げた。
「顔を上げよ」
「は」
顔を上げると、王はしばらく俺を見てから、近侍たちへ目を向けた。
「此度の件に関する褒賞については、功労に対する最大限の賛辞をもって授ける。ゆえに、この場は余人を交えず、余と当人のみで執り行う」
言葉が重い。
その一言一言に無駄がなく、広間の空気がさらに引き締まるのがわかった。
「席を外せ」
周囲の者たちが一礼し、静かに下がっていく。扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
俺は少しだけ息を詰める。
前回みたいに、このあと王が急に砕けるのかと思っていたが今日は違った。人払いを済ませたあとも、王はしばらくそのまま、重い空気を崩さなかった。
「レイ」
「は」
「そなたは此度、敵対国の中枢を挫き、その地を実質的に王国の掌中へ収めた。まこと、前例なき大功である」
「恐れ入ります」
「よって、その功に報いる」
そこまで言って、王はわずかに間を置いた。
その間が妙に長く感じられる。
「褒賞として、そなたに国を与えることとする」
「は」
数秒、意味がわからず固まってしまう。
「……へ?」
間の抜けた声が出た。その瞬間、思わず王が吹き出した。
「ぶはっ」
次の瞬間にはもう駄目だった。王は腹でも抱えそうな勢いで笑い出した。
「やっぱり! やっぱりそういう顔するよね君!」
予想を裏切らなかった、とでも言いたげな笑い方だった。
「ありがとう! いやー、期待した通りの反応だ!」
「いや、ちょっと待ってください」
「待たない待たない、今の“へ?”すごく良かった」
「良かったじゃないんですよ!」
もう完全にいつもの王だった。さっきまでの重苦しい空気を返してほしい。
「国って何ですか」
「国は国だよ」
「そういう意味じゃなくて!」
王はなおも笑いを引きずりながら手を振った。
「いやーでも、もうちょっと構えた反応するかと思ったけど、真正面から“へ?”が出るとは思わなかったなあ」
「そんな反応にもなりますよ!」
俺は思わず声を荒げた。
「金とか屋敷とかならまだわかりますけど、国って何なんですか。どういう褒賞ですかそれは」
「そのままの意味だよ」
王はようやく少し笑いを収めたが、口元はまだゆるんでいた。
「君に、あの小国を与える」
「だから意味がわからないんですが」
「いや、わかるでしょ」
「わかりませんよ」
俺は頭を押さえたくなるのを堪えた。
もらえるものはもらう。それ自体は別に嫌いじゃない。だが、流石に国となると話が違う。しかも相手はつい先日まで敵対していた国であり、その中枢を俺たちがひっくり返したばかりなのだ。
「まず前提として、俺に国なんて運営できません」
「うん」
「うん、じゃなくて」
「そこは心配しなくていいよ」
王はあっさり言った。
「これは俺からのお礼だからね。当然、君には国の上に立つ権限を持たせる。だけど、あくまで王国の属国だ」
「属国……」
「そう。だから完全に丸投げするわけじゃない。王国から優秀な人材をつけるし、実務の大半はそっちで回す。行政も財務も治安も、必要なところにはちゃんと人を置く」
そこまで聞いても、まだ全然安心できなかった。
「じゃあ俺は何をするんです」
「むしろ今まで通りでいいよ。勇者として動いてもらえる方がありがたい」
「は?」
「そうだなあ」
王は少し考えるような顔をしてから、妙に楽しそうに言った。
「王国の筆頭勇者、兼、属国の国主。そんな感じでどうだい?」
「どうだい、じゃないでしょうが」
「格好いいじゃない」
「重いんですよ!」
王は笑っている。俺は笑えない。
もともと敵対国だった土地だ。執政はやり手だったし、国もそれなりに栄えていた。だからこそ余計に、そんなものを俺が引き継いでどうにかなるとは思えなかった。実務をやらないとしても、その上に座るというだけで十分重い。
「……そんな簡単な話じゃないでしょう」
言うと、王は少しだけ目を細めた。
「どういう意味で?」
「そのままの意味です。現地の連中が素直に従うとも思えない。元は敵対国だったんですよ。執政がいなくなったからって、はい今日から私が国主です、で済むわけがない」
「うん」
「しかも、執政はやり手だった。国自体もちゃんと回っていた。俺みたいなのが上に座ったところで、どう見ても不安の方が大きいでしょう」
「それはそうかもね」
「でしょう?」
少しだけ乗ってきたかと思ったのに、王はそこであっさり言った。
「じゃあ呼ぼうか」
「何をです」
王が軽く合図すると、奥の扉が開いた。
そこから現れた顔を見て、俺は本気で変な声が出そうになった。
「……は?」
連れてこられたのは、あの執政だった。
「へ?」
本日二度目の、間抜けな声だった。
王は明らかに得意げだった。
「どや」
「どや、じゃないでしょうが!」
「いや、良い案だと思わない?」
「全然思いませんが!?」
執政の方は、前に見た時よりだいぶ落ち着いた顔をしていた。もちろん機嫌が良さそうには見えないが、少なくとも処刑台へ向かう人間の顔ではない。
王はそんな俺を見ながら、楽しそうに続けた。
「まあ優秀な人間だったわけで、それなりに慕われてもいた。彼は彼なりに国をよくしようと思っていたことは確かなんだよね」
「やり方がまずかっただけで、ですか」
「そうそう。こっちとしては困る方向へ能力を使ってただけで、能力自体は惜しい」
王はあっさり言う。
「俺もいろいろ考えたんだけど、この場合はこれが一番かなって思って」
「いや、ちょっと待ってください」
「当然、表向きには彼は惨たらしく殺されたことにしてるから秘密だよ」
「秘密の規模がでかすぎるんですが」
「そう?」
「そうです!」
俺は頭を抱えたくなった。
つまり何か。俺が表向きの領主として座り、王国から派遣される優秀な人材と、死んだことにされた元執政が実務を回す。どう考えてもろくでもない。
「……こいつが反旗を翻したらどうするんです」
思わず、執政を指さしてしまった。
「俺を表に立てて、裏で好き勝手やることだってできるでしょう。何か起きたら全部俺が悪かったってことにされるかもしれない」
王はそこだけ、少しだけ真面目な顔になった。
「それはないと思うよ」
「なんでそんなこと言い切れるんです」
「俺はね、レイくんのことを信用してるんだよ。だってレイ君は、どっからどう見ても、王国に喧嘩売るような肝も座ってなければ、そんな大それた立ち回りができる器用さもないじゃない」
「いやな信用だな」
「でも本当にそこは信用してるよ」
「褒められてる気がしないんですが」
王は笑った。
「このやり取りを聞いてる彼も、そのへんはちゃんとわかってると思うよ。君を悪役に仕立てるのは無理筋だって」
俺は執政の方を見た。執政は少しだけ目を伏せたあと、静かに言った。
「少なくとも、その懸念は現実的ではない」
「お前にそう言われても全然安心できないんだよ」
「それは理解している」
「理解してるならもっと申し訳なさそうにしろ」
執政は口を閉じた。
王はそのやり取りに満足そうだった。
「ほらね」
「ほらね、じゃないでしょう」
「まあ、どうしても彼のことを信じられないなら、それでもいいよ」
王は軽い調子で続けた。
「その代わり、彼が本当に裏切ったり反旗を翻したり、不穏な動きを見せたらその時は君たちの判断で彼を殺していい」
俺は耳を疑った。
「は?」
「俺の権限で、そういう書類を作ったっていいよ」
「軽く言うことじゃないでしょうが!」
「でも必要でしょ、そういう担保」
必要かどうかで言えば、必要なのかもしれない。必要なのかもしれないが、だからといって王がそんな調子で言うな。
ガルドがこの場にいたら、「じゃあ今殺しとくか」とか言い出しかねない。連れてきてなくて本当に良かったと思った。
王はそこで、またいつもの調子で笑みを浮かべた。
「君はあれだよ。今まで通り勇者の仕事をゆるーくやって、好きな時に休んで、属国の利権みたいな甘い汁を吸ってればいいんだよ。正直、俺だってその立場ちょっとうらやましいし」
「そんな甘い話に聞こえないんですが」
「細かいこと考えすぎなんだよ」
「考えるでしょうよ」
「そこは周りがちゃんと支えるから」
「その“周り”に、いま最大の不安要素が立ってるんですが」
執政を見ながら言うと、王はくくっと笑った。
「大丈夫大丈夫。たぶんうまくいく」
「たぶんって言いましたよね」
「言ったね」
「俺に押しつける話でその言い方やめてもらえませんか」
しばらく黙ったあと、俺は長く息を吐いた。
もはやここまできて断る、という選択肢はとれない。王がわざわざここまで組み立てた話を崩すことになる。それに、属国領主という立場が本当に機能するなら、勇者として動く上でも悪い話ではない。悪い話ではないのだ。
ただ、悪くない話と胃に重い話は両立する。
「……本当に、俺は今まで通りでいいんですね」
「いいよ」
「実務はやらなくていいんですね」
「やらせない」
「王国の人材はつくんですね」
「つける」
「こいつが裏切ったら」
「その時はやっていい」
「物騒すぎるんですが」
「安心材料でしょ?」
「安心の方向が狂ってるんですよ」
王は満足そうに頷いた。
「じゃあ決まりだね」
「俺はまだ同意した覚えないんですが」
「今のはほぼ同意でしょ」
「雑すぎる……」
執政がそこで初めてはっきりと俺へ向き直った。
「貴殿が受けるなら、こちらとしては従う」
その口調は前よりよほど抑えられていた。だが、だからこそ余計に信用しづらい。
「受ける前提で話を進めるな」
「では断るのか」
「……そこを今考えてるんだよ」
王はそんな俺たちを見ながら、実に楽しそうだった。
結局、その日。俺は国を手に入れた。ただし実際の話は少し違う。
あの場では、あまりにも話が大きすぎて面食らうばかりだった。だが、あとから小国の事情や執政の立場についても聞かされるうちに、あれが単なる大盤振る舞いではなかったことが、少しずつ見えてきた。
まず、あの小国自体が、見た目ほど旨みのある褒賞ではなかった。
もともとあの国は、王国との力の差が大きすぎた。その上、王国から物流と交易の面で外堀を埋めるように締め付けられ、外から物資を通す経路は、ほとんど王国に押さえられていたらしい。そうなれば当然、物価は上がる。国の中で回せる金にも余裕がなくなる。見た目には一国の体裁を保っていても、中身はかなり苦しかったのだろう。
その中で、執政は執政なりに国民を守っていたのだ。
それなりに慕われてもいた、という王の言葉も、あながち持ち上げすぎではなかったのかもしれない。やり方は王国から見れば厄介極まりないものだったが、少なくともあの男なりに、自分の国を少しでも有利にしようとしていたのは本当なのだろう。ああいう裏の動きに踏み込んでいたのも、単なる野心だけで片づく話ではなかったようだ。
そして今、その国は属国になった。
言い換えれば、今後は王国の支援を正面から受けられるということでもある。王国との物流も正式に確保される。交易路も王国の後ろ盾のもとで安定する。そうなれば、これまで苦しかった財政や物価の問題も、少しずつ立て直していける。
つまり執政にとっても、今回の件は屈辱だけで終わる話ではない。もちろん、負けは負けだ。王国の属国となり、自分は表向き死んだことにされ、しかも俺の下につく形になる。その屈辱が消えるはずはない。
だが一方で、国そのものを立て直す道が開けたのも確かだ。今後は王国の支援を受けながら、これまでよりずっとまともな形で国を良くしていける。そう考えれば、あの男が前向きな顔をしていたのも、まあ理解はできる。
まだ信用はしていないが、俺たちの方でもそこは割り切るしかなかった。
俺たちの拠点はこれまで通り王国のアジトに置くことにした。俺があの国へ常駐して実務を回すわけではない。現地のことは執政と王国側の人材に任せ、俺たちは今まで通り勇者の仕事を続ける。いわゆる「お飾り国主」となるわけだが、“祝福”のことを考えると、それが一番都合がよかった。
慣れない土地で、慣れない連中と、余計ないざこざを起こすたびに、あれがまた意図しない形で働くかもしれない。そういう火種は、できるだけ減らしておきたかった。少なくとも、普段の拠点が王国側にあるなら、その手の面倒はかなり避けられる。
そして王が、利権だの甘い汁だのと軽く言っていた件について。これは実際のところ、小国の懐事情を考えれば、俺の手元に転がり込んでくるのは、せいぜい生活に多少余裕が出る程度のものだろう。前みたいに金の心配をそこまでしなくてよくなるとか、活動の融通が少し利きやすくなるとか、そのくらいだ。豪勢な暮らしが約束されるわけでもないし、寝ていれば金が湧いて出てくるわけでもない。
そこで、王の考えがわかった気がした。
そもそも、国一つを持ち帰ったに等しい功績なのだ。本来これを金で払うなら、とんでもない額になっていたはずだ。だから王は、俺をあの小国の国主に据えることで、「国を与えた」という形を作ったのだろう。王国の財からは新たに大金を出さず、それでいて褒賞としては最大級に見える。
墓の件では、俺たちへの賠償として王国の金が俺たちに流れた。だが今回は違う。国を与えると言えば聞こえは派手だが、その実態は、属国となった小国の中で立場や利を切り分ける話に近い。
うまい、と思った。いや、うますぎる。しかもそれを、あの人は飄々とやってのける。
最初にあの話を聞いた時は、ただ面食らっただけだった。だが、あとになって小国の実情や執政の立場まで見えてくると、むしろぞっとする。どこを取っても、やることがえげつない。
謁見の間での一連のやり取りだってそうだ。
重々しく褒賞を告げられた時点で、まず断りづらい。こっちが面食らった直後に態度の落差で一気にたたみかける。国を与えるなどというとんでもない話を前にして、こちらが冷静に理屈を組み立てる前に、もう流れごと押し切られていた。
思い返してみると、あの人は最初から最後まで、自分に有利な形でしか話を進めていない。俺にできたのは、その中で少し抗議して、胃を痛めて、最終的に受け入れることくらいだった。
あの王は、笑いながら人を動かし、国を動かす。笑いながら敵の優秀な人間を生かし、功労者へ国を与えた形を作り、自分の王国には損をさせない。
あんなふざけた態度をしているくせに、やることは徹底している。
いろいろと思うところはあるが、俺たちにとっても悪い話ではないことは確かだ。これ以上文句をつけるのも違う気がした。いや、違うというより、怖い。あの人の機嫌を本気で損ねて、話をこじらせる方がよほど怖い。軽く笑っている時ですらこれだけやるのだ。もし本気で敵に回したらどうなるのか、想像したくもない。
あの執政が、俺たちの体の自由を奪うために食事へ仕込んだ薬は、結局何の効果もなかった。だが、王が笑いながら俺に差し出した、甘美な名を冠したそれはたしかに、王の作ったよくできた仕組みの中へ俺たちを縛りつけた。
せいぜい俺にできるのは、押しつけられたこの立場の中で、できるだけ胃を痛めないやり方を探すことくらいだろう。
王国のアジトを拠点にし、属国の実務は執政たちに任せ、俺たちは俺たちで今まで通り勇者をやる。面倒は多くなるかもしれない。信用ならない相手もいる。だが、王国の支援のもとであの国が立ち直っていくなら、それはそれで悪い話ではない。
少なくとも、今はそう思うしかなかった。




