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2-15

離宮の一室。

執務室と化したその空間には、ろうそくの灯だけが静かに揺れていた。


帰還の報もなく、凱旋の式もない。

表の舞台から、静かに幕の裏へと退いた。

誰に命じられたわけでもない。

ただ、そうするしかなかったのである。

表向きには「療養」とされていたが、実際には公務の場に顔を出すことすら避け、黙々と戦後処理に追われる日々だ。


功はすべて、バラウド将軍に譲られた。

信号灯の焼失を理由に、戦の価値そのものに疑義が向けられたのだ。

だが──それでよい。

名など要らぬ。ただ、果たすべき責がある。


机上には、うず高く積まれた文書の束。

戦没者名簿、負傷兵の診断報告、叙勲の具申、恩給申請、慰労金の精算書。

いずれも本来であれば、官庁に回して処理されるはずの事務仕事である。

だが彼は、それら一つ一つに目を通していた。


「これでは、とても足りぬな。」


誰に聞かせるでもなく呟きながら、筆を手に取る。


帝国名義の支給書に、自らの私印を添える。

名目こそ「戦功に対する褒賞」だが、国からの支給額は形だけを整えた程度にすぎなかった。

あまりに薄いその補償に、彼は黙って私費を重ねていた。


恩賞一覧の末尾に視線が止まる。

ある若者の名が目に入った。

古傷を庇いながら戦い抜き、最後まで持ち場を離れなかった兵士。

その家は小作農で、母と妹が病床に伏していると聞いた。


せめてもの足しに。

心の中で呟き、書類の金額を訂正する。


これもすべて、自分がうまく立ち回れなかったせいだ。

戦功が正しく認められていれば、もっと手厚い恩賞を受けさせてやれた。

信号灯の焼失を口実に港奪還の戦果が覆されたことが、今なお尾を引いている。

その皺寄せは、何の罪もない部下たちに向かうのだ。

戦い抜いた彼らが国から冷遇されるなど、あってはならないはずだった。

己が受ける非難などどうでもよい。

だが、命を懸けて戦った彼らに報いることさえ叶わぬのなら、その責は他でもない自分が負うしかないのだ。


光の届かぬ帳の中で、ひとり黙々と筆を走らせる皇子の姿。

窓外の闇は深く、物音ひとつ聞こえない。

燭台の火は揺れながらも、彼の影だけをかすかに照らしている。


部下たちへの配慮と並行して、彼は捕虜となった将校らの処遇にも目を向けていた。


港の戦のあと、捕虜の一部は帝都へと移送されることとなり、シアトリヒがそれを担う。

対象は主にベル・トラーナの高官や指揮官級の者達。

移送にあたっては虐待や不手際が起こらぬよう、監督や看護に人手を割き、食事や休憩にも配慮を重ねた。

敵であっても投降を受け入れた以上は保護すべき対象であるという認識が、彼の中にはあったからだ。


だが、そうした措置を無にしかねない声が、帝都で広がりつつあった。

戦中の行動を理由に、一部の捕虜を「見せしめとして公開処刑すべきだ」とする意見である。

拡大すれば、抑えの利かぬ方針へと変質してしまう。

それを未然に防ぐため、彼は嘆願書を添えた処遇確認の文書を作成した。

捕虜としての立場が法に照らして扱われるよう、また節度を保つ姿勢が文書上にも明記されるように──形式にすぎない一通ではあるが、手を打つことにしたのである。


昼過ぎ。

その綴じ帳を持参し、文書局へ提出した。

応対に出た局員は、第一皇子自らが足を運んだことに驚きを隠せない様子だったが、特に何を語るでもなく淡々と書類を差し出す。

こればかりは、他人に任せるわけにはいかないのだ。

過去に受けた汚名──それを否定する機会すら与えられなかった記憶が、彼を動かしていた。


提出を終えると、彼はそのまま来た道を戻った。

共を連れずに歩いていることをエルハルトに知られたら、一言あるに違いない。

そう思って足を早めていたが、宮殿の出口で歩みを止める。


彼女よりも先に、こいつの顔を見ることになるとは。


渋々首を垂れ、道を譲るために脇に逸れた。

足を止めてくれるなと胸の内で祈りを捧げるが、願いも虚しく彼は目の前に立つ。


「兄上……お帰りなさいませ。」


足を止めたナイジェルは、口元に薄い笑みを浮かべながらも凍てついた光を眼差しに宿していた。

人目があることを意識して、シアトリヒも表面上の笑みで応じる。


「皇太子殿下にご挨拶申し上げます。戻ったにもかかわらず、ご挨拶が遅れましたこと、どうかご容赦を。」


「此度の戦のご活躍、伺っておりますよ。」


ナイジェルの声色は柔らかい。


「たった一晩で形勢をひっくり返してしまわれたとか。

さすがは兄上。軍神の寵児と呼ぶにふさわしい采配です。」


「運が良かったようです。」


「軍艦すら翻弄されたというのに、ご謙遜を。

艦砲の脅威もものともせず、しかも司令官自ら陣頭に立って指揮をされたとか……勇猛というか、無謀というか。」


「対応できる者がいなかっただけです。」


一拍置き、シアトリヒは口元に冷たく引き結んだ線を描いた。


「ああ、軍艦といえば……アルマーレ港に軍艦を派遣できないかと、出立前にアヴァロアの軍港に打診を入れていたのですが。

あいにく“航海に出ている”とのことで、派遣は叶いませんでした。」


「それは初耳ですね。」


ナイジェルは目を見開いている。

しかしシアトリヒにはかえって白々しく映った。


「理由は“南西航路の海賊掃討に伴う定期哨戒”でしたか。

あの航路は、たしか皇太子殿下が管轄を掌握しておられたと記憶しております。」


「確かにそうですが、派遣の件までは把握しておりませんでした。

裁可を通した責任者に確認してみましょう。」


「今後のためにも、ぜひご確認いただけますと助かります。

……南西航路により近い軍港が他にもあるはずですが、何故アヴァロアが選ばれたのか──少々、理解に苦しみまして。」


この男は、こういうとき決して尻尾を見せない。

白を切りながらも、あくまで正論の衣をまとい、自分の非は一滴も垂らさぬように立ち回る。

——食わせ者め。

シアトリヒは笑顔の奥で、そんな毒を飲み込んだ。


「それよりも、報告書を読ませていただきました。夜のうちに内部に侵入して、敵の中枢機能を崩されたとか。」


「細かいところまで、よくご存知で。

敵の防衛線を崩すに正攻法では不利と判断し、夜襲で裏を掻いたまでのことです。」


「知恵を絞り、的確に急所を突かれたのですね。実に見事だ。」


ナイジェルの笑顔は相変わらず崩れない。

いいだろう、どこまでも付き合ってやる。


「今回の作戦にあたり、わたくしの方からも幾人か推薦させていただいたのですが……その者たちは、お役に立てましたか?」


「殿下のご配慮に、改めて感謝申し上げます。

有難いことに、彼らはわたくしの手足となってよく働いてくれました。

その働きがあって、作戦の要となる拠点を確保することができました。」


「兄上は、本当に人材を見極める目をお持ちですね。こちらも……推薦した甲斐がありました。」


そう言いながら、ナイジェルはふと視線を伏せる。

そして、しおらしく言葉を継いだ。


「実は、あまり役に立っていないのではと懸念しておりましたので。」


「とんでもない。」


シアトリヒは首を振ってやる。


「アイブリンガー隊は滞りなく補給を指揮し、物資の面で不足なく前線を支えてくれました。

また、バッハマン中佐は、帝都との連絡経路の維持において欠かせない働きを見せてくれました。

いずれも、殿下のご推薦あってこその成果と感じております。」


「それを聞いて安心しました。

実は、首脳部からは“長期戦になるだろう”と聞かされておりまして。

そうした局面において調整力に優れたヘルツベルク少将を、わたくしより推薦させていただいたのです。

結果として急襲戦に切り替えた形となりましたので、やや筋違いの人選だったかと気にかかっておりました。」


ほら、来た。やっと本題か。

シアトリヒは口元に苦笑いを浮かべた。


「ヘルツベルク少将には、作戦中の重要拠点の制圧をお願いしておりました。」


「重要拠点の制圧を、ですか?」


「ええ。火薬庫と信号灯。

どちらも、港の制圧には欠かせない地点です。それらの確保を、一任いたしました。」


「それは予想外の役回りですね。彼には少々、荷が重かったのでは?」

 

「いえいえ。皇太子殿下のご推挙をいただいた優秀な人物です。

必ずや制圧してくださるものと信じ、配置させていただきました。」


ナイジェルの表情に複雑な色が差す。


「いかがなさいましたか?」


「……ああ、いえ。

戦死なさったと伺いましてね。無理をされたのではないかと、少々気になりまして。」


「予想外に敵兵の抵抗が激しかった場所でしたから。奮戦なさったのに、残念でなりません。」


その言葉の後、冷たい風が吹き抜けたような沈黙が落ちた。

互いを探るような眼差しが交差する。

物音さえ耳につくような静けさが、場の緊張を高めていた。

そして──間を断ち切るかのように、低い笑い声が湧き上がる。


「ねえ、本当のことを話してくださいよ、兄上。

信号灯の火災と関連があるのはわかっているのですよ。」


シアトリヒもまた、これまでの丁寧な物腰を脱ぎ捨て、挑むような目でナイジェルを見据えた。


「ふ……そなたにとっても、都合の悪いことかもしれぬぞ?」


ナイジェルは片眉を上げ、口元だけで笑った。


「ということはつまり──

兄上が、彼の死に何らかの形で関わっておられる、と受け取ってよろしいのですね。」


シアトリヒは無言のまま、じっとその顔を見据える。

視線を受け止めたナイジェルが護衛に下がるよう合図を送り、廊下は二人だけになった。

静まり返った空間に、互いの眼差しが鋼のようにぶつかり合う。

呼吸の間隔さえ、今は相手を探るための駆け引きに変わっていた。


「実は、彼の部下から正式な調査を求める文書が出ています。少将は戦死ではないと。」


「なるほど。」


言葉を選ぶ余裕など不要だと悟ったシアトリヒは、口元に孤を描いた。

薄く口角を持ち上げた微笑みは、氷の刃のように冷たく澄んでいる。


「結末が見たいならば止めはせぬ。だが、それが賢い選択とは限らぬぞ。」


「どういう意味です?」


「そなたの顔を潰さずにいてやっていると言えば、分かるか?」


ナイジェルの顔から温度が消える。


「ヘルツベルク……あの男は、何をした?」


「ふふ、あの自己顕示欲の塊は自滅した。」


「何?」


「どこまでも迷惑な奴だったな。終始反抗的で、作戦にも非協力的な態度を崩さなかった。

そればかりか、己の無能を覆い隠すために信号灯に火を放った。」


眼差しがさらに鋭さを増す。


「あまつさえ命令無視の責任を追求すれば、開き直って抗弁をする始末だ。」


「それで、兄上が手打ちにしたというのか?」


「いや、わたしは軍法会議にかけるつもりだった──穏便にな。」


「だが、あの男はそれすらも我慢ならなかったようだ。

逆上してわたしに斬りかかった。

その結果、止めに入った近衛と揉み合いになり、致命傷を負ったのだ。」


「……」


「皇族への暴挙は、“帝国律”において最上級の罪──すなわち叛逆と同義である。

本来であれば、その場で処断されてもおかしくはなかったが、名誉のために“戦死”として処理してやったのだ。」


シアトリヒは視線を逸らさぬまま続けた。


「さて、そなたは、どんなつもりで奴を寄越したのか。

ぜひ、聞かせてもらいたいところだ。

奴を罪に問えば、その一部は推薦した者にも及ぶ。それでも、調査とやらを進めるつもりか?」


「あの、野郎……」


奥歯を噛みしめる音が響いた。

その瞳の奥に怒りとも屈辱ともつかぬ濁りが浮かんでいる。

シアトリヒはその変化を、まるで硝子越しに眺めるような無機質な視線で追っていた。

何の感情もなく、ただ目の前の現象を記録するかのように。


しばし間を置いて、押し殺した声が吐き出された。


「不愉快だが……今回は兄上の意向に従うことにしましょう。」


そう言うナイジェルの顔には、覆いきれぬ思惑の色が滲んでいる。

この件を何かに利用する腹づもりだったことを、シアトリヒは察していた。


「その方が賢明だ。

むやみに首を突っ込めば、思わぬところで噛みつかれるかもしれんぞ。

なにしろわたしは、陰で狂犬と呼ばれているらしいからな。」


自嘲のつもりだった。

だが、ナイジェルには違う意図に聞こえたらしい。

彼の表情がみるみる歪んでいった。


「ふん、犬ならば大人しく鎖につながれていればいいものを。」


忌々しげに吐き捨てる。


「貸しを作ったと思うなよ。必ず吠え面をかかせてやる。」


「そっちこそ、いつも蹴られてばかりだと思わないことだ。犬とて牙を剥くことがある。」


「檻の中で飼い殺しにされているだけのくせに、狂犬とは笑わせる。駄犬の間違いではないのか。」


黙したまま、ただ視線を向けた。


「躾が悪ければ処分される。餌が欲しければ、尻尾でも振っていることだ。」


弟の嘲りを真正面から受け止めながらも、否定の言葉は出ない。

シアトリヒは口元だけで笑った。


「犬が怖いのか?

だが恐れるには足りず。そなたの言う通り、所詮は飼い主には逆らえぬ駄犬だ。

ならばいっそのこと、吠え面などと言わず、撃ち殺してしまえばいい。

檻から出られるのであれば、それもまた犬にとって悪くはない。」


それだけを言い残し、ゆるやかに踵を返す。

背中を振り返ることなく、廊下の奥へと歩み去った。

その瞳の奥には、己の無力を飲み下す影が差している。


飼い殺しにされても文句ひとつ言わない──否、言えない自分は、言われるまでもなく駄犬だ。

苦しいと知りながらも誇りに縛られ、侮られることにも甘んじている。

誇りを抱いたまま生きるべきか、それとも全てを擲って逃れるべきか。

自分が何を求めていたのかなど、もう分からない。見えもしない。

今はどちらも選べぬまま、ただ泥の中に沈んでいるだけだ。


命など惜しくはないはずなのに、なぜ自分はまだ生きているのか。

死ぬ覚悟も、生き続ける理由も持てぬまま、半端な生をただ引き延ばしている。

そして、その半端さが自分を蝕んでいることを知っていた。

さらに苦しいと思うこと自体が苦しい。

それは此の期に及んでなお、救われたいと願っている証だからだ。

助けを求めれば誇りは傷つき、その傷がまた誇りを軋ませる──終わりのない輪の中に閉じ込められている。

自分で死を選べぬのなら、もういっそ誰かが終わらせてくれればいい。

そうすれば……楽になれる。

でもそうしてしまえば、あの娘は。

あの、可哀想な罪人の娘は……


「──会いたい。」


ぽつりと零れた想いが、胸の内で波紋を広げていく。

その輪は幾重にも重なり、やがて彼の全てを覆い尽くした。

彼女に会いたい──その衝動が、すべての感情を押し流してゆく。


彼の足は宮殿東区画へと向かっていた。

その行き先は、宮殿の内務全般を担う者たちを束ねる長の部屋──内廷維持局の奥にある一室である。


「あなた様は……」


「女官長は在室か。」


先触れも付けず、こんな訪れ方をするなど、礼儀を弁える者ならあり得ぬことだろう。

けれど、彼女なら咎め立てよりも先に事情を察するはずだ。


「こ、困ります。まずは取次を。」


「わかっている。だが今は──」


「お言葉ですが、たとえ殿下といえど、順序を踏んでいただかねば。」


衛士と短く言葉を交わすその背後から、落ち着いた声が響いた。


「構いません。お通しして。」


衛士が脇へ退くと、扉が静かに開いた。

現れたのは、背筋の通った壮年の女性だった。

見る者に厳しさを予感させるその顔立ちは、外見どおり一切の妥協を許さぬ気配を帯びている。


女官長──宮殿の女官を束ねる頂点に立ち「生ける規則」の異名を持つ人物だ。

宮殿の女官の頂点ゆえに厳しいのは当然かもしれないが、その厳格さは年季が入り、女官長となってからはさらに貫禄が増した。

笑顔ひとつ見せず、仮面のような表情を崩さない。

そして訪問者が皇子であっても物怖じすることもない。


「殿下。先ぶれもなく訪れるなど、礼を欠いておられますよ。」


無表情のまま告げられるその声音は、淡々としていながらも有無を言わせない。

幼い頃から幾度となく小言を浴びせられてきたその響きに、シアトリヒは自然と背筋を伸ばしていた。


「無礼を許してください。ですが、どうしてもあなたに話がしたくて。」


「いかがなさいました。」


「少しだけ手を貸していただけませんか。女官長にしか頼めぬことです。」


無表情に揺らぎが走った。

仮面のように無機質だった表情が、ひと呼吸分だけ緩んだように見える。


「殿下は、いつもそうしてわたくしを困らせる。」


「ええ、そうでしょうとも。昔から。」


女官長は眉尻を下げ、静かにため息を吐いた。

そして再び顔を上げ、正面から彼を見据える。


「承りましょう。」


この顔を見ればわかる──仕方がないと内心で思っているに違いない。

昔からそうだ。

小言は言われるが、協力してくれる時の顔なのである。

表面だけを見ていれば、その本質を見逃してしまう。

仮面のような無表情で恐れられている人でも、情に篤い一面を持っているのだ。


「宮務課所属の女官、ルナリア・プレセア。

その者に写本局の古文書室へ向かうよう、取り計らっていただきたい。」


女官長は、皇子の口から特定の女官の名が出るとは思っていなかったのだろう。

珍しく、瞬きの間に驚きの色が浮かぶ。


「あなた様のお名前で呼び出せば、たやすく叶いましょうに。

わたくしを介する必要がございますか?」


「事情があるのです。

シアトリヒという名では、少々都合が悪い。」


名を出せぬという言葉に、女官長の表情が固まった。

やや長い沈黙ののち、瞳の奥に理解の色が滲んでいく。


「御名を名乗らず、ですか。」


シアトリヒは答えを返さず、唇の端を持ち上げる。

笑みとも諦めともつかぬその表情は、返答以上の意味を含んでいた。

女官長はそれ以上の質問は重ねず、静かに首を垂れる。


「かしこまりました。」


やはりこの人は、人の機微を見抜く。

多くを語らずとも、必要な答えに辿り着く。

その聡さが、時にありがたくもあった。


「では、お願いします。くれぐれもわたしの名は出さぬよう。」


踵を返しかけたシアトリヒを、女官長は呼び止める。


「殿下……」


短く呼びかけたのち、そこで言葉を飲み込んだ。

シアトリヒは彼女の様子を視線で追ったが、すぐに笑顔を返す。


「あなたの懸念は理解しているつもりです。

ですが、わたしにとってそれは大した問題ではないのですよ。

たとえそれがいつか首を絞めることになったとしても……それもまた、わたしの道なのだと思うのです。」


今さら惜しむものなどなかった。

どうせ自分の進む先は廃墟に過ぎず、何もない。

取るに足らない人生。

ならば、優しい人の為に生きて終わりにするのもありだろう。


「似た影を抱く者を求めてしまうのは、人の常かもしれませんね。

愚かと知りながらも、その性には抗えぬと実感するばかりです。」


女官長はなおも心配そうな面持ちを崩さなかったが、何も言わなかった。

シアトリヒは今度こそ踵を返し、扉の外へと去ってゆく。

そして彼は、古文書室へと向かったのであった。

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