第14話 亡命者の居場所
深夜、俺たちは中立地帯を進み亡命先の国境へ向かっていた。
国を飛び出した勢いのまま走り続けてきたが、いざ本当に他国へ入る段になると、今さらながら当たり前のことが頭に浮かぶ。亡命とは具体的に何をどうすれば成立するのか、ということだ。
言葉の意味くらいは知っている。追われた人間が他所の国へ逃げ込んで、庇護を求める。そういう話だ。だが、いざ自分がやる側になると、何もわからなかった。どこへ行って、誰に何と言えばいいのか。亡命させてくださいと言ったら、ああそうですかと受け入れられるものなのか。そもそも、そんな申し出を聞く部署みたいなものが本当にあるのか。
言葉だけ知っていて、現実の手続きがさっぱりわからないというのは、なかなかに心細い。
しかもこっちは一人ではない。問題児の塊みたいなやつらが六人。特に身なりで怪しいのが爺。ガルドもどこからどう見ても悪人面だ。俺一人ならともかく、この面子で夜中に他国の入口へ転がり込んで、まともな対応を受けられる気がしなかった。
だが、だからといって立ち止まるわけにもいかない。
前を歩くガルドは、そういうことをまるで気にしていない顔をしていた。そもそもこいつは亡命という言葉の細かい意味すらどうでもよさそうだ。爺はその横で、相変わらず何を言っているのかわからない声をぼそぼそと漏らし、リリアは気を張りながら周囲を見ている。ラッキィはさっきから妙に静かだ。いや、静かだからといって安心できる相手ではないのだが、それでも余計なことを言わないだけましだった。
ミアはいつもの顔で歩いている。
そういえば、結局最後まで何も言わなかった。国を出た時だって不満も口にせず、当たり前みたいについてきている。あれだけ心配していたくせに、今さらそこを聞き返す気にもなれなかった。答えを聞いたところで安心できるとも思えないし、かえってろくでもない答えが返ってきそうな気もする。
「えっと」
隣でラッキィが真顔で言った。
「亡命って、誰に言えばいいんですかね」
「それを俺も知りたい」
「窓口みたいなのないんですか」
「あるなら最初に書いておいてほしいよな」
「亡命はこちら、みたいな?」
「そんな案内あればいいけどな」
ラッキィとふざけた会話のやり取りをしていると、前方に灯りが見えた。
「レイ」
リリアが小さく呼ぶ。
「たぶんあれだよね」
高い壁に囲まれているわけではないが、通りを絞り、見張りを置き、外から入る人間を止められるようになっている。うちの国にも似たような場所はあった。あれをもっと小さくして、しかし妙に実用一点張りにしたような造りだった。
入国審査所、とでも呼べばいいのだろうか。
「この時間でも開いてるんですね」
ラッキィが言う。
「閉まってたらもっと困るだろ」
「それはそうです」
困るどころではない。閉まっていた場合、柵を越えるなり、見張りを気絶させるなり、そういう話になる。いや、たぶんこの面子なら普通にできるのだろうが、そこまでやったらもう亡命ではなく不法侵入だ。
俺たちは、できるだけ敵意がないように見える速度で近づいたが、当然ながらすぐに止められた。
「止まれ」
槍を持った兵が、灯りの下でこちらを見る。目つきは厳しいが、まだ殺気はない。夜中に知らない連中が集団で現れれば、まあそうなる。
俺は両手を上げて、武器を抜く気がないことを示した。
「……話がある」
「そこで言え」
「王国から来た」
その一言で、兵の目が細くなった。
そりゃそうだ。
俺は一瞬だけ躊躇したが、ここで変に取り繕っても仕方がない。
「王国からの亡命を希望する」
沈黙が落ちた。
もっとこう、即座に武器を向けられるとか、縛り上げられるとか、そういう反応を想像していた。ところが先頭の兵は、こちらを値踏みするように見たあとで、後ろの人間へ何事かを告げた。すぐに別の人間が出てくる。責任者らしい。
「全員か」
「全員だ」
「身分を証明できるものはあるか」
そこでラッキィが、なぜか胸を張った。
「あります」
お前が答えるのかよ、と思ったが、次の瞬間にはもっと驚いた。
ラッキィが背負っていた袋の中から、活動記録や依頼達成の証明書、勇者としての登録に関わる書類だの何だのが、まとめて出てきたのである。
俺は思わず固まった。
「……お前、なんでそれ持ってんだ」
「なんか大事そうだったので」
「なんかで持ってくるなよ」
「役に立ったので良くないですか」
それはそうだが、そうじゃない。
アジトを飛び出したあと、こんなものまで持ってきていたとは思わなかった。いつも間抜けなくせに、珍しいこともあるもんだと本気で思う。
責任者らしい男はその書類を受け取り、灯りの下で確認し、別の兵へ渡した。そこから先が早かった。
もっと揉めるものだと思っていた。いや、場合によってはその場で縛られるとすら思っていた。なのに彼らは、警戒こそしていたものの、露骨に追い返す気配は見せなかった。名前を聞き、肩書きを確かめ、荷物を簡単に改め、短くやり取りを交わす。その上で、責任者は言った。
「こちらで一旦保護する。詳しい話は中で聞く」
それで終わった。
終わってみれば、拍子抜けするほどあっさりしていた。
理屈はわかる。敵対する王国からの亡命者。それも、ただの兵士ではなく勇者一行。敵国から流れてきた情報源として見れば価値は高い。しかも書類まできっちりある。怪しさはあっても、いきなり切り捨てるほどではない、ということなのだろう。
それにしたって、もう少し揉めるかと思っていた。
俺たちはその夜、審査所の奥にある部屋へ通された。牢ではなかった。客室というには簡素だが、少なくとも囚人扱いでもない。水も食事も出てきたところで、逆に落ち着かなくなる。
「思ったより普通ですね」
ラッキィが椅子へ座りながら言う。
「お前はもう少し警戒しろ」
「してますよ」
「してる顔に見えねえんだよ」
「じゃあ険しくした方がいいですか」
「やめろ。余計怪しい」
リリアは、座ってからもまだ周囲を見ていた。
「でも、話は聞いてくれそうだね」
「今のところはな」
ガルドは壁にもたれている。
「で、ここから何すんだ」
「知らん。知らんけど、たぶんいろいろ聞かれる」
「面倒くせえな」
「お前が貴族を殺したせいだよ」
ガルドにしては珍しくバツが悪そうに黙り込んだ。
ミアは水を一口飲んでから言った。
「少なくとも、首を落とされる気配はありません。良かったじゃないですか」
「基準が低すぎる」
「今の状況で高い基準を持って何か得があります?」
ない。ないが、それはそれとして言い方というものがある。
その夜は結局、それ以上何も起こらなかった。
翌日から、聞き取りが始まった。
俺たちが間者ではないか、本当に亡命の意思があるのか、王国でどういう立場だったのか、なぜここへ来たのか。聞かれること自体は予想の範囲内だった。答えられる範囲で答える。貴族殺しの件だけは、まだ言わなかった。そこを最初から出すほど馬鹿ではない。
その代わり、勇者としての活動記録についてや、王国でどんな依頼を受けてきたか、そのあたりは正直に話した。隠しても仕方がないし、むしろそのほうが信用されると思ったからだ。
三日かかった。
三日のあいだ、俺たちは軟禁とも保護ともつかない扱いを受けたが、少なくとも不当に痛めつけられることはなかった。食事は出る。寝床もある。兵の目は厳しいが、露骨な敵意ではない。警戒されながらも、価値あるものとして見られている。そんな感じだった。
そして四日目、晴れて、という言い方が正しいのかは知らないが、俺たちの亡命は正式に受理された。
この国は王国ではなかった。元は王国の属国だったらしいが、今は独立し、別の政治体制を取っている。王はいない。その代わりに執政と呼ばれる役職があり、要するにこの国で一番偉いのはそいつらしい。
規模は王国よりずっと小さい。街も人口も、何もかもが一回りも二回りも小さい。だが、小さいなりに安定していた。王国との小競り合いは続いているらしいが、地図で見れば鼻で笑えるほどの規模差がある。王国からすれば、本気で潰しにかかるほどでもない、目障りな小国といったところなのだろう。
亡命が通ったあと、俺たちはこの国で雇われ冒険者のような扱いになった。
正直、そのあたりはだいぶ拍子抜けした。もっとこう、裏切り者だの何だのと白い目で見られながら細々とやるものかと思っていたのだが、実際には逆だった。向こうにしてみれば、敵国から流れてきた実力者だ。使わない理由がない。
何度か仕事を受けるうちに、それはさらに露骨になった。
主に暴れていたのは、いつもの二人だ。ガルドとリリアである。
ガルドは相変わらず、因縁をつけて殴りかかったようにしか見えない相手が、あとから調べると碌でもない悪党だった、という流れを何度も作った。偶然でそんなことが何度も続くわけがない。だからそのたびに、ああ、また俺の“祝福”が使われたのだ、と思った。結果だけ見れば都合よく収まっているのかもしれないが、そのたびに何かが削れていくようで、少しもありがたくはなかった。むしろ勘弁してくれと思う。心臓に悪いにもほどがある。
リリアはもっと単純に強い。何より場を制圧する力がある。こんな小国の雇われ戦力としては、どう考えても過剰だった。
だが、だからこそ向こうはわかりやすく俺たちを頼るようになり、こちらもこちらで、少しずつこの国の仕事の流れに慣れていった。
気づけば、亡命者として肩身の狭い思いをするどころか、普通に重宝されていた。
それが良いことなのかどうかは、まだわからない。それでも、少なくともあの夜に抱いていたような、明日にも追い出されるのではないかという種類の不安は、だいぶ薄れていた。
「最近、普通にうまくいってますよね」
ラッキィが気の抜けた声で言った。
「お前がそういうこと言うと不安になる」
「ひどいです」
「ひどくない。事実だ」
リリアが笑う。
「でも、わかるかも。なんか、ちゃんとここでやれてる感じするよね」
「……まあな」
口に出して認めるのは少し癪だったが、実際そうだった。
国を捨てて逃げてきた時はどうなることかと思った。亡命が通るかどうかすらわからず、通ったところで今度はどこまで信用されるのかも怪しく、少なくともすぐ楽になる未来なんてまるで見えていなかった。
それが今では、仕事が回り、評価もされ、明日の予定まで決まっている。
ミアが淡々と言う。
「少なくとも、今のところは野垂れ死にしなくて済みそうですね」
「お前は本当に言い方が終わってるな」
「そうかもしれませんね。ですが、私だって多少の不満くらいはあります。私は王国の“アジト”、結構気に入っていましたし」
言いながら、ミアはほんの少しだけガルドのほうへ視線を流した。あからさまに責めるほどではないが、今回の件の元凶が誰かを忘れていない程度の棘はある。そもそも“アジト”という呼び方自体、最初にそう言い出したのはガルドだ。だからこそ、その言い方には小さな皮肉がよく効いていた。
ガルドがフンっと鼻を鳴らす。
「俺は別にどこでもいい」
「お前が言うな。少しはこの先どうするか考えろ」
「考えても腹は膨れねえだろ」
その言い方が、妙に今の状況に合っていて、少し笑いそうになった。
どこでもいい。たしかに、今の俺たちはそういう段階まで来ているのかもしれない。王国でなくても、ここでなら、それなりにやっていける。そう思いかけていた。
だから、その呼び出しも、俺はわりと素直に良いものだと受け取った。
夕方、役人がアジト代わりの宿へやってきて、丁寧に告げたのだ。
「執政より、お呼びがかかっております」
褒賞の授与か、あるいは今後の処遇についての正式な話だろう。ここ最近の働きを見れば、悪い話のはずがない。
リリアが隣で笑う。
「きっといい話だよね」
「だったらありがたいけどな」
俺たちは軽く身支度を整え、執政の待つ建物へ向かった。
夕暮れの街は静かだった。王国の王都ほどの華やかさはないが、そのぶん灯りは低く、通りを行く人々の顔もいくらか明るく見える。石畳は踏み慣れたわけでもないのに、少しずつ足に馴染み始めている気がした。
暮れかけた空の下、執政の待つ建物だけが、街の灯りからわずかに浮いて見えた。尖塔の先に残った薄い光が、なぜかそこだけ少し冷たく見えた。




