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2-0

高い天井と石壁に囲まれた広間は、静寂そのものが形を持ったかのように重く淀んでいた。

列席するのは宗令院の老臣、軍将、記録を取る書記官たち。

彼らの視線は、揃って中央に立つ男に突き刺さっている。

彼はただひとり、冷たい石の床に影を落としながら佇んでいた。


「ヴァルティス収容地における騒擾。暴動の鎮圧に際し、重火器の使用を許可されたのは殿下だと証言が上がっております。」


「わたしは無力化を命じただけだ。殺せとは言っていない。」


「ですが、結果はどうでしょう。収容地の一角は火砲で薙ぎ払われ、多数の死者が出ました。」


「預かり知らぬところで暴走があった。」


「それを裏付ける証拠が見当たりません。また、殿下は鎮圧の責任者を処罰なさいました。口封じではありませんかな?」


「違う。」


「ならば、なぜ処罰をなさった?」


「許可なく重火器を使用して被害を広げた。その責任を取らせたまでだ。」


「本当のところはどうなのでしょう。死人に口なし、とでも言うべき状況にも思えますが。」


「では逆に問う。わたしが許可をしたという証拠はどこにある?」


「現場では逐一書類を交わさぬことは、よくご存じのはず。証言は一つではありません。複数の将校が口を揃えているのです。」


「断じてわたしは命じていない。」


「では、この裁可を下したのは、いったい誰だと?」


「わたしが望んだのは、暴動を鎮めることだけだった。捕虜を虐げ、虐殺するなどあり得ない。

理を保つためにこそ、指揮を執ったのだ。」


声は虚しく響くだけで、誰も頷かない。

沈黙が有罪を告げる判決文のように、重く広間を覆っていた。


「では次に、捕虜移送の件。

殿下の命により、捕虜たちは山間百里を徒歩で行軍させられたと記録されています。

食料も水も欠乏し、倒れた者は救助されず置き去りにされた。

結果、数千の捕虜が命を落としました。これは事実でございますね。」


「わたしの命令は、馬車や荷車を用いて休養を取りながら安全に移送せよというものだった。

物資不足の中、前線各隊および周辺地域から徴発した食料や医薬品を持たせていたはずだ。」


「ですが実際は、飲まず食わずの徒歩行軍でした。さらに、倒れた者の救助義務は負わなくてよいとまで。」


「ローデヴィヒ卿に命じた内容と異なっている。」


「残念ながらローデヴィヒ卿は帰らぬ方です。確認のしようがございません。

ですが、移送を引き継いだクラウゼ卿が保持していた命令書には『遅滞なく移送せよ』と記載がある。

その命令書には、殿下の署名が確かにございます。」


「偽りだ。わたしの筆ではない。」


「印璽も残っております。」


「断じて違う。」


査問官は鼻で笑い、手元の記録を掲げてみせた。


「では、クラウゼ卿に直接お尋ねしましょう。」


場内にざわめきが走る。

やがて証言台に、一人の幕僚が進み出た。

捕虜の移送を途中から引き継いだクラウゼ卿本人である。

彼は証言台を見やったが、部下は気まずそうに目を逸らしてしまった。


「クラウゼ卿。捕虜移送の件、この命令書はローデヴィヒ卿から託されたものに間違いありませんか。」


「……はい。卿がお亡くなりになる直前、小官に託されました。」


「ローデヴィヒはなぜ死んだ。」


彼の声が低く響く。


「捕虜の一人に襲われたのです。水の一滴も与えられぬ行軍では……そうなることは、自然でしょう。」


「ではなぜ貴官は生きている。」


「それは……」


言いよどむ言葉を、査問官が遮った。


「殿下。ここは査問の場です。立場をお忘れなきよう。質問は我々が行います。」


彼は声を荒げる。


「おかしいではないか!

命令を出した本人が否定している。

命令を受けた者は死に、残された命令書は最初のものと異なっている。なぜだ!」


「随分とご記憶が曖昧なようだ。」


査問官の声は冷たい。


「何を仰ろうとも、こうして記録は残っております。この場でなお、偽りを重ねられるおつもりですか。」


「クラウゼの提出したその証拠こそ、偽りである。」


「印璽まであるのに、まだそのようなことを。」


「精査せよ、その印璽は本物か?」


クラウゼ卿が口を開いた。


「重ねて申し上げます。ローデヴィヒ卿が息絶える直前に託された命令書は一通のみ。それが今、皆様のお手元にあるものにございます!」


視線が刃のように突き刺さる。

彼の立つ場所だけが、冷たく切り離された孤島のように時を止めていた。

声を上げても、もはや石は盤上を転がらない。


彼は悟った。

これは誤解でも偶然でもない。

最初から自分を陥れるために張り巡らされた罠だったのだ。


誇りが崩れ落ちてゆく。

支えとなっていたものが、急激に形を失っていった。

その残骸が、静かに心の底へ降り積もってゆく。

※言い回しを少し変えました。

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