第17話 王都への帰還
部屋が静かになると、倒れた連中の呻き声だけがやけに残った。
ミアはそこでようやく前へ出た。裾を踏まないよう静かに歩きながら、倒れている連中のそばへしゃがみ込む。治す順番を選んでいる目だった。
「これは高いですね」
「値踏みから入るな」
「治療計画です」
「言い方を変えるな」
ラッキィが執政の顔を覗き込む。
「この人も治すんですか」
「死にそうならな」
「じゃあ高いですね」
「お前まで乗るな」
ガルドが鼻を鳴らした。
「で、どうすんだ」
「どうするも何も、縛って連れて帰るしかないだろ」
「帰るって、あっちにか」
「ああ、王都しかねえよ」
言いながら、自分でも少し変な気分になる。
国を捨てて、亡命までして、敵国の中枢をぶっ壊して、結局また元の国へ帰る。筋だけ書けば何一つまともじゃない。
ラッキィが妙に真顔で頷いた。
「遠回りでしたね」
「お前がそれを言うな」
だが、遠回りでも何でも、道ができたのは事実だった。
執政はまだ睨んでいる。兵たちは転がったままだ。ミアは淡々と治し始めている。ガルドはもう終わった顔をしているし、リリアは散らかった料理を少し惜しそうに見ていた。爺はたぶん最初から最後まで何も変わっていない。
俺は小さく息を吐く。
「……縛れるやつから縛るぞ」
そう言うと、ラッキィが元気よく返事をした。
「はい」
返事だけは立派だった。
もっとも、実際に動かせば立派さの中身はすぐわかる。
ラッキィは近くに転がっていた縄を拾い上げると、なぜか一番縛りやすそうな兵士ではなく、半分壊れた椅子の脚へそれを回しかけた。
「お前は何をしてるんだ」
「固定しようかと」
「家具を捕縛してどうする」
「すみません」
謝りながら方向を変えたが、その次は次で、気絶している兵士ではなく、まだ目だけはぎらつかせている護衛の腕へ不用意に近づいた。案の定、相手が残った力で短剣を抜こうとする。
「危な――」
言うより先に、ガルドの足が飛んでいた。短剣ごと手を床へ叩きつけ、護衛が情けない声を上げる。
「だから前に出るなって言ってるだろ」
「いや、今のはほぼ終わってたので」
「終わってねえからこうなってるんだよ」
ラッキィは素直に二歩下がった。三歩下がればもっといいのだが、今はそこまで求めない方がいい。
結局、縛る作業の中心は俺とリリアでやることになった。ガルドは縛るより転がしておく方が早いらしく、逃げそうなやつを見つけるたび、首根っこを掴んで元の位置へ放り戻している。たぶん正しい。正しいが、もう少しやり方はあるだろうと思わなくもない。
ミアはそんな俺たちを横目に、優先順位を決めながら傷を見ていた。まずはこのままだと本当に死ぬやつ、その次に時間が経つと厄介なことになるやつ。順番をつける目つきが妙に真剣で、そこだけ見れば立派な治療者だ。
「こっちは先に見ます」
「執政は後でいいのか」
「今すぐ死ぬほどではありません」
「そうか」
「ただし苦しいでしょうね」
「お前はそういうところだけ正直だな」
「事実ですから」
そう言いながら、ミアは床へ膝をつき、腹を押さえて呻いている兵士へ手を当てた。淡い光が漏れる。傷ついた者を回復している、ただそれだけの光景のはずなのに、こいつのそれは独特で、俺はいまだに少しだけ落ち着かない。
兵士の苦悶が和らぎ、呼吸が戻る。助かったことに気づいたその顔へ、ミアは何の感慨もなく告げた。
「あとで請求しますので」
「やっぱり言うのか」
「ここで言っておいた方が親切でしょう」
「親切の定義がいつもおかしいんだよ」
助けられた兵士の顔が別の意味で青ざめた。正直、少し気の毒ではある。少しだけだが。
縛り終えた連中は部屋の隅へまとめて転がした。執政だけはさすがに少し離しておく。こいつら同士で何かされるのも面倒だからだ。
執政は壁際へ座らせたまま、こちらを睨み続けていた。さっきまでの余裕はもうない。あるのは怒りと、あと少しだけ、計算違いを前にした人間の顔だった。
「王国へ突き出すつもりか」
低い声で執政が言う。
「そうするしかないだろ」
「それでお前たちが無事に済むと思うなよ」
「無事に済まないのは、もう今さらだ」
自分で言っていて嫌になるくらい、変な実感があった。逃げても逃げても、結局どこへ行っても無事では済まない。だったら、まだ自分で選べる方を選ぶしかない。
執政は鼻で笑った。
「王国がお前たちを歓迎するとでも?」
「歓迎までは期待してねえよ」
「では何を期待している」
「少なくとも、お前らを持って帰れば話は変わる」
それだけは本音だった。
王国にとっても、この国の中枢を丸ごと押さえた形になる。俺たちがただの亡命失敗者で終わるよりは、いくらかましな扱いにはなるだろう。たぶん。いや、そうであってくれないと困る。
執政はそれ以上何も言わなかった。言いたいことは山ほどある顔をしていたが、口にしても状況が変わらないとわかっているのだろう。
リリアが縄を引っ張りながら言う。
「これ、何人いるんだろうね」
「数えるな。嫌になるから」
「もうだいぶ嫌になってるよね」
「それはそうだ」
ガルドは壁にもたれて腕を組んでいた。あいつだけはもう終わった空気を出している。
「で、いつ出る」
「ミアが最低限の処置を終えたらだ」
「さっさと行こうぜ」
「お前は少し黙ってろ」
「働いたやつにその言い方かよ」
「働きすぎなんだよ」
リリアがその横で小さく笑う。ラッキィは縛り終えた連中を、何やら真面目な顔で並べ直していた。
「何してる」
「逃げにくいように並べてます」
「そういうところだけ有能になるな」
「褒めました?」
「半分な」
半分あれば十分です、とラッキィはわけのわからないことを言った。まあ、今さらだ。
少しして、ミアが立ち上がる。
「とりあえず、今ここで死ぬ者はいません」
「全員か」
「はい。あとは移動中にどうなるかですね」
「縁起でもないこと言うな」
「現実的な話です」
間違ってはいないのが腹立たしい。
俺は部屋を見回した。割れた皿。散った料理。倒れた卓。縄でまとめられた兵士と要人。壁際で憎々しげにこちらを睨む執政。そして、それを取り囲むように平然と立っている俺たちのパーティー。
ほんの一時間前まで、ここは執政との会食の場だったはずだ。どこでどう道を踏み外したのかと考えるのも馬鹿らしい。踏み外したのではなく、最初からそういう道だったのだろう。
俺は小さく息を吐いた。
「行くぞ」
その一言で、みんなが動く。
ガルドは執政を担ぎ上げ、リリアは縄の束をまとめ、ラッキィは転がせるやつを転がせる形に整える。爺は爺で何を考えているのかわからないまま、いつの間にか先頭に立っていた。ミアだけが最後に一度、部屋の中央を見渡し、処置し忘れがないか確認してから続く。
亡命先の国で歓迎を受け、食事に招かれ、薬を盛られ、潰しに来た連中を返り討ちにし、その国の要人をまとめて王国へ連行する。
我ながら、どうかしている。
だが、もうここまで来たら、後は進むしかなかった。
俺たちは建物の外へ出た。
夜気に触れた瞬間、ようやく少しだけ頭が冷えた。だが、冷えたところで状況がまともになるわけではない。背後には灯りの消えきらない執政の建物があり、足元には縄で繋いだ兵士や要人が並んでいる。ついさっきまで整った会食の場にいたはずなのに、今はその主ごと引きずって出てきているのだと思うと、さすがに現実感が薄い。
さすがに、国一つ分の中枢をまとめて引きずって帰るとなると、話は簡単ではなかった。
まず人数が多い。執政本人だけならまだいい。問題はその周囲だ。護衛、部屋に詰めていた兵、奥から雪崩れ込んできた連中、そのうちただ転がしておくだけでは後で厄介になるやつまで縛って連れて行くとなると、いくらこっちが戦闘では上でも、移動中の監視までは別の話になる。
「多くないか」
俺は率直に言った。
ガルドが鼻を鳴らす。
「多いな」
「お前が言うな」
リリアも縛り上げた連中を見回して、小さく首を傾げていた。
「全部連れてくの?」
「連れてくしかないだろ。ここで放したら意味がない」
「でも、さすがにこの人数をずっと見張りながら連れて移動するのは無理だよね」
その通りだった。
こっちは六人……いや、ラッキィを数に入れると妙に不安になるから実質五人半だ。その上、ミアは監視役ではなく治療役だし、爺は爺で、役に立つ時はとんでもなく役に立つが、常に計算に入れていい戦力ではない。ガルドとリリアが強いとはいえ、延々と捕虜列を監視しながらの移動は、さすがに無理がある。
ラッキィがやけに真面目な顔で言った。
「何人か見せしめみたいに前に転がして、残りは怖がらせながら歩かせるとか」
「発想が嫌だな」
「でも理屈は通りますよ」
「通っても嫌なんだよ」
ミアは縛られた連中を見下ろしながら言う。
「そもそも、歩かせる前提なら、数人は途中で悪化しますね」
「それも困る」
「治せばいいだけです」
「お前は気楽に言うな」
「気楽ではありません。高くつきます」
「だろうな」
そうして頭を抱えかけたところで、リリアがふと建物の陰の方を見て言った
「レイ」
「何だ」
「そこ、誰かいる」
その一言で全員の空気が変わる。ガルドはすぐ剣に手をかけ、俺も反射的に身構えた。
だが、次に聞こえてきた声は、予想していたものとは少し違った。
「剣を収めていただきたい。敵意はありません」
建物の陰から現れたのは、夜目にも地味な格好の男だった。兵士には見えない。商人にも、ただの市民にも見えない。何というか、見られても困らない服装を徹底して選んだ人間、という感じだった。
そいつは俺たちの顔を一通り見てから、縛って転がしたままの執政たちへ視線を移した。そして、ほんの一瞬だけ、表情の端を引きつらせた。
「……予想以上の成果です」
「誰だお前」
俺が問うと、男は小さく礼をした。
「王国の者です」
「いや、その雑な名乗りで信用しろと?」
「信用される必要はありません。ただ、こちらとしても執政がどうなったかは確認したかった」
そこでようやく、俺は少しだけ理解した。
王国の間者か。
そう考えれば辻褄は合う。この国が王国へ手を伸ばしていたように、王国だって何もしていないわけがない。むしろ、表に出ていないだけで、こういう連中は思っている以上に潜んでいるのだろう。
男は続ける。
「こちらにも何人かおります。潜伏場所もあります。人数の多い捕虜移送を、あなた方だけでこなすのは無理があるでしょう」
その言い方が妙にさらっとしていて、逆に腹が立った。
「それをもう少し早く出てきて言えなかったのか」
「今出るのが最も安全でしたので」
「そういうとこだぞ」
だが、助かるのも事実だった。
俺はガルドたちを見る。ガルドは「どうでもいい」と言いたげな顔、リリアは少し警戒、ミアは興味なさそう、ラッキィだけが「増援だ」とでも思っているのか少し嬉しそうだった。
「信用はしないが、手は借りることにする」
俺が言うと、男は短く頷いた。
「それで結構です」
そのあと、建物の陰や周囲の路地から、同じような気配の人間が何人か出てきた。兵士ほど表に立たず、かといって素人でもない。夜の中へ溶け込むように潜んでいたのだろう。
意外と多いな、と思う。
この国も王国へ目を向けていたが、王国だって負けず劣らず、この国の中へ手を伸ばしていたわけだ。そう思うと、国同士の話というのは、表に見えているものよりずっと薄汚れていて、ずっと抜け目がない。
もっとも、今の俺には、その抜け目のなさがありがたかった。
捕虜の移送は、俺が考えていたよりずっと現実的な形になった。
まず、歩けるやつは歩かせる。怪我が重く、途中で死なれると困るやつはミアが最低限だけ治す。反抗の気配が強い連中はガルドが前もって怯えさせる。後ろはリリアが見張り、列が乱れたり逃げたりしそうになれば風で足元を払う。王国の間者たちは道案内と縄の管理、それに途中での交代要員を引き受けた。
俺とラッキィは列の中ほどについた。
「なんか、思ったよりちゃんとしてきましたね」
ラッキィが感心したように言う。
「お前がその感想なのが一番不安だよ」
「いやでも、さっきまでよりだいぶ希望がありません?」
「希望って言葉の使い方が雑なんだよ」
ガルドは先頭近くで執政を片手で引っ張っている。あれは護送なのか荷運びなのか、見た目がだいぶ微妙だった。執政も一応歩ける程度には戻してあるのだが、ガルドに引かれるたびに顔が歪むので、まあ、同情はあまりしない。
ミアは移動しながら時々捕虜を見て、必要があれば短く処置を入れていた。そのたびに相手の顔が青くなるのは、治療そのものよりも、その後の請求を想像してのことだろう。
リリアは後方で暇そうに見えて、ちゃんと全部見ている。列の最後尾でふらついた兵の足元だけを風で払って転ばせた時、やっぱりこいつも大概だと思った。
爺は列の外をふらふらしていた。何の役にも立っていないように見える瞬間と、なぜか一番逃げそうだった捕虜の横へいつの間にか立っている瞬間があるので、結局わからない。
王国の間者の一人が俺へ近づいて、小声で言った。
「国境を越える頃には、さらに別の者たちと合流できます」
「そんなにいるのか」
「ええ。表に出ていないだけで」
「そうかよ……」
思わずそれだけ返す。
国境を越えるまで、何もなかったわけではない。途中でこの国の残兵らしき連中と二度ほど鉢合わせもした。だが、こちらは執政本人を含む捕虜列を引いている上に、王国側の間者まで加わっている。数の見た目も悪くないし、ガルドとリリアが前後にいるだけで、下手に手を出そうという気が削がれるのかもしれない。どちらも、小競り合いと呼ぶほどのことにもならなかった。
やがて中立地帯を抜け、王国側の国境が見えてきた時、俺は少しだけ肩の力を抜いた。
前にこの線を越えた時は、逃げるためだった。後ろを追われ、先の見えないまま、とにかく外へ出ることだけを考えていた。
今は逆だ。
縛り上げた敵国の中枢を引き連れ、王国へ戻ろうとしている。
何一つまともではない。だが、少なくとも前よりは、進む先が見えていた。
ラッキィが小さく言う。
「帰ってきましたね」
「まだ入ってねえよ」
「でも、まあ、ほぼ帰ってきたようなものじゃないですか」
その言い方に、少しだけ笑いそうになる。
そうかもしれない。
歓迎されるかどうかは知らない。待っているのが褒賞か処罰か、それともその両方かもわからない。だが、それでも俺たちは戻ってきたのだ。逃げるためではなく、今度は持ち帰るものを持って。
国境を越えたところで、向こう側に待っていた王国側の人間たちが、一斉にこちらを見た。
その視線が最初に向かったのは、もちろん俺たちではない。ガルドに引かれ、縄で繋がれた執政たちの方だった。
何人かが、露骨に息を呑む。
無理もない。俺だって、第三者なら同じ顔をしていた。
王国の間者の男が一歩前へ出て、簡潔に告げた。
「確保しました」
その言葉だけで十分だったらしい。
向こうの人間たちの空気が変わる。驚き、警戒、困惑。何が起きたのかはわかっても、それをどう扱うべきかまでは、まだ決めきれていないようだった。
ああ、やっぱり、ただ戻って終わりでは済まないなと思う。
だが、ここまで来ればもう後戻りはない。
俺は長く息を吐いた。
「……ひとまず、行くしかないか」
誰に向かって言ったのか、自分でもよくわからなかった。
それでも、その言葉だけはやけにはっきりしていた。




