第5話−6
「性欲は、本能だって言われるよね」と、私は話を始めた。
「そうだね」
「俺は、この本能説が嫌いだ」
「なんで?」
「考えることを放棄してるから」
「それ、わかんないんだけど・・・」由紀子ちゃんが困っているのがわかった。
「ほら、よく食欲性欲睡眠欲っていうでしょ」
「うん。聞いたことある」
「この三つは、人間の本能だと昔から言われてる。動物と同じだって」
「そうなんじゃないの」由紀子ちゃんは、クラッカーを口の前で止めて直人を見た。
「でもね。よく考えると、食欲も性欲も睡眠欲も、ものすごく人間臭いんだ」
「人間らしいってこと?」と、由紀子ちゃんは言い直した。
「そうだね。同じご飯でも、床にばら撒いたらゴミになる。きれいなお皿にのせて、カラフルなサラダやスープと一緒に食べたら美味しい」
「そりゃあ、そうだ」
「人間は、睡眠を取らなきゃ死んでしまう。でも悩みを抱えると、みんな不眠症になる。本能なら、コロっと眠れそうなもんでしょ。でも睡眠薬を飲んでる人はたくさんいる。睡眠って、けっこう難しいことなんだ。心を持つ人間にとっては」
「難しい?眠るのが?」
「そうなんだ。子どもの頃は、毎晩ぐっすり眠れた。でも、大人になると昔のように眠れなくなる」
「うーん」由紀子ちゃんは、難しい顔をした。それから、何か覚悟したようにうなずいた。「納得したよ。眠るのは、とても高度なことなんだ」
「その通り」と、直人は答えた。俺は、また自分の話をしてるな、と彼は考えた。美枝子のことを考えると、俺は眠れなくなる。涸沢と、由紀子ちゃんのことを考えれば眠れる。
「で、肝心の、性欲は?」
「性欲については、有名な人がいろんなことを言っている。エゴの源泉だから、全否定すべきだとか、性行為は死の乗り越えのためにあるとか・・・」
「ぜんっぜん、わかんない!」
「今のは、わかんなくてOK。俺は性欲を、とてもシンプルなものだと考えている」
「うん」
「人は普通、恋愛と性欲を分けて考えようとする」
「そうだね。確かに」
「でも俺は、それは間違いだと思っている」
「なんで?」
「性欲の正体は、ハッピーエンドなんだ」
「は???」由紀子ちゃんは、大きく口を開けて固まってしまった。
「漫画でもドラマでも映画でも、なんでもいい。ハッピーエンドのストーリーは、好き同士の二人が上手くいって終わるよね」
「うん。確かにね」
「好きな人と上手くいく。これからずっと、幸せが続く。この実感が、性欲の正体たと思う」
「なんで?」
「日本昔話で、『おじいさんとおばあさんは、いつまでも幸せに暮らしまとさ』で終わるの多いでしょ。あれあれ」
「おじさん!」と、由紀子ちゃんは直人をにらんだ。もちろん、本気ではない。「私、頭良くないんだからさ。もっと、わかりやすく言ってよ!」
「つまりさ」と、直人は説明の仕方を変えてみた。「飲み屋で飲んでて、知らない人とホテルに行った。よくある話なんだけど、みんな後で後悔するんだよね」
「よくあるね、それ」
「なぜ後悔するかというと、一夜限りの相手ってハッピーエンドの要素ゼロでしょ」
「うーむ」
「一夜だけの関係で、それっきりになると、嫌な思い出になってしまう」
「うん」
「でも、今夜も日本中で、世界中で男女がナンパし合ってると思う」
「そりゃ、そうだ。じゃあ、何で?」
「誰でもナンパしているときは、ハッピーエンドを期待してるんだよ。ステキな人を口説いて、仲間たちに嫉妬まじりの祝福を受けて。もしかしたら、ずっと上手くいくことを期待してるんだ」
「おじさんは、『ナンパは、ヤリたいだけでしてるわけじゃない』って言いたいんだね」と、由紀子ちゃんは言った。
「うん、そう」と、直人は答えた。「大切なのは、『おじいさんとおばあさんは、いつまでも幸せに暮らしまとさ』なんだ。相手が性格悪かったり、他に恋人がいたりすると、恋は醒めてしまう。ハッキリ言って、あまり気持ちよくない。一夜限りの相手で終わってしまうのさ」
「うんうん」
「元に戻るとね。漫画やドラマや映画みたいに、『この人とずっと上手くいく』と思えるとき、俺たちは本気で『気持ちいい!』って思えるんだ」
「うん。なるほど」
「こう考えてみると、恋愛と性欲は一致してる。分割できないものなんだ」
「おじさんの話をまとめると」と、由紀子ちゃんは顔の前で人差し指を振りながら言った。
「うん」
「性欲は幸せなんだね。この人と、ずっとヤリまくって幸せになるぞーって、思えることなんだね」
「まあ、ね・・・」直人は、周りのテントが気になった。
待てよ、と直人は考えた。俺はいったい、何の話をしてるんだ?。美枝子の話をしているのか?違う、全然違う。直人は一人で笑ってしまった。あの病的嘘つき女と結婚して、どうやってハッピーエンドになるんだ?肉屋の男だって、どうせすぐ別れるさ。次は焼き鳥屋か、墓石屋か。間違いないのは、みんな美枝子にうんざりすることだ。あいつは、一夜限りの相手と大差ない。




