08
シアナは冬の間にシルヴィオに会えるかと母に訊いたが、この冬はクローデル家にシルヴィオが来る予定はないとのことだった。
来ないのであれば致し方ない。多少落胆はしたが、他にできることをしようと、空き時間は読書と生活魔法の練習に明け暮れた。
例の薄っすら黒い靄は、シアナが一人で生活魔法を練習しているといつの間にか傍に現れて、誰かが部屋に入ってくるといなくなる、ということを繰り返していた。
シアナが触ろうとするのは慣れたようで、逃げ回ったりせずに撫でさせてくれるのだが、ルークに見せるという目標はまだ達成できていない。
いつも自室にいる時に現れるため、シアナの部屋に棲みついているのかと思いきや、シアナが一人でいるなら場所は関係ないようだった。
書庫で独り魔法書を物色しながら、偶に消音の魔法を使っていると、いつの間にか靄が現れていた。
(魔法を使ってると出てくるってことは、魔力に反応してるとか……?)
それって何だか精霊のようだ、とは思うのだが、他の誰にも見せれていないので確証が持てない。
(精霊関係の本には、精霊の姿は色々で決まってないって書いてあったもんなぁ……)
せめて皆同じ姿をしているのであれば、この靄が精霊かどうか分かるのだが。
しばらく靄と戯れていたが、その靄がぴくりと反応し、何処かへと去っていく。靄の反応もだいぶ分かるようになったなぁと考えていると、書庫のドアが開いて誰かが入ってきた。
「――お嬢様、書庫にいらっしゃったのですね」
「ルーク」
一人なのだろうかとシアナがきょろきょろとしていると、ルークは「大旦那様はおられませんよ」と小さく微笑った。
「一人でお勉強をされてるのですか?」
「勉強というより調べものかしら?」
「調べものでしたか。今度は何を調べられているのですか?」
そう言いながら、ルークはシアナが開いている本を覗く。
「うーんと、鑑定の魔道具みたいな調べものに使える魔法がないかと思って」
「調べるための魔法、ですか……」
口許に手を当てるルークに、きっと変なことを調べている、とか思われてるに違いないとシアナは思う。
「魔法は精霊が起こす現象ですからね……鑑定の魔道具はかなり特殊な分類になりますから、似た魔法となりますと……」
ルークは更に難しい顔をする。
シアナも薄々感じていたが、精霊魔法は物理的な現象を起こすものがほとんどだ。知識やデータなどを扱う魔法は、精霊魔法では難しいのかもしれない。
「そうよね……」
シアナは小さく溜め息を吐いた。
「その調べるための魔法で、お嬢様は何を知りたいのですか?」
ルークの言葉にシアナははっとする。鑑定の魔道具について知りたがったり、鑑定魔法を探したり、ルークからしてみれば、シアナは不思議なことばかりしてるようにしか見えないだろう。
「えっと……」
シアナは軽く視線を逸らす。
前世の話も、乙女ゲームの話も、ルークにとっては信じられないだろうし理解もできないだろう。
だが、いつもシアナを気に掛けて調べものも協力してくれるルークに、嘘ばかり吐くというのも何だか嫌だと思ってしまった。
「あの、ね……」
前世だの乙女ゲームだのといった部分に触れずに話せる部分だけ話そう。シアナはぐっと手を握り締めた。
「ええと、何て言ったらいいのかな……夢、みたいなものを見たの……」
どくどくと、心臓が脈打ってくるのが分かる。
「私が大きくなった頃に、聖女様が召喚されてね、私は、王太子様の婚約者になってたんだけど、その、王太子様は聖女様を好きになって……それで、私は聖女様に嫉妬して、瘴気の沼と一緒になって最後には死んでしまうの……」
「それは……」
恐る恐るルークの表情を確認すると、ルークは呆気に取られた顔をしていた。やはり、いきなりこんな話を聞かされても、すぐには受け入れられないだろう。
「あ、えっと、夢だからルークには信じられないよね! でも、私は、本当にそうなるかもって思ってて……」
どくどくと鳴り続けている心臓。シアナは、ぎゅっと胸元を握った。
「お嬢様は、それを不安に思っていらっしゃるのですね」
うん、と小さく頷く。とりあえず、ルークの口から否定的な言葉が出てこず、そっと胸を撫で下ろした。
「ですが、そのことと調べるための魔法は、どのような関係が……?」
「ええと……夢のことは全部正確に覚えてるわけじゃなくて、だから、夢にちょっと出てきた人とか場所の名前とか、調べられたらなって思って……そしたら他のことも思い出して、夢みたいにならないように違うことができるかもしれないじゃない……?」
「なるほど……」
少しは納得してもらえただろうか。シアナは続ける。
「あのね、一番は、王太子様の婚約者にならなければいいんじゃないかなって思ってるの……」
「そう、ですね……お嬢様の夢の内容からすると、それが早いかと……ですがそれは、王家の方々が決めることでしょうから……」
それは分かっていると、シアナは頷く。
「うん……私が決められることじゃないよね……だから、他にも逃れられる方法がないか探してるの。たとえば、王太子様に嫌われたら、婚約者にならなくてもいいかもしれない、とか……」
「好き嫌いだけで決まるわけではないでしょうが、不仲なのは将来色々と影響が出そうですから、考慮はされそうですね……」
あの王太子なら好き嫌いで我が儘を言いそうだが、と思ったがそこは黙っておいた。
「王太子様の嫌いなものとか分かれば、嫌われるかもしれないでしょう? そういうのも魔法で調べられたらいいな、と思って……」
「お嬢様が調べたいことは、書物に載っていないような個人的なことが中心ですね……そうなると、本の精霊の力は借りられないかと……」
シアナの話をルークがどう捉えたのかは分からない。だが、分かる範囲で相談には乗ってくれるようで、シアナはじわりと胸の中が温かくなるのを感じた。
「やっぱりそっか……ルークは、別の方法って、あると思う……?」
「別の方法、ですか……難しいですね……そもそも私達が使う魔法は、精霊の力を借りますが、基本的にその内容は決まっています。と言って、理解できますか……?」
確認を取るようにルークが尋ねてくる。
「何となく、は……火とか水を出したり、あとは各属性の性質に合ったことしかできないって、ことよね……?」
「はい、その通りです。精霊は生き物の心を読み取ることができるので、魔力と引き換えに我々が望むことを叶えてくれます。ですが、それは精霊の性質に合ったことだけですし、それを伝える方法というのが一方的です。お嬢様の言う情報を調べる魔法では、どうにかしてこちら側が精霊の考えていることを読み取れないといけません。精霊が調べられたとしても、その内容を受け取れないという事態に陥ります。鑑定の魔道具は本当に例外的な魔法道具なんです」
「そっか、そうよね……」
そう頷きながら、シアナの頭の中には先程までここにいた靄の存在が浮かんでいた。
(あの子は、多分精霊なんだけど……)
あの靄が精霊であると確定したら、どうにかして協力を求められないだろうか。
「ルークは、精霊が見えたりする……?」
突飛な質問に、ルークは目を丸くした後、いいえ、と苦笑を見せた。
「残念ながら、私には見えません。見える人は、なかなかいないでしょうね……王国内でも一握りだと聞きました」
「そうなのね……ルークが見える人だったら、精霊ってどんな感じか訊こうと思ったのだけれど……」
「精霊のことでしたら、この書庫にもいくつか本があったと思いますが……」
「ええ、少しは読んだわ。でも、精霊の姿は決まってないって書いてあったから……あのね、生活魔法の練習をしてると、近くに黒っぽい靄みたいなものが出てくるの。前に、ルークに見せようと思ったのだけれど、いつの間にかいなくなってて……」
その後も何度か見せられそうな機会があったが、誰かが来るとすぐに逃げててしまうことを伝えると、ルークはなるほど、と頷いた。
「精霊は基本的に親和性のある魔力の持ち主の周りに集まっていると言われています。逆に、親和性がない魔力の持ち主からは逃げることもあるとか。私は光属性を持っていますから、お嬢様の闇属性とは真反対ということになりますね。それで逃げてしまうのかもしれません」
「じゃあ、ノーラだったら見せれるかもしれない?」
ルークは首を横に振る。
「ノーラは恐らく精霊を見ることはできないでしょう。精霊を見ることができる人物は希少なので、魔法研究所から勧誘されるのだとか。ノーラは仕事を探していましたから、精霊を目にすることができるのであれば、まず間違いなくそちらに行ったかと」
「そっか……」
「それにですね、お嬢様、火属性は光属性に近い属性ですから、闇属性の精霊は逃げる可能性が高いですし、そもそも、自身が持っていない属性の精霊は、たとえ精霊が見える人間でも目にすることができないと言われています」
「えっ、そうなの……? 私、鑑定の魔道具が使われてる時にも何かが動いてるのが見えたから、あれもてっきり精霊かなと思っていたのだけれど……」
「鑑定の魔道具もですか……?」
「姿がちゃんと見えたわけではないけど、こう、一部だけ揺らいでて、それが動いていたの」
ルークは口元に手を当てて何やら真剣に考える。
「本の精霊についてはまだ不明な点が多いですが、そもそもが木の精霊から派生しているのであれば、お嬢様にそれらしきものが見えたのにも説明がつきます。木の精霊は土の精霊と水の精霊に関係していると言われていて、お嬢様は水属性もお持ちですから」
そうだった、とシアナは思い出す。シアナの魔力はランクⅣの水魔法が使える程度には、水属性と親和性があるのだ。
「お嬢様は恐らく、精霊が見えているのだと思います」
ルークのいやに真剣な声がシアナの耳に突き刺さった。
精霊が見える人間は希少だというから、喜ばしいことではないのかと思っていたが、本当に喜んでいいのか、シアナは分からなくなってしまった。
薄っすら黒い靄は精霊の可能性が高いと分かり、シアナは靄と仲良くなれるよう努めた。
魔法には精霊の協力が必須であるため、精霊と仲良くしていて損はないし、その内鑑定魔法に繋がる何かを掴めたら、という下心もある。
とはいえ、意思疎通もままならない相手であるため、指でつついたり転がしたりと、半分ペットのような状態だ。
その内、呼び名があった方が便利ではないかと思い、クロ、と呼ぶようになった。とても安易な名前だが、クローデル家にも“クロ”が入っているから、ちょっとお揃い、ということでいいだろうと勝手に納得した。
そうして魔法の練習をしたりクロと戯れたりしている内に、季節は春になっていた。
「――い、嫌です! 王都になんて行きたくありません! エリアスと一緒にお邸にいます!」
春は過ごしやすくていいな、などとのんびり過ごしていたシアナだが、そろそろ社交期だから王都に行くと言われ、声を大にして叫んだ。
準備をする前に一言あるだろうと期待していたが、この年頃の子供は本人の意思など関係なく両親に連れ回されるのが当たり前だという現実を失念していた。
最近邸の中が少し慌ただしいと思えば、まさか王都に向かう準備をしていたとは。
明後日には領を発つから持っていきたいものがあれば準備をするように、と言われ、シアナが焦ったのは言うまでもない。
「シアナ、この時期は、貴族は皆王都に行くのが普通なんだよ」
父アルフレードの言葉に、そんなもの知るか! とシアナは心の中で叫んだ。
「私はまだ子供です! エリアスだって行かないじゃないですか!」
「エリアスはまだ礼儀作法の勉強が途中だからね」
「私だってまだ礼儀作法の勉強してます!」
「シアナはもっと上手になるように勉強してるんだよ。エリアスはまだ基本を勉強している最中だ」
他に良い言い訳が思い浮かばなくなり、シアナは顔を蒼くする。
「ぜ、絶対嫌です……」
「王都に行けば新しい友達ができるかもしれないよ? それにほら、去年王太子殿下ともお会いしただろう? もしかしたら今年もお会いできるかもしれないし」
それが一番嫌なのだ、とシアナは顔を引き攣らせる。
何故今そんな話を持ち出してくるのだ。もしかしなくとも、既にそういう話が挙がっているということなのか――。
冗談ではない、とシアナは必死に首を横に振る。
「嫌です、そんなものいりません、会いたくなんてないです……!」
そう言い切って、逃げるように踵を返す。
(なんで、ちゃんと候補から外れるように、王子をコケにしたことは否定しなかったのに……!)
多少の言動の不味さなど関係なく、公爵家という理由で候補に残っているのだろうか。
その可能性はもちろん捨ててはいなかったが、こうして周囲から話を聞かされると、逃げられない何かが絡みついているような気がして、怖気が奔った。
どうやったら王都に行かないで済むのか、シアナは食事もほとんど取らずに部屋に引き籠って考え続けた。
ああでもない、こうでもない、と尤もらしい理由を探している内にどれくらい経ったのか。
頭はほとんど動いていないし、酷く眠いのに、出立が間近に迫っていると思うと不安で目を閉じても眠れない。
ようやく眠りにつけたのは――といっても、ほとんど意識を失うのに近かった――閉められたカーテンの向こうがほんの少し明るくなったような気がしてからだった。
そうして眠れたと思ったのも束の間、いつもと同じ時間にノーラに起こされ、シアナはベッドから出ざるを得なくなった。
寝不足なのはシアナ自身も自覚しているし、傍目に見ても分かるだろう。朝食の席で両親はシアナの寝不足を少し気にしたがそれだけだ。体調を崩さないように今日は早く寝なさいと言われるだけで終わった。
寝れるものならちゃんと寝たい、とシアナも思ったが、不安がずっと渦巻いている状態で眠れるわけもない。
ぼんやりとする思考で、王都行きを逃れる方法を考えていたら、翌朝には本格的に体調を崩していた。
シアナは、これ半分は知恵熱じゃない? なんて思いもしたが、この世界に知恵熱という概念があるのかは定かではない。
が、熱があることには変わりなく、流石にこんな状態で王都まで旅をするのは無理だと、今年のシアナの王都行きは免除されたのだった。
ノーラから両親が二人だけで邸を発ったと聞き、シアナはほっと息を吐いた。
寝不足の間は辛くて仕方なかったが、風邪みたいに喉が酷く痛むということもない。熱があるからゆっくり寝ていいと言われているし、これはこれで良かったのではないかと、シアナはゆっくりと目を閉じた。
心に余裕があるというのは素晴らしいことだ。
熱は一日で引いてしまい、シアナは晴れやかな気持ちで日々を過ごしていた。
勉強の時間は変わらず確保されていたが、両親がいなくなって寂しがったエリアスがちょくちょく部屋を訪ねてくるのがまた可愛い。
これまでも時間が合う時には一緒に遊んだり、本を読み聞かせしてあげたりと構っていたのだが、ここに来て更に頻度が上がった。
「――ねーさま、きょうはこのごほんをよんでください!」
侍女に選んでもらっただろう本を抱えてやって来たエリアスを、シアナは満面の笑みで迎える。
最近のエリアスは、シアナの読み聞かせに触発されたのか、本を読んでもらいながら簡単な文字を覚えるということにご執心だ。
まだ四歳で文字の読み書きを勉強するには少し早いらしいが、エリアスは既に簡単な文字のいくつかを覚えて読めるようになっている。
母親似でおっとりした顔立ちだが、自分よりも優秀なのではないか、とシアナは感じ始めている。
(いくら優秀でも、私が瘴気の沼と同化して討たれるようなことになったら、周りからの評判は落ちるよね……)
可愛い弟のためにも、是が非でも自分の運命を変えてやるのだとシアナは意気込んでいた。
(今年はどうにか王都行きも免れたし、来年からもこの調子で回避したいな……)
都合よく体調を崩せばいいのだが、毎年そんな都合のいいことは起こらないだろう。今の内に王都に行かなくていい理由を探しておかなければ、と考えていたのだが、事態はそう簡単に運びそうもなかった。
(ここまで来るのに何故こんなに字数が増えてしまったのか……)
お読みいただき、ありがとうございます。
評価やリアクション等もありがとうございます。




