第24四話 学者の絶叫解説と、魔の森への入り口
城塞都市の地下に広がる、レジスタンスの隠れ家。 ランタンの淡い灯りが揺れる中、額に包帯を巻かれた私は、ホッと息を吐いて温かいスープを飲んでいた。
「……で? つまり脳筋ワンちゃ……げふんげふん、リルさんは、宰相直属の宮廷魔導士に特級の拘束呪縛をかけられていた、と?」
「あぁ。地下牢でこの姿に縛り付けられて、魔力の大半を封じられている。クソ忌々しい呪いだぜ」
壁に背を預けて腕を組むリルが、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
その向かいで、ルカがカタカタと震える手でメガネを押し上げ、持っていた羽根ペンをへし折らんばかりの勢いで叫んだ。
「ありえない!! なんですかそのデタラメな話は!!」
「……うるせぇな。事実だ」
「事実なのがヤバいんですよ! 特級呪縛ですよ!? それを『姫様が血を流してキレたから』っていう純度百パーセントの怒りの感情だけで、力技で粉砕して元の姿に戻ったってことですか!?」
「……まぁな。だが、呪いの根源を破壊したわけじゃねぇから、すぐに力が尽きてこの不便な人間の姿に引き戻されちまったがな」
「呪いそのものを解いたわけではなく、怒りの力で一時的に押し退けた……いわば不完全な顕現だったんですね!?」
ルカは頭を抱え、床を転げ回りそうな勢いで絶叫を続ける。
「物理法則も魔力理論もガン無視だ! 今の話を聞く限りあんたの受けた呪いは、普通の人間なら即あの世行きの高位の呪いだ! それに加えて、そんな呪いを内側から強引にブチ破ったら、魔力回路がショートして全身の血管が弾け飛びますよ!? よく生きてますね、アンタ!!」
「……ハッ。ちっぽけな人間どもの呪いで、俺が死ぬわけねぇだろ」
リルは鼻で笑い飛ばしたが、ルカの『血管が弾け飛ぶ』という言葉に、私は心臓が冷たくなるのを感じた。
(リルは私のために、そんな無茶を……?)
心配になってリルの顔を覗き込むが、彼はいつも通りの不敵な顔で「気にするな」と私の頭を乱暴に撫でるだけだった。
「……ちょっと待ってください」
ルカがふと、メガネの奥の瞳を鋭く細めた。
「あなたを長年地下牢に縛り付けていたのは、大昔の王族の強固な封印のはずです。なら、どうやってクーデターの夜、地下から脱出できたんです?」
「あぁ。あの夜、アニエスめがけて紫の光が飛んできたからな。……咄嗟に力任せに鎖を引きちぎって、盾になったんだよ」
「なるほど!!」
ルカがポンッと手を打ち、すべての合点がいったように声を上げた。
「昨日見たあの姿……不完全でもあれほどの強さを持つあなたが、どうして魔導士の呪いなんて受けてしまったんだろうと思いましたが……。あの大昔の強固な封印を無理やり引きちぎるために全力を使い果たし、無防備になったところに呪いを浴びたから、防げなかったんですね!」
図星を突かれたのか、リルはふいっと気まずそうに顔を逸らした。
(……ああ。やっぱり、そうだったんだ)
私は、頭に乗せられたリルの大きく温かい手に、そっと自分の手を重ねた。
クーデターの、あの絶望の夜。そして昨日の激戦。彼は文句を言いながらも、いつも自分の身を削って、私を理不尽な暴力から守り抜いてくれていたのだ。
「……リル」
「なんだよ。俺は別に――」
「ありがとう。私、絶対に宰相を倒すわ。そして……今度は私が、あなたをその忌々しい呪いから解放してみせる」
私が真っ直ぐに見上げて宣言すると、リルは驚いたように目を丸くし、やがて呆れたように息を吐いて深く、獰猛に笑った。
「……ハッ。俺を助けるだと? 大きく出たな、世間知らずの姫様」
「本気よ。私には、こんなに優秀な天才学者さんもついてるしね!」
「ちょっと! 僕を勝手にその無謀な計画に巻き込まないでくださいよ!?」
ルカが慌てて抗議の声を上げるが、その口元は微かに笑っているように見えた。すべてを失い、絶望の中で手を取った厄災の番犬と、偏屈な天才学者。決して交わるはずのなかった私たちに、確かな絆が芽生えはじめていた。
「——姫様。出発の準備が整いました」
そこへ、巨大なリュックを背負ったザックが歩み寄ってきた。彼は私の前に片膝をつき、地図を広げて真剣な顔で告げる。
「ここから街道の関門を通らずに行くには、この城塞都市の裏手に広がる瘴気の森を突っ切るしかありません。……太陽の光が届かず、強力な魔獣がうろつく死の森ですが、宰相の軍でさえここには手を出せない。王都へ急ぐなら、ここが唯一の道です」
「わかったわ。案内してくれてありがとう、ザック」
「俺たちも後から合流します。……姫様、どうかご無事で。あんたは俺たち下層の民の、最後の希望だ」
ザックが私の手を取り、騎士のように恭しく額を当てる。その瞬間、リルが「……気安く俺のアニエスに触ってんじゃねぇ」とザックの襟首を後ろから引っ張り上げ、強引に引き剥がした。
「い、痛ぇ! わかった、わかったから引っ張んなバケモノ!」
「誰がバケモノだ、ネズミの親玉」
相変わらず口の悪い二人だが、そこに以前のような殺伐とした空気はなかった。
ザックたちに見送られ、私たち三人は瘴気の森へと足を踏み入れた。
文字通り、どんよりとした紫色の瘴気が立ち込める薄暗い森。普通の人間なら数時間で気を失ってしまうような毒の空気だが、ルカが魔導具で作ってくれた浄化の結界のおかげで、私たちは安全に呼吸をすることができていた。
肺の奥にべっとりと張り付くような、腐った鉄の匂い。ランタンの結界のすぐ外側では、紫色の瘴気がまるで生き物のように蠢き、チリチリと肌を刺すような不快な冷気を放っていた。
「いいですか、姫様。はぐれたら一貫の終わりですからね。僕の結界から出ないように……って、ちょっ、リルさん! ペース早すぎですよ!」
先頭を歩くリルが、無言のままどんどん森の奥へと進んでいく。
「リル? どうしたの、そんなに急いで……」
私が小走りで背中を追いかけ、彼の手を握ろうとした、その時だった。
「……っ」
ビクンッとリルの大きな背中が震え、彼は弾かれたように立ち止まり、近くの大樹の幹にドンッと手をついた。
「リル!?」
「……くそっ……。こんな、時に……」
リルの横顔を覗き込んだ私は、息を呑んだ。彼の黄金の瞳は焦点が定まっておらず、尋常ではない量の脂汗が顔に浮かんでいる。そして、触れなくてもわかるほどの異常な高熱が、彼の巨体から発せられていた。
「はぁっ……はぁっ……アニ、エス……離れろ……俺に、触るな……」
「リル! 体がすごく熱い……!」
リルの荒い呼吸と共に、彼の首筋から腕にかけて、砕け散ったはずの『黒い呪いの紋様』が、ひび割れたように赤黒く明滅しているのが見えた。
——ルカの言っていた通りだ。
特級の呪いを強引に破り捨てた代償。それが今になって、最強の厄災であるリルの身体を、内側から確実に焼き尽くそうとしていたのだった。




