第19話 城塞都市の地下と、泥水をすする者たち
いつものようにルカとリルが口喧嘩をしながら、私たち三人は、王都への最大の難所である『城塞都市』へと辿り着いた。しかし、空を突くような巨大な防壁に囲まれたその街の正門は、宰相の紋章を掲げた重武装の兵士たちによって完全に封鎖されていた。
「こりゃダメですね。正面突破なんてしたら、王都に乗り込む前に蜂の巣にされちゃいますよ」
ローブのフードを目深に被ったルカが、呆れたように肩をすくめる。
「チッ。あんな鉄クズ着た人間ども、俺がまとめて引き裂いてやるよ」
「ストップです、脳筋くん。僕にいい案があります。この街の『地下』を牛耳ってる連中に、裏ルートを案内してもらいましょう」
ルカの先導で、私たちは街の死角にある古びた水路から、広大な地下スラムへと足を踏み入れた。そこは、太陽の光が一切届かない、カビと鉄錆の匂いが充満する掃き溜めのような場所だった。やせ細った人々が虚ろな目で壁際にうずくまり、子供たちが泥水をすすって飢えを凌いでいる。
(……これが、王都のすぐ足元にある現実……?)
あまりの光景に、私は言葉を失い、ただ唇を噛み締めることしかできなかった。
「おい、ルカ。お前、また厄介なモンを連れ込んできたな」
隠れ家の奥から、野太く、ひどく刺々しい声が響いた。現れたのは、顔や腕に無数の傷跡を刻んだ、無骨な大剣を背負う二十代前半の青年だった。鋭い三白眼が、私とリルを射抜くように睨みつけている。
「久しぶりですね、ザック。相変わらず目つきが悪くて安心しました」
ルカが飄々と笑いながら、私を手で示した。
「彼女はアニエス様。この国の第一王女です。宰相から王都を取り戻すために、あんたたち『レジスタンス』の力を貸してほしいんです」
その言葉を聞いた瞬間。ザックと呼ばれた青年の顔から、スッと表情が消えた。
「……王女、だと?」
身体に響くような低い声。それは明らかな『敵意』と『嘲笑』に満ちていた。
「ハッ、冗談キツいぜ。宰相に国を乗っ取られて、尻尾巻いて逃げ出してきたお飾り姫が、今更俺たちに何の用だ? 」
「……っ」
「あんたの親父の時代から、俺たち下層の人間には支援金なんてビタ一文届いちゃいねぇ。特にあのクソ宰相が実権を握ってからは地獄だ。突然の重税で食い物は消え、払えない人間は次々と危険な魔石の採掘でボロ雑巾のように使い潰されてる」
ザックの目から、燃えるような憎しみが溢れた。
「逆らえば殺され、従っても飢え死にする。俺たちにはもう、生きる『明日』すら残されちゃいねぇんだよ。俺たちが泥水すすって掘った石で、あんたは王宮でぬくぬく綺麗なドレスを着てたんだろ? なぁ?」
ザックが一歩前に踏み出し、私の顔を覗き込むようにして吐き捨てた。
(支援金が届いていない……? 嘘よ、お父様は毎年、貧富の差の支援のために多額の国家予算を割いていたはずなのに。……まさか、宰相が途中で全部横領していたの!?)
お父様の優しさが、彼らには微塵も届いていなかった。その残酷な事実に、私は足元が崩れ落ちそうなほどのショックを受けた。
「帰れ。俺たちは、あんたたち王族の捨て駒になる気はねぇ」
——その瞬間だった。
「…………テメェ」
地下の空気が一気に凍りつくような、圧倒的な『殺気』が膨れ上がった。私の前に大きな影が割り込む。リルだ。人間の姿のまま、しかしその瞳は完全に縦に裂けた『獣』のものへと変わり、黄金の眼光がザックを射殺すように睨みつけていた。
「テメェ、俺の主に二度とその口を利いてみろ。その減らず口ごと、頭から丸かじりにしてやるぞ」
ギリッと剥き出しになった犬歯。リルの全身から発せられる本物の『厄災』のプレッシャーに、ザックや周囲のレジスタンスたちが顔を引きつらせて武器を構える。
一触即発の空気の中、後ろにいたルカだけが、信じられないものを見るように冷や汗を流していた。
(……なんだ、この異常な魔力と威圧感は。ただの腕の立つ護衛だと思っていたが、空間そのものが震えてる……? ありえない。人間離れしてると思って、一つだけ『ありえない仮説』を立ててはいたが……)
「リル! 下がって!」
地下室に、私の凛とした声が響き渡った。
「……ッ、アニエス! でもコイツら、お前のことを……!」
「いいのよ」
私が真っ直ぐに見つめると、リルは「チッ……!」と激しく舌打ちをして、不満げに大きな体を私の背後へと引いた。私は逃げることなくザックの前に進み出ると、彼の鋭い視線から目を逸らさず、深く、深く頭を下げた。
「……あなたの言う通りよ。私は温室の中で、あなたたちの苦しみを何も知らずに生きてきた。無知は、罪だわ」
「……あ?」
思わぬ私の態度に、ザックが虚を突かれたように目を見張る。
「でも、もう逃げない。この国の王女として、私に、あなたたちの痛みを教えて。……王都を取り戻し、すべての民が日の光の下を歩ける国を作ると、ここで誓うわ」
一切の言い訳を持たない、私の真っ直ぐな言葉。 張り詰めた地下室の空気の中で、ザックは私を値踏みするように、ただ無言で睨み返していた。




