第12話 なんでもない夜
その夜、アジトには妙に気の抜けた空気が流れていた。
その日は早々に依頼も完了し、明日に面倒な仕事が控えているわけでもない。机の上には酒瓶と、干し肉と、炙った豆と、どこから調達してきたのかよくわからない燻製肉まで並んでいる。こういう、何も起こっていない夜というのは、うちのパーティーではかえって貴重だった。
俺は椅子に腰を下ろし、向かいのガルドと杯を合わせる。
「お前、飲む時は本当に静かだよな」
「騒ぎながら飲むほうが馬鹿だろ」
「いや、そこは人によるだろ」
「馬鹿が多いって話だ」
ひどい言い草だったが、言われてみれば反論しにくいところもある。少なくともこのパーティーに関しては、飲みの席で静かにしていられる人間のほうが少数派だ。
とはいえ、静かにしていられない連中にも種類はある。
ぱたぱたと軽い足音がして、ラッキィが盆を抱えて現れた。酒瓶と小皿をいくつも積んでいる。危なっかしい持ち方だなと思った直後、案の定、皿の一つが端から滑った。
「おっとっとっと、大丈夫です」
大丈夫ではなかった。皿は傾き、中の豆が半分ほど机の上へ散る。
「全然大丈夫じゃねえだろ」
「まだ半分以上は助かってますから」
「基準がおかしいんだよ」
ラッキィは悪びれもせず、散った豆を指先で集めながらにこにこしている。こいつはこういうやつだ。本人なりに手伝っているつもりなのはわかる。わかるが、結果として仕事が増えることも多い。
そこへ、さらに横から明るい声が飛んできた。
「はい、レイ。これもどうぞ」
皿が置かれる。串に刺した焼き野菜だった。
「……ありがとう」
「どういたしまして。あ、そっちのお酒もう少し入れる? それとも次はこっちの果実酒にする? 軽くて飲みやすいよ」
「いや、まだそれ残ってるし」
「そっか。じゃあおつまみ追加ね」
言うだけ言って、リリアはくるりと踵を返し、台所のほうへ戻っていく。戻っていくのだが、戻っていく速さより、次に何か持って戻ってくる速さのほうが明らかに早い。
数息も経たないうちに、今度は胡椒の利いた木の実の炒め物を持って帰ってきた。
「今度はなんだよ」
「こっちはお酒進むやつ」
「さっきのもそう言ってなかったか」
「違うよ。さっきのは優しいやつ。これはもっと進むやつ」
「分類が雑すぎるだろ」
「細かいこと気にしないの」
上機嫌だった。
いや、上機嫌なのは前からそういう時もあったが、ここ数日はとくにそんな感じがする。こないだの一件から、何かが吹っ切れたような、妙な開き直りを覚えたような、そんな調子だった。以前よりも言動がいちいち遠慮なくなったというか、とにかくこちらの世話を焼くことに迷いがなくなっている。
別に悪いことではない。悪いことではないのだが、なんというか、落ち着かない。
ガルドが杯を傾けながら、じろりと俺を見た。
「おい」
「なんだよ」
「お前、顔が妙に緩んでるぞ」
「緩んでない」
「緩んでる」
「だから違うって」
そこへ、ちょうど新しい皿を置いたリリアが会話を聞きつけ、ぱっと顔を上げる。
「え、ほんと? レイ、そんなに嬉しい?」
「違う」
「違わないだろ」
「お前は黙ってろ」
「ふふん」
まるで勝ったみたいな顔をされた。何に勝ったのかは知らないが、たぶん本人の中では何かに勝っているのだろう。面倒なのでそこは流す。
ラッキィが机に散った豆を片付けながら、しれっと口を挟んだ。
「でも、ちょっと嬉しそうではありましたよ」
「お前まで乗るな」
「見たままを言っただけです」
「余計なんだよ」
「じゃあ次からは見なかったことにします」
「それはそれで怖いな」
「得意ですから」
「何がだよ」
そういうどうでもいい会話が続くあたり、本当に平和だった。
平和だったが、別方向の面倒はいつも通り視界に入る。
部屋の隅、ちょうど灯りの届きにくいあたりにある扉は閉じたままだ。扉の向こうには、例によってミアが籠もっている。
「ミア、また部屋か?」
「さっき見た時も閉じこもってたよ。あの人ほんと、たまにすごいこもるよね」
リリアが言う。
「前に聞いたことがある」
俺は酒を飲みながら言った。
「何してるんだって」
「なんて?」
「『神へ祈りを捧げています』」
リリアが一瞬きょとんとして、それから声を上げて笑った。
「え、なにそれ。本当に?」
「真顔だった」
「ミアさんって、そういうとこあるんだ」
「どうだかな」
俺は肩をすくめる。
守銭奴のくせに、そういうところだけ妙に僧侶らしいというか、信仰の名残みたいなものが残っているのだから不思議な女だ。もっとも、あいつの場合、神に祈ると言われても素直に厳かな情景が思い浮かばない。どうせ何か金の匂いがする儀式か、ろくでもないものだろうとしか思えなかった。
「祈るついでに、もうちょっと優しくなってくれたらいいのにね」
リリアが言う。
「それは無理だろ」
「即答なんだ」
「むしろ祈った結果あれなんじゃないか」
「救いがなさすぎるよ、それ」
ラッキィが空いた皿をまとめながら、小さくうなずいた。
「優しくなったミアさん、逆にちょっと怖いですしね」
「それはわかる」
「わかるんだ」
「想像できなさすぎるだろ」
そんなことを話していると、ガルドの背中のあたりでもぞりと影が動いた。
ミルルだった。いや、少なくとも俺の中ではそう呼ぶことは少ない。ミア、ミルル、リリアと、このパーティーは名前の頭が似たやつが多すぎる。だから普段の俺は、だいたい爺で済ませている。ガルドも似たようなもので、だいたい「爺さん」呼びだった。
その爺が、いつの間にそこにいたのか、というのはもはや今さらだが、それにしても近い。椅子に腰掛けてもいない。ほとんどガルドの背後に立ち、黒い法衣の裾を床に引きずりながら、何やらぶつぶつと呟いている。
最近になって気づいたことだが、この爺、妙にガルドのそばにいることが多い。
今までは単に立ち位置の問題かと思っていた。誰の隣にいてもおかしくないやつだし、風景の一部みたいに佇んでいることも珍しくない。だが、このところ何度か見ていると、どうもそうでもないらしいとわかってきた。気のせいかもしれないが、明らかにガルドのいる側へ寄っている時がある。
とはいえ、そこに深い意味があるとも思えない。せいぜい爺なりに懐いているのだろう。たぶん。
「お前ほんとガルドのそば好きだな」
軽く言うと、ミルルの仮面の奥から、ぎろりとした視線めいたものを感じた。
「鉄陰乃巣。余手指先、掻廻厳禁」
「何て?」
「要するに、うるさいってことだろ」
ガルドが代わりに答えた。
「わかるのかよ」
「最初は全然わからなかったが、まあ、それなりに長く一緒にいるからな。最近は雰囲気で何となくわかる時もある」
「それ、わかってるって言っていいのか?」
「半分くらいはな」
「半分もわかってるならすごいけど、信用していいのかは別だな」
「成立成就、会話也」
ミルルがさらに何か言った。
「そうか?」
「多分」
「多分で返すなよ」
だが、確かに嫌そうではあった。意味はわからない。わからないが、余計なことを言うな、くらいの気配はある。長い付き合いの中で身についた、あまり嬉しくない技能だった。
リリアがくすくす笑いながら俺の横に腰を下ろす。
「でも、ほんと最近だよね」
「何が」
「ミルルさんがそんな感じなの。前からかなって思ってたけど、なんかここ最近、前よりわかりやすいっていうか」
やはり他から見てもそうなのか。
少し安心しかけて、いや安心することでもないなと思い直す。爺が乱暴者の戦士に懐いているという事実に安心も何もない。
ラッキィが皿を抱えたまま首を傾げた。
「確かに最近です。前はもっと、誰の後ろにも同じくらいいた気がします」
「だよな」
「今はだいぶ偏ってます」
「偏ってるって言い方もどうなんだ」
「事実ですから」
俺は杯を空けて、なんとなく次の話題を探した。その流れで、本当に何気なく口にしただけだった。
「そういやガルドって今何歳なんだ?」
ガルドの動きが、一瞬だけ止まる。
「……何だ急に」
「いや、別に。ふと思っただけだよ」
「くだらねえこと考えてんな」
「いいだろ別に。で、いくつなんだよ」
ガルドは露骨に嫌そうな顔をしたあと、酒を一気にあおってから、ぼそりと答えた。
「四十は、いってねーけどよ……」
「結構いってるな」
「うるせえ」
「いや、思ったより上だったから」
「思ったよりって何だ」
「三十半ばくらいかと」
「大して変わんねえだろ」
「変わるだろ。そこ大事だぞ」
俺がそう言うと、リリアが妙に楽しそうに身を乗り出した。
「じゃあさじゃあさ、そろそろ身を固めたりしないの? そういう相手とか」
「お前まで乗るな」
「えー、気になるじゃん」
「気にならねえよ」
「私は気になるもん」
「お前が気になるのはまた別の話だろ」
そう返すと、リリアは平然と頷いた。
「うん。私はレイのほうが気になる」
「そういうことをさらっと言うな」
「だって本当だし。私たちはまだまだ若いしね。これから愛をもっと育んでいく時間がたっぷり――」
「ない」
「えー」
「ないって」
「即答」
「当たり前だろ」
俺はため息をつく。
こういう軽口は、最近のリリアにとってはもう呼吸みたいなものらしい。いちいち反応しても疲れるだけなのだが、無視したらしたで勝手に話を進めるので結局止めるしかない。
「そもそも俺たちはまだそういうのを焦る歳でもないだろ」
「そうかなあ」
「そうだよ。……というか、今はそれどころじゃないしな」
そこだけは、自然と少し声が落ちた。
“あれ”に言われたことを思い返す。世界を救えだの何だの、ふざけたような、ふざけていないような、あの無茶苦茶な命令だ。冗談で済ませられない以上、頭の片隅から完全に消えることはない。
リリアもその空気を読んだのか、一瞬だけ口を閉じた。
ガルドは面倒くさそうに鼻を鳴らす。
「どっちにしろ、俺の話だろうが」
「いや、そうなんだけどさ。お前もそろそろそういうの考えるのかなって」
「考えねえよ」
「即答じゃねえか」
「面倒だろ、そういうのは」
「夢も希望もないな」
「なくて結構だ」
「でも、ガルドさんって意外と世話焼きですしね」
ラッキィが口を挟む。
「そういう相手ができたら、案外ちゃんとしそうです」
「しねえよ」
「今のはちょっと想像できました」
「するな」
「似合うかどうかは別ですけど」
「余計だ」
その時だった。
ごと、と何かが鳴る。
見ると、ミルルが杖の石突きを床に軽く打ちつけていた。
動きそのものは小さい。小さいが、妙に気配が荒れている。仮面の奥から、ぶつぶつといつも以上に早口の呟きが漏れていた。
「鐘鳴未至。青実吊下、早刈厳禁。骨軋、土潜、若造埋却」
「怒ってる?」
リリアが素直に聞く。
「いや、わからん」
「でもなんか嫌そう」
「それはそう」
「年寄りいじりだと思ったのかもしれんな」
俺が言うと、ミルルの頭がこちらへ向いた。
「老木侮辱非也。愚鈍若造舌禍乃罪」
「何て?」
「もっと怒ってるのはわかった」
「そこだけは伝わるな……」
ラッキィが少し距離を取った。
「今のは近づかないほうがよさそうです」
「お前そういう察しだけはいいよな」
「危ない空気は大事ですから」
「何のためにだよ」
「生き延びるためです」
(いや、俺お前のせいで死にかけたんだけど……)
まあ、怒るのも無理はないのかもしれない。ガルドの年齢をいじっていたつもりが、ミルルからすれば、自分たち年寄り全体への雑な扱いに聞こえた可能性もある。下手をすればこの爺、ガルドの倍近く生きていてもおかしくない。そりゃ機嫌も悪くなるか、と思う。
とはいえ、このまま結婚だの年齢だのの話を続けるのも面倒だった。俺は杯を置き、前から少し気になっていたことを口にする。
「そういやさ」
「何だ」
「その顔の傷って、どうしたんだ?」
ガルドの左頬に走る跡を顎で示す。
目立つ傷だ。大きく裂けたというより、焼けた皮膚が引きつったような、そういう跡に見える。普通の喧嘩や剣傷とは少し違う。前から気になってはいたが、聞く機会がなかった。
ガルドは一瞬だけ黙り、それからあっさり言った。
「昔ちょっとな」
「その割に重そうな傷だな」
「ちょっとはちょっとだ」
「いや、絶対軽くないだろ」
「昔の話だ」
「雑だなあ」
だが実際、気にはなる。
魔物相手でこいつがそんな傷を負うところが想像しにくい。俺たちが組んでからこっち、少なくとも単純な正面戦闘でガルドが押される場面などほとんど見たことがなかった。魔物だろうが人間だろうが、普通に殴り合えばまず勝つ。剣を持たせても強いが、持たないほうがむしろ厄介なんじゃないかと思う時すらある。
そういう男の顔に、今も残る傷がある。
それが何によるものなのか、少し興味が湧くのは当然だった。
「火事とか?」
リリアが軽く言う。
その瞬間だけ、ガルドの視線が動いた。
「……まあ、似たようなもんだ」
「似たような、って何だよ」
「昔ちょっと火の中に入っただけだ」
「いや、それ全然ちょっとじゃないだろ」
「結果生きてるんだからちょっとだ」
「理屈が雑なんだよ」
リリアも呆れたように笑う。
「何それ。絶対無茶したでしょ」
「別に」
「した顔してるよ」
「してねえ」
ラッキィが素直に感心したように言った。
「火の中に入るのは嫌ですね。熱いですし」
「当たり前だろ」
「僕ならその時点で諦めます」
「お前の諦めは早すぎるんだよ」
「無理なものは無理ですから」
「そこだけ聞くと正論なんだがな……」
会話の調子は軽かったが、その間だけ、ミルルは不自然なくらい静かだった。
さっきまでずっとぶつぶつ言っていたのに、そこでぴたりと止まったのだ。俺は何となくそちらを見る。
仮面の奥の表情はもちろんわからない。わからないが、何かを思い出しているような、そんな沈黙に見えた。
「どうした、爺」
声をかけると、ミルルは少し間を置いてから、低く呟いた。
「火舎帰還者、灰纏終生」
「……何て?」
「知らんが、今のはさっきほど怒ってなさそうだな」
ガルドが言った。
「お前ほんと雰囲気で会話するな」
「最近はそれなりにわかるって言っただろ」
「それなり、が便利すぎるんだよ」
するとリリアが小さく首を傾げる。
「でも、ガルドってそういう無茶、しそうだもんね」
「まあな」
「助けに入るとか」
「知らん」
「知らんじゃないでしょ」
「昔の話だって言ってんだろ」
それ以上は話したくないらしい。ガルドは露骨に杯へ逃げた。こうなると何を聞いても同じだとわかっているので、俺も無理に追及しない。
ラッキィは空になった瓶を持ち上げて覗き込み、首をひねった。
「あれ、もうないです」
「お前が注ぎすぎたんじゃないか」
「そんなことは――たぶん、ないです」
「今たぶんって言ったな」
「気のせいです」
「便利だなお前のそれも」
代わりに干し肉を一つ口へ放り込み、俺は背もたれに体を預けた。
部屋の空気はまた緩む。
リリアは相変わらずこちらの皿が空くたびに何かを足そうとするし、ガルドは面倒そうにしながらも勧められた酒は飲む。ラッキィは空いた皿を下げたつもりで別の皿まで持っていってリリアに怒られ、ミルルはいつの間にかまたガルドの近くへ戻って、何を言っているのかわからない声でぶつぶつと何かを唱えていた。閉じた扉の向こうでは、たぶんミアが例の祈りだか何だかを続けている。
騒がしくて、統一感がなくて。
だが、そういう夜だった。
俺はもう一杯だけ酒を注いだ。
「珍しく平和だな」
「どこがだ」
ガルドが即座に返す。
「いや、血が出てないだけ平和だろ」
「基準が終わってるよ、レイ」
リリアが笑う。
「このパーティーにいるとそうなるんだよ」
「慣れって怖いねえ」
「怖いのは最初からだろ」
「でも今日は本当に平和なほうです」
ラッキィが言う。
「皿も一枚も割ってませんし」
「その基準も大概だな」
「大進歩ですから」
「前向きでよろしい」
誰ともなく笑いがこぼれた。
その夜は、妙に騒がしくて、妙にくだらなくて、まあいつも通りだった。
リリアはうるさく、ミアは部屋に籠もり、爺は何を言っているのかわからず、ラッキィは余計なことをしながら手伝ったつもりになっていて、ガルドは酒を飲んでいた。
しばらくは、こんな感じで何でもない日常が続くのでは、とすら思っていた。
この数日後、ガルドが貴族を殺すまでは。




